text | ナノ

「おはよう、ねこちゃん」
 自然と醒めた目に一番に飛び込んでくる毛玉、一通り昨日の事を思い出し、そういえば猫を拾ったんだと結論付いた。丁度もぞりと動くそれに声を掛けると、またしてもビクッと過剰反応を起こし、怪我をしているのにも関わらず、俊敏な動作で私の元を離れた。
「駄目じゃない、激しく動いたら…」
 若干の驚きを目で示し、呆れを含ませながらのそりと猫に近づく。ハーッと威嚇する言葉と同時くらいに副声音のように英語が流れた。私は昨日の事を思い出し、もしかして、この声は猫のものでは無いかと思った。
『こう?あなたね、怪我してるのよ、激しく運動しちゃ傷に響くし、大人しくしていて欲しいの、オーケー?』
 猫は背中をク、と丸め、毛を逆立たせながら此方をジッ、と睨む。私は何もいわなくなった猫に少し困ってしまって、取り敢えず、と切り出した。(以下英語での会話)
「ねこちゃん、まず自己紹介しない?あなたこの言葉理解できるんでしょ?私、×××って言うの。ボロボロで死にかけの君を昨日拾って保護してる大学生。出来ればこれからも君、この家に住まない?私、うんと可愛がるから、」
 ジ、と此方を見つめる猫に私はまばたきをして、此方に戦意は無いと伝えた。ちゃき、と神経質そうに床にキッチリと座る猫はヒゲをピクピク痙攣させ、フミャアと鳴いた。英語は聞こえなかった。
「?オーケー、肯定って意味で考えるね!じゃあご飯食べちゃおう?おいで」
 カカカカ、と不満そうに鳴く声を無視。抱き上げた時に立てられた爪も顔をしかめる程度で無視した私は猫を二脚あった一方の椅子に置き、ランチョンマットを猫にだけ用意した。昨日の夜再び寄ったコンビニで買った数個の猫缶を空け、スプーンでこちゃこちゃと解した。他に足りないビタミンを粉末で追加する。ソーサーに水を入れ、今日は乳糖が含まれていないミルクを買いに行こうと思った。自分には簡単にサラダとベーコンエッグ、焼いたパンにマーガリンを塗って、インスタントのコーンスープを用意した。
 用意した朝食をリビングに持って行くと、猫は椅子から消えていた。
「…ねこちゃーん、ご飯が出来ましたよー」
 食事を並べて、寝室や、コタツの中を覗く。トイレもみたが居ない。風呂場?居ない。カチャリ、と微かな音にパッ、と振り向くと、猫は人間用のトイレから出てきた。
「ねこちゃん…、トイレ出来るんだね…」
 みゃぉう、と一鳴きする猫だったが、トイレを見たら、流して居なかった。まぁ、仕方ないか、と代わりに私が流し、ふと、もしかしたら飼い猫なのかも、と思った。にゃーにゃー、とリビングから聞こえる鳴き声にその考えを中断した。
 猫は椅子に立ち、テーブルの縁に手を掛けていた。尻尾がゆらゆらと左右に揺れる。私の顔を見て、再びにゃぁーと鳴いた。
「なあに?ご飯よ?」
 にゃあ、パシパシと不満を尻尾で表現する。私はこの猫缶があわないのかな?と思ったけれど、次の瞬間、猫がサッと机に飛び乗り、私のご飯に向かうところで声を上げた。勿論テーブルに走り寄り、体を捕まえる。
「駄目!猫なんだから人間用のご飯は毒なんだよ!?」
 カカカカ、と喉を鳴らす。それでも私は譲らなかった。
「何が気に入らないの、ちゃんと栄養もバッチリなのに、」
 眉をハの字に下げれば、腕の中で猫が身を捩り、私の顔を見上げた。スカイブルーがキラキラと光に反射し、私の困り顔を映す。そしてやっと大人しくなった。尻尾が哀愁感を滲ませ、力なくだらりと垂れる。再び私の向かいの椅子にクッションを追加させ、座らせる。今度は渋々と言った様子で食べ始めた。それを見て、私も遅い朝食に手をつける。今日が始まって少ししか経っていないのに少し疲れたように感じた。
「そういえば、名前…。て言うか、君、飼い猫なの?」
 嫌々食べる猫に、独り言ぽく喋ると、猫は顔を上げた。みゃう、と鳴いてパシパシとランチョンマットを叩く。その真意を図りかねてると、猫は再びテーブルに飛び乗り、猫缶が半分も残った皿をグイッと鼻で脇に押しやった。私は途中でそれを請け負い、ランチョンマットから完全に下ろした。うにゃうにゃ言った猫は不思議そうに曖昧な表情を浮かべる私を見て、ランチョンマットをパシパシと叩いた。アルファベットが散りばめられた可愛らしいカントリー風のそれは留学してきた時に購入したものだけれど、と思った所で、猫がトン、トン、とMを二回叩いた。次に少し間を置いてA、R、途中Eを踏んで、C、最後に尻尾で器用にOを指してうにゃうにゃと鳴いた。
「MMARECO?」
 シャー!と声を上げる。副声音でバカかよい!と聞こえた。何でこんな時に聞こえるんだと少しムッとしたが、上手く理解できなかったので、反省しつつごめんと謝る。
「ごめんね、もう一回やってくれる?」
 猫はグルグルと喉を鳴らし、バシバシとMを二回、バシバシとAを二回、その後二回ずつR、C、Oとランチョンマットを叩き、フン、と鼻を鳴らした。
 私は猫がこんな事をする時点でなんて賢い子なんだと感心し、やっとこの猫はマルコということが分かった。
「MARCO!マルコでオーケイ?」
 にゃいにゃいと答えるマルコに私はかなり感動した。猫が自分で名乗ったと。
「じゃあ、マルコ、君って飼い猫?」
 ハッ、と鼻で笑った。どうやら違うらしい。私はニコッと笑って此処に住む?と尋ねると、今度は黙りこくり、尻尾を不機嫌そうに左右に揺らした。
「ね、だってまだ怪我してるのよ?それに弱った野生は仲間に苛められちゃうでしょ?」
 マルコは溜め息をつき(猫なのに!)、にゃー、と鳴いた。まるで仕方ないから居てやるよ的な、ふてぶてしさだった。それでも無類の猫好きな私はワッ、と声を上げて喜んだ。
「これから宜しくねっ」
 他よりも毛がピヨピヨとはねている頭部を包むように撫でると猫パンチで落とされた。
 可愛い可愛いとなでくりまわし、私が大学に行ったのはその一時間後で、マルコに猫パンチを数発くらい、完全に拗ねてしまってからだった。

白ひげ海賊団、一番隊隊長の受難

 午前中にあった講義を一つ終わらせ、久しぶりに大量購入した猫用品を片手に帰った私は、部屋が荒れに荒れまくっているのに驚愕し、ベッドに丸まるマルコを見て、怒れなかった。ぐったりしている彼を抱き上げ、取れてくちゃくちゃに絡まっている包帯をまとめ、傷に消毒し直し、ガーゼも変えて包帯をまき直した。ぼんやりと目を開くマルコの鼻面と狭い額にキスを落とし、ただいま、と笑いかける。グイッと手で顔を押され、床に落ちた。
「マルコ、午前中寝てたの?退屈だったでしょ?ごめんね。」
 頭を一撫でして、壊れたカーテンレールに針金で応急処置を施す。昨日の汚れた衣類やタオルが干されているベランダのカーテンはレースカーテンがビリ、と引きつった所が随所にあったが、気にするほどでもないと思い、放置する。洗濯物を取り込み、一通り片付けをしているとマルコがスリ、と控え目に体を擦り付けてきた。可愛いっと心の中で悶えて、どうしたの?と微笑みかける。みゃぁと小さく鳴く声はまるでごめんねと言っているようで、大丈夫と答えて撫でた。
「昨日の今日だもの、一人で心細かったでしょ?」
 悉く床に落とされた小物を拾い上げ、再び棚に戻しながら言う。マルコは私の足元でスリより、それなりに反省しているらしかった。
 あんまりにも可愛いものだから抱き上げると、抵抗もせず、ごめんねと言うように頭を顎の下にグリグリと押し付け、ザラザラした舌でペロリと舐められる。クルル、と鳴くマルコに怒ってないよ、と囁き、抱えていない手で、カリカリと顎のしたを撫でた。にゃー、と鳴くマルコはポテ、と私の胸元に頭を寄せ、静かになった。
 私はそんな彼を抱えて、大学でやってきたことのまとめとか、卒業研究の資料を纏めるためにパソコンを開き、マルコを膝に置いてパチパチと作業を進めた。どれくらい集中してたのか、喉が乾いたなと思って紅茶を用意して(マルコには無乳糖のミルク)、戻ると、彼はキーボードに乗っかり、画面をジッと見ていた。丁度デスクトップになっていた画面は四色で塗り分けられた世界地図でロンドンが中心になって描かれている少し珍しいものだ。それをマルコはジー、と見つめていた。
「マルコ?」
 ミルクを彼の脇に置きながら座ると、マルコはにゃー、と鳴くだけで、画面に集中していた。
「マルコ、キーボードに乗っかかれちゃ作業出来ないよ。」
 クスクスと苦笑を漏らして、マウスでつい先ほどまで開いていた画面に切り替える。マルコは驚いたのかみ゛ゃと鳴いて私の膝に戻った。それで思わず声を上げて笑ってしまえば、マルコは不機嫌そうに尻尾を揺らしながらナーと低く鳴く。
「どうしたの?何か珍しいものでもみた?」
 うにゃうにゃとパソコンデスクに手をおき、キーボードのスペースキーを押しまくる。何処にも記入バーは無かったので、画面の左上に白紙がタタタタタ、と増えただけだった。
「マルコも勉強したいのかな?パソコンに興味津々な猫初めてだよ」
 首をクリ、と此方に回したマルコはにゃいにゃいと鳴き、またパソコンに顔を向けた。あ、とここで閃いた私はワードを開き、文字を大きめに設定して、英文を書いた。にゃ!?とマルコが反応する。え!?と今度は私がビックリしてしまった。自分の名前をさせるなら英文も理解出来るのかと思って、マルコ可愛い、隣にミルクがあるよ、と打っただけなのに、反応したのだから。うーん偶然?と思って、マルコに話しかける。
「あのね、これで(と言いながらキーボードを指す)文字が打てるの。小さなアルファベットあるでしょ?それでここで半角開けられる。どう?打てる?」
 キーボードを少し奥に押して、手前にスペースを作り、マルコをそこに置く。私の書いた英文に続く驚きの単語。暫く何も表示されなかったが、続いてさっきの画像は何?と間違った箇所をそのままに続けられ、少し読みにくいものの、立派な英語が綴られた。
「ええええ、凄いねマルコ!で、間違ったらこのボタンで消えるから。それでさっきの画像ってこれ?」
 デスクトップを表示すると、にゃいにゃいと鳴く。声が明るく響く。私は撫で撫でと頭を撫でながらニコニコと笑う。端から見ればだらしがない程頬を緩ませて手の平を何回往復させ、口を開いた。
「マルコは勉強熱心だね!これは世界地図だよ、因みにイギリスの首都、ロンドンを中心にした地図で、国々が四色に塗り分けられているのは、平面または球面上――まあ地球儀とかだね――それらのどんな地図も四色で塗り分けられるかと言う問題で、一八七九年にA・ケーリーによって提出され、証明したのは、ああ、証明って言ってもパソコンで作成したツールを利用してるから、本当にそうか、て言われたら何とも言えないんだけど…。イリノイ大学のケネス…て、ここまで説明しなくていっか、ごめんね、ちょっと興奮しちゃった、」
 う、うにゃ、と若干引いた声だったが、その後も様々な質問が繰り返された。特に熱心に聞かれたのは海関係で、海峡何万メートルか、という地形から、海賊の歴史や最新の(私としては此方がメイン)航海技術、魚影探査機まで事細かく説明し尽くし、どちらともぐったりし、我に返ったのは外が真っ暗になり、クゥ、と私のお腹が鳴ってからだった。
 マルコに内心、私の頭には大型の辞書でも入ってんのかよいと1:9で尊敬、どん引かれているのは×××の知る由も無いところだった。

<-- -->

戻る