text | ナノ

 喫茶店に入る前、丁度隣に隣接するように配達サービスの店を見つけた。両手に、×××の荷物を抱えるマルコを、彼女は引っ張り、そこに入る。中には、店主と、様々なサイズのペリカンが居た。パサリと翼を広げる白い鳥を見上げた×××は、かつて話に聞いたように、動物や虫が、人の生活の中で仕事をしていることを思い出した。
 並ぶ様に窓際のカウンターに座った二人は、それそれの片手にグラスを持った。彼方此方歩いて火照った体にはピッタリのアイスで、×××は喉を潤すように美味しそうに飲んだ。
「どうだい。島は」
 ×××の動作を目を細めて見つめていたマルコは、グラスをコースターの上に戻し、口元を緩めた。ぽや、と×××が雰囲気を丸くする。森から抜けた白い街も、そこを行き交う人の波も、店も、大学生をしていた彼女とも、酒屋の店主をしていた彼女とも違う世界が広がっていた。
「とても、すてき。全然違うのね。こんなに気分が高揚したのも初めて…あ、本当にありがとうございますっ。私の為に」
 可愛い服を手にとっては会計に行った彼を思い出し、今朝方、街へ行かないかと誘ってくれたマルコの青い瞳を見つめた。笑うと、目尻にシワが出来るのを×××は知った。
「あァ、気にすんなよい。嬉しいなら何よりだい。それに言っちゃ悪ィが、おめェさんは身一つで来たようなもんだからない」 苦笑い気味に自嘲したマルコはそれでも、午前中の事を思い出したのか、笑みが崩されることは無かった。マルコのグラスに出来た結露がツ、とコースターに垂れるのを×××はチラリと見た。
「あー…。返事来たんでしたっけ…。私、いらないって言ったのに、マルコさん宛でした?何て言ってました?彼らは」
 ニコリと笑う×××の表情に、マルコを攻める色は無い。寧ろ、島の彼らの様子を思い出したのか、困ったように、しかし慈しむように穏やかな笑みを浮かべつつグラスに口を付けた。
「…、×××は良い叔父叔母を持ったない。心配と、おめェさんの言ってることを尊重するってェ、反対なんか一言も唱えなかったよい。…もっとおれに怒っても良いはずなんだがねェ。アイツはその代わりに怒り狂ってたない。×××を泣かせるなっ、て」
「そっかァ…別に…、マルコさんが気に病む事じゃないのに。私が勝手に泣くんですから」
 マルコの暫し沈潜し、口を開く。×××が言ったように手紙がマルコに届いた訳ではなく、直接彼らに会いに行ったわけで。表情までは言わなくて良い。あの全てを受け止め、そして彼女を託す為にマルコに向けた笑顔は、自分の内に留めておこうと思った。
 涙は女の武器なんですよ。とマルコを気遣ったように笑う×××に、空色の瞳が細まる。
「おれとしても泣かせたくはねェない。そういや、何て手紙には書いたんだい?」
「色んな所を見てみたいって、」
「…他には?」
 ニコ、と笑って、グラスに口を付ける。喋るのかとマルコは考え、静かに待った。×××が空色の瞳を見つめる。ジィ、と何秒か見つめ合い、フと視線を逸らす×××。明るい声。
「さァ、…忘れちゃいました!そろそろ行きません?出航までまだ日はありますもんね?私、島を一周したいくらい歩き回りたいって思ってるんです」
 グラスから滑り落ちきった結露が、コースターに跡を作った。グラスの中に氷だけを残す。彼女の叔父叔母はきっと他に書かれた事を聞けと言ったのだろう。しかし、マルコにはそれだけを彼女の口から聞けるほど親身な仲になっていないのだと痛感した。それでもにこにこと微笑む×××にマルコを責める色が無く、多少は赦されているのだと、静かに瞬きをした。
「あァ、良いねェ。―それじゃ行くか」
 勘定をサッと手に取り、先に立つ。
「あ」
 ×××の小さな声を、マルコは背に受け、それでも紫のシャツが止まることは無かった。
 ×××が、喫茶店の外に出ると、マルコは大通りの向こう側に視線を投げていた。彼女が出てきた気配に、後ろを窺う。
 ありがとうとはにかむ彼女の帽子を掠めるように軽く叩く。あはと可愛らしい声が上がった。
「あァ、行くかい。次はどこを回ろうかねェ」
「何かあったんですか?」
「ン?大したもんじゃねェよい」
「はぁ、…」
「あ?綺麗な石だねェ。入るかい?」
「良いですか?」
「構わねェよい」
 隣を歩く×××としては、先程からチラチラと視線をさ迷わすマルコの様子が気になるらしく、声を掛けるが、首を傾げるだけで、ショウィンドウに視線を落とす。×××も気になったものの、言おうとしない彼に生返事をしつつ、つられるように視線を流せば、そこにキラキラして、巧緻(こうち)な作りが目を引くアンティークな店に目を奪われる。マルコの視線から×××が居なくなり、ふと後ろを見て、小さく笑った。声を掛ければ、遠慮を脇に押しやった×××が目に見えて明らかに喜んだ。
「きれいー…こういうの、ビスタさんとか好きそう」
「あァ、確かに」
「マルコさんは?」
「おれァ不得手だからな、直ぐ壊しちまう」
「あは、そうかもしれませんね」
「おい、×××。そりゃどういうことだい」
「嘘です!ウソ!きれいだなァ」
 金細工の小さな入れ物を手に取る。ディテールが細やかで、薄いそれは直ぐ壊れてしまいそうに見えた。静かなクラシックが流れる店内に、×××の控え目にはしゃぐ声。マルコは手に、エメラルドブルーの石と金が装飾されたネックレスを取り、直ぐに戻した。華奢な作りは力を込めたら簡単にバラけてしまいそうな感覚になった。マルコそっちのけに、精巧なアンティークに目を奪われる×××の華奢な背を見たマルコはクスリと小さく笑った。
「…ぁ、ま、マルコさん?スミマセン!私、夢中になっちゃってっ」
「良い良い。楽しそうだったよい」
 暫くして、×××は視界の端にマルコが居るのを見て、身を引きつつ見上げた。恥ずかしそうに染まった頬にマルコは目を細めて笑う。×××がいそいそ店の外の喧騒の中に身を投じる。それをマルコは悠々と追いかけた。
「ぁー、ぅー。行きましょうっ」
「ああ、その前に…」
 クスクスと笑うマルコに、×××はパッと顔を背けて歩き出そうとした。それをマルコの無骨な手が彼女の白い腕を捕らえることで止める。止められた×××が体を彼の方へ向ける。ほっそりとした手首にシャランと掛けられたそれは、先程マルコが手に取っていたネックレスと対になったブレスレットだった。青と金が絶妙な調和を醸し出し、繊細な金鎖が彼女の手首に纏わりついた。揺れるその度にシャランと軽やかな音を奏でる。
「ぇっ」
 ×××が小さく声を上げ、マルコを見上げる。彼の青と、手首の青は似ているように思えた。×××の頬が染まる。
「見てたろい?女は着飾んねェと」
「あ、ぁ、ありがとぅ…」
 マルコの少し意地悪な台詞と、表情が噛み合わない。×××が見上げて頬を染め、手元に目を落とす。ホゥ、と息を付いて撫でる。
「はは、じゃ、次は…」
 小さな白い手を取り、甲を親指の腹で撫でるように扱う。通りの向こうに目をやったマルコは一瞬撫でる手が止まり、スッと×××の手を離す。×××の視線がマルコに向く。彼は目を細めて、道の向こうを見ながら、申し訳無さそうな声を出した。
「…ワリィ×××、チィとばかし用事が出来た。一人で帰れるか?」
「ぇ?あ、はい…」
「すまねェ」
 ×××の声が落ち込んでいると思ったマルコは眉を下げながら、彼女の背を撫でた。近くにエースが居たら、彼女の側に居させられるのに。
「大丈夫ですよ!マルコさんもお気をつけて?」
「あァ」
 実際、そんな事にはならず、マルコは平坦な声で人混みに紛れ、×××は直ぐに見えなくなる彼の背を真摯に見つめ、暫く上を仰いで潜考し、踵(きびす)を返した。
 思ったより彼とは歩いていたみたいで、そして×××は無意識下に浮かれていたみたいで、森を抜けた事は覚えているのに、大通りから森は見えず、どこに進めば良いのかを見失っていた。見覚えのある店も見当たらず、平静を保ちつつ、×××はかなり焦っていた。
 目の前を行き交う人々の合間に見えたベンチ。座って誰か通るのを待とうか、と近づけば、目の前のベンチに悠々と座る男が見えた。もこもこの帽子を目深に被り、寝ているようだ。しかし、彼女が徐に近づけば、前振りもなく、顔を上げた。隈が目立つ、だがよく見れば精悍な顔付きの青年だった。
「あ、スミマセン!お隣失礼しても…?」
「あれ!お前、不死鳥の隣で歩いてた女じゃーん!?」
 え、と目を向けると、青年は一人で居た訳ではないらしく、白いつなぎを着た年齢不詳の男達が、彼の後ろに立っている。須く目元を隠すように帽子を被り、声を上げたのはキャスケット帽に、黒い三角のサングラスを掛けた男だった。マフモフの帽子を被る男は緩慢な動きで彼を一瞥し、×××を見る。ピクリと後ろへ一歩たじろぐ。全身を嘗め回すような視線を避けるように顔を背け、スミマセンと謝りつつその場を離れようとした。
「ヘェ…?不死鳥のマルコの女かァ…。隊長様は位がちげェんだな。女一人侍らすくらい造作もねェってか。それとも、アンタ上手いのか?」
 男の動作は素早かった。×××が離れようとする腕を掴み、引き寄せると、乱暴に顎を掴んだ。立ってみると、彼は恐ろしく足が長かった。細身だと思った体からは×××が身を捩っても振り払えないほど力強い。
「はな、離し、て」
「トラファルガー・ローだ。死の外科医、聞いたことくらいあるだろ?お前が声を掛けたのは海賊だ。ふふふ、どうした?不死鳥は居ないのか?」
「…私、」
 遠慮なく上へと引き上げられる顎に痛みを覚える。爪先で立っているのが精一杯で、トラファルガーに寄りかかることで体制を整える。顎を掴む腕に、自由なもう一方の手を添え、ギ、と爪を立てた。目に入った刺青が歪んだ。
「躾がなってねェな。名前を言ったら自分も名乗るもんだと思ってたぜ」
「×××よ。トラファルガーさん、私、戻らなきゃ、いけないの。ッう、あ、アナタも初対面の人には掴み掛かれと習ったの?」
 彼の背後に控えている白いつなぎの男達はワイワイと彼女の言葉を煽った。通行人は彼らを見るものの、遠巻きにして、目を逸らす。トラファルガーの低い声が、×××の耳を突いた。
「…雌犬が幅を利かせてるなァ。おれとお前随分格差があるが?媚びへつらっときゃ悪ィようにはしねェ…と言いたいが、×××は痛い方が好きか」
「外科医って言うのは下品なの?」
 フフと静かに笑うトラファルガーは、×××の腕を掴みつつ、通りから外れて、小道に逸れていった。ヤメテと抵抗する×××など物ともしない動作だった。
「戻りてェんだろ?」
「アナタじゃなくても十分でしょう?」
「おれが海賊だって忘れるなよ?お前を奪ってくことだって出来る…」
 ×××が突き飛ばすように彼の胸を押した手はそのままに、信じられないと驚愕に瞠目し、その隈で霞む精悍な顔を見る。大きく口を開け、怒りを露わにしようとしたところで、二人の間に一陣が舞った。
「×××!」
「…エース!」
 ×××とトラファルガーの間に炎が揺らめく。避けるように後ろへ飛び退いたトラファルガーは短く何かを叫び、炎が収まった時には身長ほどの太刀を肩に掛けていた。
「おい、何してんだ…!」
「ち、火拳屋…。ハァ、行くぞお前等」
 怒りを露わに、チリチリと肩が炎で燃えている。刺青で埋められたら手の甲を翳すトラファルガーは、暫し緊張の面持ちで彼と対峙したが、次の瞬間にはその緊張を解き、背中を見せた。
「おい!」
「火拳屋を相手する時期じゃねェって事くらいは分かるぜ?――じゃあな、×××」
 頭だけをエースと×××に寄越したトラファルガーは、ニヤリと目元を歪め、今度は駆けて、二人から離れていった。
「大丈夫か?マルコは?」
「あ、用事があるらしくって…」
「…取り敢えず、×××が無事で良かった…っ」
 ショックで呆然としているのかと思っているエースは、×××の肩を抱き込み、気遣うように船に連れて行こうとする。×××はそんな彼を傍目に、トラファルガーに言われた事を考えていた。
――海賊だ
――奪える
 どれも、金髪の彼とは違うと思った。
 今朝方、体調を心配して部屋を訪れた彼に言われた言葉全てに、×××を気遣うところが垣間見え、素っ気ない口振りに不器用な優しさを見たのだ。外科医に吐かれた言葉に衝撃は受けたが、×××の意志ははっきりとしていた。

君を誘う口実
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