text | ナノ

 背後には潮風に晒された、ささくれ立った扉のみ。ワックスは禿げ、随分木の水分も失われたように、元気も無く打ち投げ出されている。
「(どうして)」
 少女はその象牙色の肌を惜しみなく晴天の下晒していた。素っ裸の状態で、まるで南国のリゾートビーチにあるかのような星砂で埋め尽くされた砂浜を、あっちへこっちへ歩き回った。既に裸であることに羞恥心を覚えなくなった。なにせ、彼女一人しかここに存在していなかった。背後にはうっそりと森が存在し、入る気にはならなかった。変な声が聞こえる。地面も湿って、裸足で歩けと、砂浜と比べるなら、彼女に選択肢は無かった。
「(無人島なのかも)」
 彼女はゆっくりと歩を進め、森沿いに落ちていた、大きめの葉を一枚その手に増やして、元の位置、つまりあの干からびた扉の隣に座った。申し訳程度にその葉を大事な所に当てた。髪を前に持って行き、辛うじて胸を覆う。それでも、無いよりか、人魚のように貝で覆うより、まだ辛うじてマシ、と言うように。ふう、と息を付き、緩く体育座りで、腿の裏にやんわりと細腕を差し込み、指同士を絡ませた。目の前に広がる大海原は青く、空との境界線を忘れるように穏やかに存在した。もし、このような状況でなければ、感動のため息を何度でも吐いただろう。落胆のため息を落として、少女は思った。
「(どうして、ここにいるんだろう。あの扉、家に繋がっていれば…、いいのに)」
「ここで何をしている」
「!」
 低い、ゆっくりした声だった。突然現れた自分以外の声に少女は驚いた。そしてその言葉にも。風に吹かれないよう、髪を抑え、声の主に振り向いた。黒いボルサリーノに白い羽、ファーが大袈裟に飾られている。やっぱりここは南国なのだろう、大胆に開いた派手なシャツ。おじ様と呼んで良いのだろうか、がっしりと筋肉に覆われた胸元には十字架。黒いロングコート。グレーのスラックス。脛ほどまである黒いブーツにそれをしまいこんで、何故かそこだけ暑苦しそう。独特なもみあげに、髭。帽子の下から覗く目は黄金に輝き、つり上がっている。たとえるなら、猛禽、鷹のようであった。
 チロリ、と視線をその人に投げ、以上を考える間をたっぷりともってから、口を開いた。
「(英語だ…)だれ?」
「質問したのは俺だが」
「(聞き取れないよ〜)」
 いつの間にか彼女の横について、下を見下ろすわけでもなく、海を真っ直ぐに見据えた男が言う。質問に質問で返されたことに対する苛立ちも見えず。無表情で、限りなくマイペースを崩さなかった。
「ここで、何を、している?」
「…海、見てた」
「その格好でか?」
 恐らく、彼女の答える言葉が、たどたどしく聞こえたのであろう。最初に話しかけてきた時よりもゆっくりと、文節に区切りながら話した。ご丁寧に素っ裸の体まで指を指してくる。
「服が無いの」
 彼女の姿や様子を見て、男は赤ん坊がそのまま大きくなったみたいだ、と思った。顔を下に向ければ、眉を不安げにハの字にする少女。元々小さいであろう体を、余計小さく丸めて、不本意ながら庇護欲に似た何かを男は覚えた。
「…俺の名はジュラキュール・ミホーク、主、名はなんと言う?」
 自分が羽織るロングコートをその小さな少女の肩から掛けてやる。すぐ隣から息を呑む音が聞こえた。本能か、直ぐにそれを掻き抱き、ピッタリと体に集めた。そして白く小さな指先だけが前で合わせたそこから覗く。黒い目が男を捉える。カッ、と頬が赤く染まった。小さく、日本語でありがとうと言い、自分の名を名乗った。砂浜に指を伸ばし、自分の名をローマ字で書く。その横に小さく漢字を添えた。
「×××」
 ミホークと言う男が目を分かるか、分からないかの範囲で見開く。
「あの、あ、…ありがとう」
 ×××は直ぐに英語で言い直した。日本語がミホークに伝わらなかったのだろうと、とっさに出た母国語に恥ずかしくなり頬を更に赤く染めた。砂浜の漢字の方の名前をぐしゃぐしゃに消した。
「主は…不思議だな」
「…何故?」
「俺が怖く無いか?」
 ×××はミホークの言葉に何故怖いなどという言葉があるのだろうと不思議に思った。彼が彼女の目の前に現れてから、怖いと思うような事はされていない。
「どうして?あなた良い人」
「俺は海賊だぞ、世界政府に所属する王下七武海のジュラキュール・ミホークだ」
「?」
「世界政府」
「?」
「七武海」
「もう一回言って」
 まだ星砂が付いた指をピ、と上げる×××を見て、ミホークはため息をついた。立ち上がり、彼女から離れる。
「え、どこに…」
 ×××がつられて砂浜から立ち上がり、砂を落とす。引きずりそうなコートの裾と、自分の前を抑え、彼の後を小走りに追った。ミホークはチラリと彼女が後ろを雛のようについて行くのを一瞥したが、歩みが止まる事は無く、それは彼が乗っている棺桶型の小船の所まで続いた。
 畳まれている帆の前にソファが一脚。一人で悠々と座れる程。肘置きに立てかけられた新聞を手に取り、その一面を彼女に示した。そこには海軍や、ミホークの写真。そして彼が繰り返し言った王下七武海の英字表記。×××はそれを手に取り、彼と見比べた。見出しを声に出して読む。
「王下七武海…、…王下七武海」
「やっと分かったか」
「どうしよう!」
「ん?今になって怖くなったか?」
 新聞から目を逸らす直前、下の小さい記事に麦藁帽子の、満面の笑みが可愛らしい、のに反して目の下の傷が生々しく写る写真が見えた。×××の脳内が真っ白になる。
「ここは、どこなの…!?」
「どうした、主がここにいてここを知らない?」
 ×××が母国語で喚く。
「え?」
 此方の公用語は英語では無かったか?思わず一人で盛大な独り言を日本語でペラペラと、しかしそれを彼が理解出来るだなんて…?それに彼の言葉も日本語のようにスムーズに頭に入ってきた。どっちにしろ×××にとってみれば、話しやすいことこの上ないので、直ぐに頭の端に些細な問題として投げ捨てられた。しかし×××の疑問の籠もった声をミホークが拾う。
「主がそう言ったのだろう?」
「そうじゃ、なくて…ああ、もう、都合は良いから…。取り敢えず、私はあなたのこと怖くだなんて、やっぱり思えない、です。そりゃ、海賊だって言っても、私、あなたにコート、貸してもらったし、あ、返しますこれ、ありがと…」
「良い、着ていろ」
「え、でも、」
「その格好でどこへ行く気だ?」
「あ…。そうでした」
「それに主、まただ。質問に答えろ」
「え?」
「…知らないでなぜここにいる?」
「あ、あのう、その、本当に分からないんです、この新聞に乗ってる事、文字は読めるんですけど、内容が全然さっぱり…」
「…記憶喪失、か」
「(やっぱり、ワンピースの世界、なのかな…、ドッキリとか、…ないよね)」
 一度そう自覚してしまうと、本当にいいようの無い衝動に襲われる。脳みそがクラクラと、この世界で暮らすのかと、頼りなんか無いのに。そんな覚悟なんか持ち合わせてなんか居ないのに。全然、喜べない。家に、かえりたい。
 ×××は力が抜けたようにしゃがみこんだ。コートがフワリと広がる。新聞を砂浜に落とす。手を付く。×××は指に絡みつく綺麗な星砂を見ては憎く、理不尽な怒りと、虚無感を抱いた。突然の×××の行動に、ミホークは目を見開いた。突然饒舌になった彼女の、絶望を滲ませた怒りの悲鳴に、次は茫然自失のような投げやりな言葉に、最後は無言でハラハラと涙を流す。前を綴じ合わせる手を失ったコートはよれて、彼女の大きくは無いが、形の良い膨らみが分かる程度にははだけてしまっていた。意図しない色香にミホークは再び驚き、気付かれない程度の挙動不審になった。
「…」
 流石に泣かれている女子供を放置するほど人非人では無かった。女に合わせてしゃがみ、海に向かって座ると、彼女を足の間に、向かい合わせになるよう座らせる。胸元にコートをきっちり巻きつけ、大きな手のひらで頬を包み、流れる涙を拭った。漸く彼女の焦点が彼の目に定まる。
「ふ、う、ああぁ…っ、うわあああぁぁん!」
 年相応の、子供らしい表情。クシャリと大声で泣き始めた。目の前の胸板、ミホークにすがりつき、わんわんと泣く。ミホークは内心溜め息をつき、取り敢えずこの不思議と放っておけない少女のその栗色のねこっけ髪を撫ではじめた。

「…すみません」
「…」
 途中から気付いてはいた。あんなに泣けば当然他からも水分を出そうとすることくらい。ただ、彼女の涙に紛れて気付かなかっただけだ。ミホークは落ち着いた彼女が気まずそうに体を彼から離そうとしたとき、みょんと伸びた鼻水に、お互い絶句した。
 段々と時間がたっていくようで、昼にしては遅く、夜にしてはまだ早い、そんな太陽の位置、ミホークは海の浅い所でバシャバシャを汚れたそこを海水でしつこいくらいに洗った。その光景に×××は口を出せず、ただ、恥ずかしいと思った。そして自分も顔をサッと流す。乾きかけの顔はヒリヒリと痒くなってきた。
 ミホークはほぼ全身海水に濡れて戻ってきた。×××は、目の前まで来た彼に声をかけようとして、
「あの、お!」
 彼に抱き上げられ、声がひっくり返った。思わず首に手を回す。彼の顔が彼女の胸のあたりにきてしまった。
「わあ!ごめんなさい!」
 慌ててコートを合わせる。今の彼女は彼の腕にお尻を載せ、足を抱えられている腕の反対側に垂れ、片手を肩に、それでバランスをとっていた。お姫様抱っこだなんてものではなく、小さい子にやってあげるような抱っこをされるほど、小さく無いのに。その思いが彼女に羞恥心を煽った。
「ああ歩けます!おろし…」
「森を抜けるのか、裸足で」
「…」
「町に行く、大人しくしていろ」
「あ、無人島じゃなかったんですね、でもなんで町へ私も?」
「主にコートを返してもらわなければな」
「そう、ですよね!」
 それに、自分も彼も海水で濡れていた。どちらにせよ、彼は街に用があるだろう。
「私を放置しても良かったのに、」
「…主は想像以上に面白い、それにここで打ち捨てる程、俺は冷徹でも無い」
 無表情の口元が数ミリ、動く。目は猛禽のよう。楽しい。表現するにしては余りにも薄く、明らかな感情であった。×××は、その軽やかな言葉を聞いて、口噤んだ。唯一頼れるナイスダンディ。此方へきて初めての安堵に、同じように口端を持ち上げる。その言葉には素直な感謝が踊っていた。
「ありがとう、ございます」

鷹、迷子の子猫を拾う。
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