text | ナノ

 閑静な朝。可愛らしい小鳥が鳴く。紛れて少女の息を呑む音。
「―…っ」
 自然と目を覚ますと、目の前に逞しい胸板。あれ、見覚えが有るような。寝ぼけた頭で昨日の事を思い出す。ううん、と頭をひねって、徐に視線を上へ…。立派なカイゼル髭。今は瞼の下に潜む鷹の目は臨めないが、×××は心臓が一瞬ギュッと縮まる感覚を覚えた。
 寝ているのか、×××が身じろぎしても表情に変化は無く、背に回る拘束がキツくなった。なった?
「はぅっ」
 多分、いや多分ではない。×××は抱きしめられていた。なんと!しかも彼は上半身裸なのに!×××は顔に収まらず、全身を真っ赤にそまっているのではないかと疑われるくらいカッ、と熱くなり、恥ずかしさにプルプルと身を震わせた。
 何とかその腕から抜け出し、ベッドの縁に落ち着く。昨日眠りに落ちていた筈のソファには寂しそうに毛布が引っかかっていた。ふぁ、と欠伸を漏らし、未だ眠りに沈むミホークを一瞥して洗面所に向かった。
「(朝になっても、異世界のまま…。仕事って言っても、大丈夫かな…、履歴書いるかな…ハァ)」
 一通り身の回りを整え、カーディガンを羽織る。洗面所から戻ってもミホークは朝見た時から位置が変わって居なかった。×××は呑気に惰眠を貪るミホークを呆れを滲ませた目で眺め、しかし、当然のように存在する唯一の頼みを感謝の意を込めて見つめた。
「いってきます」
 穏やかな気持ちでそう囁き、×××は宿を出た。

「お、お願いします!」
「いやあ×××ちゃん、宜しくね」
「はい!精一杯頑張らせて頂きます」
「オッケー、じゃ早速ランチの時間だから、エプロンこれね」
「はい」
 流石に何の身分証明書も持っていない×××を雇おうとする店はなかなか見つからなかった。食事代もさり気なく払ってくれるミホークに申し訳なく思っている×××はまかないを望めるような飲食店を当たって行った。
 どうやらこの街は特別観光があるわけではなく、長閑な一次産業に支えられているようだ。
 ×××を雇ってくれた店長は小さな飯屋で、少し奥の方の年季のある店だったが、長らく続いているのだろう。地元の常連客が主でそれなりに儲かっているらしい。一人で切り盛りしていた店長は自分の年もあって、丁度人手を欲していたようだった。×××が来たのはタイミングも良く、身分証明書が無くとも良いと、人を見た店長が即採用としてくれた。
「×××ちゃん、これを五番テーブルに」
 皿を洗い、注文を取り、簡単な料理も作る。店長が人を雇うのはとても珍しいらしく、料理を持ってテーブルに行けばやたらと店長に言葉を投げかける。
「新人かい?店長、趣味が入ってんじゃないかい?」
 そんなこと無い。店長は良い人。×××がニコニコと微笑んでそう言う。店長が続いて言葉を投げた。
「×××ちゃんは働き者だぞ、惜しかったな」

「ご注文は?」
「後片付けは、これでテーブル拭いて、皿も持ってくるんだよ」
「ありがとう御座いました、またのご来店を〜!」
 そんなこんなで怒涛のランチタイムも過ぎ、落ちつき始めた頃、穏やかな店内の雰囲気に突然の静寂が訪れた。何事だろうと×××がカウンターに顔を出すと、そこには今朝×××を抱きしめてグーグー寝まくっていた人。×××はボ、と頬を染めた。ただ、それは今までの忙しさに火照らせていた頬に隠された。
「あ、ミホークさん。い、いらっしゃいませ、どうぞ此方へ!」
 フリーズする店内で動ける×××が若干強引に、空いているカウンターの一席に座らせた。取り合えずお冷やとを出し、カウンター越しにを伺う。
「あの、ご注文は…、じゃなくて!なんでここにいるんですか!?」
「いちゃ悪いか」
「え!いやっそういう訳じゃないんですけど!」
「何処に行ったかと思ったぞ、起きればおれ一人だった」
 ん?なぜかミホークの様子が暗く見える。不思議と×××はミホークを見て、自分が悪いことをしたかのような罪悪感に苛まれた。王下七武海にもなる彼が一人の女に振り回されているのか?脇でフリーズしていた店長が一抹の疑問を抱き、×××に声をかけようとした。
「あ、×××ちゃん?」
「ひえっ!あ、ごめんなさい!取り乱しました!ミホークさん!ご注文お決まりになりましたら声をお掛け下さい」
「いや、良い、この日替わりランチを頂こう」
 スと節々がゴツゴツとした指がさすのは、日替わりランチ。差し替え可能な写真のところは可愛らしいオムライスとサラダ、×××はそれに目を止めると、彼との余りのミスマッチ加減に笑顔がピシリと固まった。
「…あ!はい、日替わりランチをお一つで…」
 注文を取り、厨房の方へ引っ込む。そして×××は重要な事に気が付く。
「(ランチはもう終わったんだった!)」
 注文したのを一度は了承したものを、もう終了しました、とお客様に言えるだろうか?ましてやあのジュラキュール・ミホークに。×××はううんと頭を抱え、取り敢えず店長に尋ねることにした。
「おや!…それなら、君が調理係になれば良い!初めての調理仕事だ、頑張りなさい」
 ケーキのトッピングをしている彼は、パチリとウィンクして、×××を奥に追いやる。そしてカウンターの方へ、ケーキとコーヒーをルンルンと持って行く彼を見つめる彼女は暫し硬直し、わたわたとあわて始めた。
「(うひゃああ。た、卵…!ご飯!)」

「お、お待たせ致しました。どうぞ…」
「うむ」
 大丈夫。家ではお手伝いを良くしていたし、オムライスだって弟が好きで良く、注文に上がるのだ。だから、オムライスを頼んだミホークが可愛く思えて…、×××はぐるぐると目が回る勢いで焦っていた。わざわざケチャップでよくやる、人の名前をあしらうくらいには。
「…主、これは何と書いた?」
「え?」
 だからか、ミホークがスプーンでそれを伸ばそうとしたのを止め、彼女に問い掛けた時、×××は本気で何が可笑しいのかが分からなかった。
「ミホークって書きましたけど…って、ああ!」
 微かに首を傾げる無表情な彼にそう言う。そう言って×××は自覚した。カタカナでミホーク、と書かれたそれは、よくやることで、それが弟位が対象年齢で、許容範囲で、もう壮年期も入った素敵なオジサマにする事ではないことを。
「?」
「わー!け、消してください!」
 恥ずかしさが爆発した×××はトレイを上に引き上げた。恥ずかしさに顔から火が出るとはこういう事かとテンパりすぎた脳味噌が変に冷静な判断を下す。
「ふむ、なかなか…これは主の国の言語か?」
「あ、あ、そうで、す」
「そうか」
 だが、ミホークの方は×××の恥じらいを其処まで卑下にすることも無いと思った。角張った字体、見覚えはあるが、読めないそれは、彼女の自国の国の言語と知り、消してしまうのが惜しいと思った。
 じい、とオムライスを見つめるミホークに、×××は何と声をかけて良いか図りかねて、そして店長に呼ばれるのを切欠に、そこを離れた。
「あの、消して下さいね…?では、ごゆっくり」
 返事は無い。×××は未だオムライスを見て硬直する彼を心配そうに何度も振り返りながらカウンター内に戻っていった。
「美味であった。また来よう」
「っありがとうございましたー!」
 ミホークが、ケチャップの部分だけ綺麗に残そうとする無謀な食べ方をし、見事滅茶苦茶にして食べ終わった彼が、賞賛するのは忘れなかったが、目許に影を作りながら帰る。×××は、自分が作ったそれらを誉められ、どうしようもなく気持ちが舞い上がるのを感じた。
 ×××は相変わらず忙しく働いた。食器の後片付けが終われば、翌日の仕込みが入り、3時〜5時の間の休憩を挟んで、夜はちょっとしたディナーにちょっぴりのお酒。それも過ぎて、夜が更けてくると、違った種類のお客様が多くなった。
 地元のお客さんの中でも、お酒が入っていると違うのは、仕方ないのか、昼間よりも必要以上に×××を呼び止める声が多く上がる。これは、普段従業員を雇わない彼の体制にも関わっているところがあるのだろうか、ニコニコと笑みを絶やさない彼女にも疲労の色が見えてきたころ、店長がチョイチョイとてこ招く。
 申し訳なさそうに色々と断りを入れ、急ぎ足で、彼の側へ向かった。
「はい、何でしょう?」
「ごめんね、こんな感じになっちゃったけど、一応お疲れ様。今日はここまで。さ、気をつけて帰るんだよ」
「、はい!ありがとうございます!お疲れ様でした。失礼いたします」
 ×××の少し青い顔をみて、店長は困ったように笑った。何時もはこんな感じてはないと言いたげな表情で見つめるが、×××は彼の意図など把握しないまま、ぺこりと頭を下げた。彼女にとっては、身分もなにも証明出来ていない自分を拾ってくれた店長には感謝の意しか無かった。
 脱いだエプロンは預かるとのこと、×××はペコペコと頭を下げながら裏口から、人工的な光が少ない通りに出た。空を見上げれば普通なら見れない満天の星が伺えた。ポケーと空を見上げつつ大通りに出た。どこの世界に居ようとも、変わらない所は存在するのだと感心して、半月のちょこっと太った月を見た。
「主、」
 ポコポコと見えるクレーターは、うさぎに見えるとか、「おい、何処へ行く」話には、蟹にも見えるらしい。×××は自分はどれに
「×××」
「きゃ!あ、ごめんなさい」
 急に名前を呼び止められ、腕を掴まれる。怯んだ×××は後ろに下がると、トン、と固い何かに当たり、上を見上げた。金色の目が×××を射抜く。
「…何をしている」
「え、あの、宿に戻ろうかと…」
「宿なら向こうだ」
 呆れが含まれる声。掴んでいた手を離し、スッと向けられる。×××の進行方向の真逆。
「わ!間違えた」
 パッと両頬に手を添える。くるりと体を捻り、ミホークと向かい合わせになる。その時に香った酒のそれに、ミホークは密かに眉根を寄せた。
「見上げながら歩くのは如何かと思うぞ」
「見てたんですか!?声を掛けて下さいよ〜恥ずかしい」
「掛けた」
 悟らせないために開いた唇から出た言葉は、彼が思っていたより、表情にマッチしていると思った。但し、彼の表情筋と言えば、著しく萎えていたので、それも×××に伝わることなく、きゃあきゃあと恥ずかしさに頬を赤らめて、それを隠すように声を上げた。そして、それさえ許さない風の彼の一言に×××は言葉を詰まらせた。
「う、…もしかして、迎えに来てくれたんですか?」
 暫し沈黙が落ち、怖ず怖ずと彼を見上げる×××はまだ頬に赤が差していて、無意識な上目遣いは、一般的に可愛らしいものだが、ミホークは真摯にそれを射抜くのみで、顎髭をさすった。
「何時に終えるのかを聞いていなかったからな」
「あ、ありがとうございます…」
 当然のように返される言葉に、彼女はまたも羞恥に顔を俯かせた。行くぞと低い声。遠ざかる足音。目を向ければ、夜に溶けそうなロングコート。太刀は姿差しで、彼の背にギラリと光る。彼が、行くと言えば、彼女が付いてこなくともミホークと言う男が足を止めることはない。×××は、遠ざかる彼が、人混みに一瞬チラリと欠けたのを見て、漸く彼の背に追い付こうと走り出した。思えば、もう当たりは暗く、高校生な彼女が普段出歩く時間はとうに過ぎていた。ちらちらと彼女を見てくる人々は、昼間と違って、夜の効果か、少し怖い感じもした。
 ×××は、距離にしてみればそれ程でもない間を生き急ぐように埋め、派手な羽根飾りを付けたボルサリーノを被る彼の斜め後ろに付いた。チラリと鷹の目が×××を捕らえる。その目が、はぐれるなと言っているように見えた。本当に直感でしか無いのだが、×××がそう自覚した時には、己の手はキュッと彼の袖を掴んでいた。
「皺になる」
 此方ならば赦そう。と差し出される手。×××は迷わず小指を掴んだ。離されて、大きな手が×××の小さな手を包み込んだ。パッと見上げる。まあるく見開いた目は、金色の目が微かに歪むのを見た。

鷹、子猫の愛で方を知る。
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