×××は、その日、何時も顔を合わさないエドワード・ニューゲートの部屋を訪れていた。事前にアンリエッタに報告をし、彼女にも同行して貰おうとしたら、一応、とのことで、この船の船医も同じ様について来た。心なしか、船医の顔は歓喜に満ちていた。 「オヤジ様ァ!×××がアナタにお会いしたいとの事ですわ!」 アンリエッタの猫なで声が扉の向こうに伝わり、寛容な彼はグラグラと笑うことで許可した。 一番目立つ医療器具は鼻から伸びるチューブだった。彼が、お酒のせいで体調が優れない事くらいは直ぐに把握出来た。×××は何時もそんな彼らを見てきた。酒好きで、酒に身を捧げて体が動かせなくなる人がそれこそ山のように居た。酒は百薬の長だなんて言われる効果を、×××は何時も最大限に引き延ばしてやりたいと思っていた。 彼には、その第一人者になって貰いたかった。この海賊船に乗る船員は皆、船長である彼をとても慕っている。病状の回復が見れれば、喜ぶ筈だった。 「今日は、エドワード・ニューゲートさん。本日は折り入ってあなたにお願い申し上げたく参りました」 「おォ、改まって何だ?」 ×××の固い意志が宿る瞳を見て、ニューゲートは姿勢を正した。手にしていた杯を脇に押しやる。一度ぺこりとお辞儀をした×××は顔を上げ、業務口調のように、何の感情も込めず、淀みなくしゃべり始めた。 「失礼を承知で申し上げますが、船長あろう者が、病気で伏せって居るのを敵である私に見られるのは意に反してる事と思います」 チラリと不躾な視線。後ろに控える二人がザワリと物音を立てるが、ニューゲートの、上げられた手の平を見て、口を閉ざした。 「そこで、モノは相談ですが、私の設(しつら)えた此方を服用してみては如何でしょうか。勿論、世には出回っておりません、完全なる私のオリジナルですが、成分も効果も此方に記しておりますし、船医である彼にも検証されましたものですし」 つらつらと並べ立てる言葉の羅列。スッと手を持ち上げて彼に見えるよう晒した物は、白い粉末状のものが、シャーレの底に見える。ニューゲートの表情は変わらず、ジイとそれを見つめた。×××が手を下ろし、シャーレは船医の手に渡った。 ×××が真摯な視線を彼に送る。 「結果が儘ならないものでしたら、その暁には、私の命はあなたに委ねることを誓いましょう。して、病状の改善する結果が出ましたら、その時は、私を、白ひげ海賊団の一員に、して、頂きたいのです」 深々と下げられた頭、ハッと息を呑む音が聞こえ、×××は頭を下げたまま、あなたの、快いお返事を、期待しておりますと小さく付け足して上体を起こした。 そわそわと落ち着きのない×××の背後で、アンリエッタは彼女の宣言に、彼(か)の隊長はこの話を知っているのだろうかと、終いにはこの場に呼ぶべきではないだろうかさえ思った。ふぅむ、と唸るニューゲートに、アンリエッタは漸くハッと正常を取り戻し、ピシリと背筋を伸ばした。 「敵、ちゅうのは気に食わねェが、てめェの命がおれのものになるってことかァ…」 眉をハの字にして唸る。×××はその黒々とした目で彼を見上げた。キュッと引き結ばれる唇や、握った拳から緊張が見て取れた。同様に緊張していた二人は後ろでそれぞれに喚いた。 「オヤジ!×××のこれが本当なら蹴って良いような話じゃねェよ!紙面上はオヤジの病気が治るってェ」 「オヤジ様ァ、×××を殺すなんてこと、私嫌ですわッ。断っても…」 「アン、おれが何時×××を殺すっつたよォ?てめェの親を疑うんじゃねェ」 「えっ」 アンリエッタの一言にニューゲートが割り込む。勘違いをしているらしい彼女の言葉を否定し、尚続けられる言葉。微かに嬉しそうに跳ねる。 「勝っても負けても×××の命はおれに預けられた!グララララ!」 「え、てこたァ、オヤジィ!」 察しの良い船医が顔を輝かせた。 「受けよう、その話!誓いは交わされた!」 ビリビリと空気が振動しているのかと勘違いするほど大きく交わされた誓いに、×××は一度体を震わせた。張り詰めていた緊張が解かれ、力無く微笑し、頭垂れる。礼を述べる声は震えていた。 「ありがとう、ございます。―ではニューゲートさん。本日から、この薬をお食事の後に10mgお飲み下さい」 食事毎ですよ。と念を押し、微笑む×××に、ニューゲートは苦笑いで返した。 後に船医に錠剤に出来ないのかと交渉していたとか。 夜、人気も減った食堂で×××は、そばかすが散らかる顔を歪ませ無邪気に笑う彼に呼び出された。首を捻りながらその手前まで歩いていく。 珍しくシャツを着ていた。だらしなく前を全開にしているのは海賊だからだろうか。金色の髪を靡かせる彼もそうだった。秋の夜は寒かった。 「なァなァ、今日さ夜中、ちっとばかし見張りしてくんね?おれ、やることあってさ」 「は、良いですよ?」 「マジで!?さんきゅー!…ぁ、マルコにバレるなよ?」 あ、と精悍な顔付きを崩し、すぐ真面目な顔をすると、徐に×××の耳元に顔を寄せた。仕草が幼くてクスリと笑い、こそこそと喋る内容に彼女は小首を傾げた。 「え?何でですか」 「んー、何となく!アイツ煩そうだし」 ニカ、と笑う彼の真意は読めない。ただ、何も考えていないのかもしれない。×××は小さく微笑んだ。 「はい、分かりました。じゃ、エース?頑張ってね?」 小さな子供でも相手にしているような気持ちで微笑む。帰ってきたのは満面の笑みだった。 「おゥ!終わり次第おれも行くからよ!よろしく!」 手に持っていた防寒対策らしい毛布を押し付け、腕を振り上げ目立ちながら去っていった。バレるなという彼に隠す気があるのだろうかと苦笑を漏らしつつ、手を降り返す。 自分で作った紅茶を片手に、最前列から三番目のミズンマストに登る。帆柱の中に螺旋状の階段があり、そこを上がっていった。エースは、何時も一番上を任されていた。視力も良い、かつ隊長格であったからだ。×××は細かいのを見るときに少し眼鏡が必要になるだけで、海の上で生活するようになってから、その存在が必要になったことはまだ無かった。 暖かい紅茶を少しずつ飲みながら、見張り台の手すりに寄りかかり、真っ暗な海を見下ろす。ゆらゆらと揺れる波間と大きくタイミングがずれつつ、×××の足場も確実に揺れていた。 「(エースが寝ちゃうのも無理はないかな…)」 「×××ー」 ベタ、あ、重い、と思ったら背中に張り付いている青年。×××が首を捻ると思ったより近い顔。ビクッと体を震わすが、向こうは目を閉じていて、彼女の赤い頬を知らない。 「っ、エース…、お疲れ」 「うェ〜、癒やして〜。おれ、もーぜってェ書類溜ねェ」 ウダウダとゴネながら手すりの直ぐ脇に座り込み、そのまま背中を預ける。 「はいはい、またそれ?エース、いっつもそれで同じことしてるのに?」 「う」 隣に座り、毛布を掛けてやる。テンガロンハットが向きを変え、その下の凛々しい眉がヒョイと上がり、ニコと笑う。えくぼが一層その青年を幼く見せた。にじにじと寄ってピッタリとくっ付く。触れている腕が熱を持っていた。炎だからかな、ぼんやりとそれを見つめ、エースからの視線に気付く。 エースは、×××と視線が合うと、何か思い付いたように声を上げた。 「あ!聞いたぜ、×××、オヤジの治療してるんだってな!な、クルーになるって本当か?」 「あー、そうですねェ…。捕虜はそろそろ卒業したいですし」 「おれら、別に×××のこと捕虜だなんて思ってねェよ?普通にみんな受け入れてるって」 眉根を寄せてマルコがどうたらと呟くエース。ジ、とそれを見つめ、一拍おいて、×××の唇が戦慄く。 「でも、けじめなの。私だって、彼の為に何か出来るって言う。それにニューゲートさんの体調が良くなるのは嬉しいでしょ?みんな、喜ぶでしょう?」 彼女の言葉に段々と目を見開く。見つめる横顔は緩く笑みが作られ、如何に白ひげ海賊団を考えているのかが分かった。最後、照れたように小さく笑い、エースを窺う×××。 「あァ、サイコー…」 「エース?」 全快な彼を頭に描いているのか、心そこにあらずなエースの瞳。緩く細められた瞳。トロンと溶けそうな色に、×××は声を潜めて彼を呼んだ。 「んァ?あァ、もーいいぜ。おれちゃんと見張りするし、×××一晩中起きるのは辛ェと思うし、ホントありがとな、オヤジのことも…」 「…えェ。おやすみなさいエース」 「おやすみ×××」 静かに返す彼に一度視線を送る。ニパと笑う表情はいつも通りに見えた。 空になったコップを返しに食堂に来た×××は、その扉の隙間から淡い光が漏れているのを見た。ギィ、と押し開け、進む先に見えたリーゼントがゆっくりと動く。 何時も困ったように垂れた眉が一層傾斜を付けた。 「ぉ?」 「サッチさん?」 「どうしたの?眠れない?」 「あ、えェ、一寸…」 エースの言っていた言葉に、サッチは入っていなかった。だが、×××は言葉を濁すように曖昧な返事をする。ふぅん?と気にした素振りも見せず、小さく灯るランプの側から離れ、×××のいた厨房へ潜っていく。カチャカチャと何かやっていると思い、戻ってきた彼の手には湯気が立つマグカップがあった。 「ン、ホットココア」 向かいに座りながらそれを差し出す。コトリと小さな音を立てる。蜜のようにトロリとしたチョコレート色の液体。は、と一度手を止め、×××は目の前の、傷がある目を見た。 「ありがとうございます。サッチさんってこういうの、とても自然ですよね」 「おれェ?照れちまうなァ、そんなこと言われたの初めて!…そういや、マルコとの和解はした?デート、したんだろ?」 ニカ、と笑っておどけたように茶化す。同様に問われたものは、一応声を潜めているものの、好奇心が抑えられないようだ。 ×××は、ココアにちょこんと口を付けて、すぐ離した。少し斟酌して、目を伏せる。 「…あァ、まァ。もう、大丈夫ですよ。ご心配掛けてすみません」 「いやっ、それは良いんだけどさっ!…もう、和の国の文字は使ってない?」 「?、えェ、イゾウさんから言われまして」 今度こそこそこそと耳打ちするように告げられた言葉に×××ははて、と首を傾げた。 「ありゃ?マルコが言ってたぜ?ま、おれが聞き出したんだけどさっ。世界政府から狙われてるから〜って。健気だよな、あのオッサン!なァ、×××ちゃん?」 「…彼は、ただ私が気に入ったから船に乗せたって。海賊ってそう言うものだって、顰めっ面で…」 ×××の微かに寄る眉に、サッチは目を見開いた。気まずそうに首の後ろをさすって、呟く。 「おっと、そっか…。わりィなおれが言って言いような事じゃ無かったなァ」 益々怪訝そうな表情をする×××に、サッチはわざと明るく声を繕った。パチンと手を合わせ、思考の海に沈みそうな×××の目を覚ます。 「忘れて!な?ほんじゃ!夜更かしは肌に悪いぜ〜!」 「あ、おやすみなさい」 お休み〜、と後ろ手に手を降り、白いコックスーツが扉の向こうへ消える。 片手に持ったマグカップは暖かかった。少しずつ口に含み、ぼんやりと考えを巡らす。 一番最初に怒鳴られた時、確かに彼は助けたと咄嗟に出た言葉だったかのように思う。ハッ、と目を見開いて、悔しそうに舌打ちをして、しかし、彼は以前から私の使う言語を知っていただろうか。 強(あなが)ち、考えていることは当てはまって居るのかもしれない。ずうっと前から考えていた…――。 さりげない気遣い <-- --> 戻る |