ザザン、と聞き飽きるほど耳にした音、あたり一面変わらない海を眺めていた×××は背後に座っていたミホークに頭を叩かれる。 「いた、…何ですか」 恨みがましく上に首を向けるも、鋭く光る鷹の目は×××を見ていない。水平線遥か遠くを見つめて、呟いた。 「見ろ。島だ」 「え!…、…、見えない」 「よく見ろ」 素早く彼の言う先へ視線を戻したが、一向にその姿を捉えられない×××は声を低くして呟いた。ミホークが彼女の旋毛を見下ろす。気紛れに頭に手を滑らせ、促す。小さく不満の声が上がった。 「ぇー、だって、ミホークさんはずっと海にいたかもしれないですけど、私、今まで普通の生活してたのに」 「はァ」 ぶーぶー、と文句を垂れる彼女の頭を撫でていたミホークは、溜め息をその頭部に落とし、ペシ、と軽く押す。グラグラと簡単に揺れる体を放り、肘おきに肘を付き、頬杖をついた。 「…あ!ミホークさんミホークさん!島!島ですよー!きゃー!スゴーイ!」 指を指す×××の細腕はピン、と伸ばされ、白い肌が、太陽の元で輝く。 グ、とミホークの胸板に掛かる圧迫感。ふわふわの髪を撫でつつ、少し喜の色を含んだ声が楽しそうに空気を振動させた。 「さっきからそうだと言ってるだろう」 「ミホークさァん、私初めて!」 「そうか」 「にへへ」 初奴め、と心の中で呟き、ミホークの体に背を預け、顔を上に上げる×××の顔を目だけで見下ろす。ふにゃふにゃと笑う頬を指で軽く弾き、すぐさまツンと唇を尖らせ拗ねる様子を見せる。そんな彼女の唇に、ミホークのそれを寄せれば、当然の如く×××の顔は真っ赤に染まるのだった。 島は夏島らしく、×××は額に張り付く前髪を鬱陶しそうに剥がす。後ろを仰ぎ見れば金色の瞳と目が合う。×××はなんて暑苦しい恰好をしているのだろう、と膝丈まである彼の真っ黒のコートに視線を這わせた。 「ミホークさん、暑そう」 ジトリと見上げても、当の本人は涼しい顔をしたもので、その汗一つかかない様子に×××は見てるこっちが暑くなる、とまで思った。 「そうか」 「…もう!」 海岸に近付き、揺れが小さくなる甲板に立つ×××は、ミホークに背を向けて歩き出す。その背中に投げかける声。 「そう言えば、夏祭りがあるらしい」 「え」 「行くか?」 「えー!行きます!」 パッ、と振り向く×××の頬に髪がくっ付く。剥がしながら、彼の言葉に×××は飛び跳ねた。ミホークは目を細めて×××の、風でくしゃくしゃになった髪を後ろに流した。×××が擽ったそうにクスクスと笑って、直ぐ何かを思い出し離れる。 「ぁ、でも一寸待ってください」 うーん、どこかなァ、と呟きながら船室に潜り込む。ミホークがそんな彼女の後ろを付いていくと、小さな背を向けながら洋服の入ったクローゼットをガサゴソと漁っている。 近付いてもそれに気付いた様子は無く、ミホークは丁度彼女の背後に立っているようになった。 何か見つけたのか、手に一枚のシャツを持ち、後ろを振り向いた×××はミホークの近さに後ずさった。 「きゃっ!びっくりした…」 「何をしている?」 「あ、はい!ミホークさん。Tシャツありましたから、これ着て、コートは脱いで下さい!」 どこで買ったかも忘れたようなTシャツで、普段のミホークからは想像出来ないようなデザインだった。英字が襟首にプリントされたそれを一応と受け取り、ジ、と見る。×××はそんな彼を知ってか知らずか、置いて、洗面所の方にトトト、と行ってしまう。 長い髪を上で纏めてふんわりとお団子を作った×××が帰ってくると、ミホークはベッドに腰掛けて待っていた。 よく見ている灰色のパンツをブーツにしまい込むスタイルではなく、黒いスラックスに黒い革靴、上は白いワイシャツを着ていた。×××が渡したTシャツは行方知れずとなっていた。 「つまり、姿形が涼しければ主は満足なのだろう?」 「う、まァそうですけど〜…」 「ふむ、何時もと髪が違うな」 「あ」 「似合っている」 じろじろと上から下まで視線が移り、最後、×××の色素の薄い瞳とかち合う。自然と頬を赤らめた×××は彼の言葉に更に赤みが増した。細められた金色の目を直視出来なくなった。 「―っ、い、いこ!」 はくはくと何度も口を開閉させ、終いに彼の脇を通り過ぎ、甲板に出ていく。その後ろをクックッと喉の奥で笑いを漏らす声が付いてきた。 街は、大いに賑わいを見せていた。途中から何度もはぐれそうになる彼女の手を掴み、歩いていると、羞恥を忘れた頃に×××は歩みを進める主導権を握り、あちこちへとミホークを引いて回った。 ×××がミホークに買って貰った綿飴をパクパクと食べていると、横から声が掛かる。祭りの最中、七部海の一人である彼を誰も気にしない中掛けられた確かな言葉であった。 「ミホーク!お主ミホークではないか!祭に参加しているなんて珍しい事もあるんじゃな」 「ジンベエ」 そこでミホークがチラリと×××を見下ろす。常人の何倍もある巨体に、肌の色も違う。口からは牙が覗き、手には水掻き、目つきの鋭さを強調する太い眉。ミホークに声を掛けたジンベエと言う男に萎縮し、ミホークの腕にピッタリとくっ付いて離れようとしなくなった。 ジンベエがミホークの視線の先に気付き、ああ、と声を漏らす。 「噂は本当たったんじゃな。お嬢さん、わしはジンベエと言う。彼と同じ七部海の者じゃ」 「あ、あ、すすみません。×××って言います。ミホークさんの船に乗せて貰ってる者です」 「では、もういいか」 「そうつれないこと言うでない!どうじゃさっきたこ焼きを買ってな、一ついらんか?×××さんとも話してみたい」 「…あ、」 「…少しだけだ」 よく見ると、ジンベエの着ている浴衣はたこ焼きの模様が散りばめられており、×××はまだ縮こまっているもののちょっぴり彼への恐怖心がなりを潜めた。 丁度あったベンチに腰掛け、ミホークはジンベエから受け取ったたこ焼きを頬張る。ジンベエと言葉を交わす合間に目を向ければ、爪楊枝代わりに使っていたものが、彼の首に何時も架かっている十字架の仕込み刃であったので×××はギョッとした。 「それで、×××さんはミホークと上手くやっているのかね?」 「あ、はい。とても。ミホークさん、優しいし、何だかんだ私の好きなことさせてくれますし…えへ」 照れたようにピンク色になった頬を手のひらで押さえる。 「ほォ、ミホークも丸くなったようじゃの」 朗らかに笑うジンベエに、×××は彼が魚人であることも知り、既に打ち解け始めていた。にこにこと笑って口を開こうとする。 「×××」 「ふぇ、んむっ」 突然掛かる声。間抜けな返事で振り向く。 瞬間目の前にたこ焼き。たこ焼きが摘んだ指毎×××の口に押し付けられる。ビックリしている内に口内に侵入した指が抜かれ、ペロリとミホークがそれを舐める。もぐもぐと忙しなく顎を動かす×××は、顔を赤く染めるものの、文句さえ言えなかった。小さな手のひらで彼の膝をパシりと叩く。 ミホークは木にした様子もなくジンベエを鋭い視線で射抜いた。 「もういいか」 二度目の言葉は有無を言わさない強制力があった。ジンベエは一度目を張り、パシン、と自分の額に手を当てる。 「はーっ、わしはお邪魔虫のようじゃな!おォ、良いことを教えよう。今夜花火があがるようじゃ。あの小山の上、穴場なんじゃ、見ていくといい」 最後は×××を見て言う。しかし、その時には×××は手をミホークに取られ、歩き出していた。満足に別れの挨拶も出来ないまま、×××は首を捻り、声を上げた。 「あ!ジンベエさん!ありがとうございます!」 水掻きのある手が×××に向かって振られた。 その後、×××は何だかんだ文句を並べ立てるが、ミホークは聞く耳も持たず、彼女はずるずると引きずられるようにして歩いた。どうにも我慢ならんといきり立った彼女が声を上げれば、漸く足を止めたミホークは一言。×××は足が痛いと言ったはずなのに。 「他の男に頬を染めるな」 何とか歩みは普通にしてくれたものの、言い分が理不尽すぎた。×××は完全にむくれるし、ミホークは元々寡黙な男で沈黙を気にする質でもない。薄暗くなる街中を抜け、ずんずんと歩く彼に引かれて付いていく。足が疲れた。訴えたいことはあったが、意地を張った×××は口にする事が出来なかった。坂道を歩くし、しかも足場が悪い。砂利道にバランスを取るため少ない体力は一層削がれた。 「!」 フッ、と浮遊感が襲い、直ぐに原因が分かる。息を吐くだけで無音で笑ったミホークは肩で息をする彼女の肩を宥めるように撫でさすった。 「疲れたならば言えば良かろう」 抱っこされたまま、歩く山道。×××に静かな振動。ミホークの顔が近いまま、彼は悠然と歩く。その様子に疲れた色は無い。 しかし、まだむっつりと口を真一文字に結んだ×××は喋るタイミングを失って、へにゃと情けなく眉を垂らして彼の肩口に顔を埋めた。 それから均一な浮遊感と振動を感じ、ミホークが立ち止まり、×××の顔を上げさせた時。もう周りは一変し、背の低い木々が生え、天然芝がそこら一帯に生えた開けた場所になっていた。 ドンッ! ぽや、とミホークの肩から見える風景を見ていた×××はピクリと肩を震わせた。空は暗く星がポツポツと浮かんでいるだけだった。 「ああ、こちらか」 ミホークが、芝生に座り込み、そのかいた胡座の真ん中に、彼に背中を向けるように×××を座らせた。もうパラパラと火花が空に消えかけていた。 と思ったのも直ぐで、次の花火が夜の空に咲く。意地を張ってチャックした口はあっという間にゆるんだ。 「きれい」 「もう、拗ねるのは止めたか」 次々と咲く大輪の花に目を向けたまま、×××は唇を尖らせた。 「ミホークさん、勝手だもん。ジンベエさん、ミホークさんの事聞いただけなのに」 「ほォ」 「それに、あれはミホークさんの話でほっぺたが赤くなっちゃっただけ!」 「ならば許さんとな」 クッ、と笑みを零す。 「ちが、私が赦す赦さないをきめるの!」 ×××は空に目を遣るのを止め、ミホークを見上げた。ジッ、と彼が×××を見ていた。顔が、花火の光に照らされ、金色の目がギラギラと光っているように見えた。 「わ、私が決めるんです」 「構わん。口調など気にしてはおらん」 「う!」 「ならば、赦してくれるか」 「…一緒に、花火見てくれたら」 「結構だ」 ハッハッハ、と大きく朗々と笑ったミホークは×××の頭を撫でる。同時にドン、と大きく轟かせ、自己主張の激しい満開の花が二人の頭上に煌々と咲いた。顔が明るく照らされ、明暗がハッキリとする。 ぽけー、と彼の笑みを脳裏に刻み込んだ×××は、意識を取り戻すと恥ずかしくなり、少々荒く、彼の胸元に後頭部を打ち付けた。 幸福フレーム ---呟き 夏ですねー。くそイチャコラしやがって!な二人。 幸せですね、羨ましい。 因みに単行本60巻第590話の扉絵から発展しました。 どうにもあのダッサイTシャツを着てくれなくて残念(笑) スペシャルゲストはみんなの親分ジンベエさんでした。ミホークさん独占欲(笑) <-- --> 戻る |