「おお、おォ。ヒデェ髪だ。アンリエッタに切って貰え」 「…はい」 何時か入った船長室に、付着した血と、臭いを落として、綺麗に身支度を整えた×××が訪れる。髪は一つに括っていたが、短いのと長いのとで、不格好な様子にだった。既に、彼女以外の、者達は揃っていた。八番隊隊長、魚人のナミュール、半魚人の隊員三名、マルコ、船長であるエドワード・ニューゲート。×××は、マルコが体を半分程ずらし作ったスペースに立ち、エドワードにぺこりと会釈をした。返事するようにエドワードが緩慢に頷き、ナミュールに視線を移す。 「それで、ナミュール。言いてェことは?」 「悪かった。おれが、コイツらに対する配慮も足りなかった。隊長として、謝らせてくれ」 ×××の方に体ごと向け、海賊にしては丁寧に謝罪の意を伝えた。言い終わると同時に、×××が返事する間も無いまま、隊員が動いた。 「ナミュール隊長!×××さん!おれらが悪いんです!考え無しの言動を、無かった事には出来ねェが、この通りだ!済まなかった!」 「怒ってませんし、気にしないで下さい。マルコさんに対する誤解が消えたなら、問題は無いと思いますよ」 再び三人が頭を下げた。隊長の姿を見上げてはそわそわと落ち着きが無かったのは、このためか、と×××が頬を緩める。実際、かの事は彼女の中で不問になっていたので、今更怒ることなど無かった。寧ろ、彼らの気持ちが全面的に家族に向いているのに安心さえ覚えた。 「そうか…。いや、でも、×××さんにも酷いこと言いましたし、謝らせてください」 「―分かりました」 そろそろと体制を戻しつつも、深い反省が見える彼らに、×××はチラリとマルコを見上げた。気だるそうに細められた目が一回、静かに瞬きをして、微かに顎が引かれた。おれも、気にしてねェよ。と呟く。その腑抜け面どうにかしろい、と三人に向かって続けられた言葉は、マルコが何時か言われた言葉だ。ニューゲートがグラグラと笑った。 「気の強ェ女だ!で、×××、てめェはどうすんだ?おれにはてめェが海賊だって聞いたんだがなァ、マルコ専属の捕虜は終わりか」 「いえ、海賊の捕虜で考えてくださって構いませんよ」 「なっ!」 驚きに声を挙げたのはナミュール達で、マルコは眉を寄せただけだった。何でと、続きそうな彼らを尻目に、×××は再び強く釘を刺した。 「私は白ひげ海賊団の船員になったつもりはありませんから」 「―グラララ!ハッ!本当に大した根性だ!おい×××、おれの娘になれよ」 「…」 ニューゲートが、上機嫌に声を上げる。彼の期待に答えられない×××は、困ったように薄く笑った。 「オヤジ、」 マルコが彼を呼ぶ。一頻り笑ったニューゲートは、口端を吊り上げて、ニヤリと笑った。直ぐ、眉がハの字に垂れ、ハァと大きな溜め息をついた。シッシッと大きな手で払う。 「わーった!分かった!×××、お前が望めば何時でも白ひげは、お前がクルーになることを歓迎してるぜ」 「…ありがとう、ございます」 船長室を後にした×××は、医療室に向かった。彼女は、×××の髪を見て悲鳴を上げた。 「まあぁ!大変!一体どうしたのよ!」 「え、と」 「信じられない!マルコ隊長は一体何をしてたの!?×××まさか、あの海戦の中にいたわけ?」 手を口に当て、入ってきた×××に駆け寄る。ペラペラと絶え間なく続くマシンガントーク。×××の側までくると、今度はじろじろと切れた髪を注視し、一房手に取る。アンリエッタの手から滑り落ちた短いそれに再びマルコへの恨み言がつらつらと並べ立てられた。 「あの、マルコさんは助けてくれたんです!これは、私が悪いだけで」 「全く!此方へいらっしゃい」 ×××の、マルコを養護するような言葉は聞きたくないらしい。胸の前で、両手を上げる×××の片腕を掴むと、グイグイと引っ張った。 「はい…」 診療台に座らされ、一つに縛ったゴムを取っ払われる。痛ましい表情に、×××も誘われるように顔を伏せた。 「勿体ないわァ、折角綺麗に伸びていたのに」 「はぁ、でも元々切ろうとは思っていたの」 「何故!?こんな神秘的な黒なんてなかなか無いわよ。私が全力で整えるわ」 「あ、りがとう?」 「ハァ〜勿体ないわァ、綺麗ねェ…」 整えてくれるという彼女が、メスを取り出し、必死にそれを取り押さえ、きちんとしたハサミに持ち替えてくれるまで、かなりの時間を要したりもした。 シャキシャキと気持ちいい音。度々これくらい?と鏡を取り出したりと、アンリエッタは嬉々として髪を切っていく。最初の一太刀で、随分と軽くなったと思った髪は、また更に短くなっているようだ。アンリエッタの会話に目を閉じて耳を傾ける。彼女の質問にまた一つ答えた所で、アンリエッタがまた悲鳴を上げた。ピクリと肩が震える。 「ハァ!?じゃあなたまた、お父様をフったの?どうしてよ」 「…だって、船員には反対されているし、私、役立たずだから…」 既に髪は切り終わり、パタパタと後片付けをしているアンリエッタの背を、×××は見つめた。フワフワと揺れる蜂蜜色の金髪が流れていた。 「×××、あなたって本当にネガティブだわ。そしたら?サッチはどうなるのよ。私、彼の行動一つ一つに苛つくっていうのに」 「え!でも、サッチさんは優しいし、気も利くし、アンリエッタ、あなたにもそうじゃない?」 毛の後始末をし、立ち上がったアンリエッタが、耳に髪を掛けた。呆れたように腰に手を付く様子まで様になっていて、×××はニコリと笑った。 「それよ!ああ〜。誰にでも良い顔するんだから!」 「そう…、アンリエッタ、それって嫉妬?」 「なァに馬鹿言ってるの!そんな訳ないわ、私があのフランクパンみたいな髪型なのを愛せると思って?はいっ!終わり、さ、マルコ隊長にでも見せてきなさい」 ケラケラと笑い飛ばす彼女を見ても、羞恥心が見えない。×××は、一瞬だけみえた驚愕の表情が、彼女の本心だと思って、それ以上、彼と彼女について追求する事は諦めた。第一、アンリエッタは白ひげ至上主義なのだ。下手に煽っても、喜怒哀楽がはっきりとしている彼女に言うのは得策ではないと思った。 「…はぁ、ありがとうアンリエッタ」 「良いって事よ。さ、しっかりね」 何をしっかりするのか、なんて聞かなくても分かる。しかし、それを否定するのさえ億劫で、×××はパタパタと手を振ると、医務室の扉を閉じた。 部屋に戻るまでの道のりで、エースに、ビスタに、それにサッチに遭った。そのみんながよく似合うと誉めた。先程の海戦など思わせないような明るい言葉に、×××は困ったように、控え目に笑った。それでも、また気に病むなと気遣う彼らに、×××は軽くなった髪と同じ様に気持ちも軽く、別れ際には、何時もの笑みを浮かべてそれぞれ分かれた。 自室の扉を開こうとして、×××は、マルコのことを思い出した。以前酷く当たってしまってから、謝罪もせずに終わっていた。あの騒動では、言うに言える雰囲気でも無かった。ただ、彼の目の前に死が見えた瞬間に、背筋が凍るような気持ちがした。 一旦、自室に戻ると、手に、あの小さなビンを持って、隣の扉の前に立つ。向こうに居るだろうか、と思い、×××は急かすように扉を叩いた。 「あん?まァたサッチかよい。しつけェな…、て×××か」 「あ、居た。…良かった」 「ん?まァ入れ」 嫌そうにボヤいたマルコをみて、ホッ、と息をついた×××。彼はは首を傾げて迎入れた。取り敢えずと、ベッドに勧めて、自分も、椅子に座り、綺麗になったデスクに肘を付いた。マルコが落ち着いた所で、×××が頭を低く下げる。 「あの、すみませんでした。この間、手紙を届けてもらったのにお礼も言わず…」 「…気にしてねェよい」 「それで、これをマルコさんに差し上げたくて」 困ったように、言葉を濁す彼に、×××は小さな瓶を差し出す。マルコの目が微かに瞠目した。 「おい、そりゃ…、あー、最後の酒じゃねェか?」 「どうか受け取ってください。ほんの気持ちなんです」 「…ああ、確かグラスが二つあったな」 立ち上がり、彼の手元に寄せる。マルコが、彼女を見上げ、黒い瞳が、不安で揺れているのを見た。そして徐に立ち上がる。備え付けのキャビネットの中をごそごそと探り、二つのグラスを取り出した。腰布でキュッキュッと拭く。 「?」 「おれは飲むならおめェさんと飲みたいねェ」 ×××が、またベッドの縁に腰掛ける。トンとグラスを置き、その両方に注ぐマルコに、彼女はハッとして、ニコリと笑った。 「あ、喜んで!」 薬酒ではい、普通の酒だった。ウォトカ程ではないが、程よい辛さと度数を持ったそれは、一杯は、静かにグラスを合わせ、グイと空けた。そのまま二杯目も、お互い無言で流し込む。ハァと息を付き、マルコは小さく美味しいねェと感嘆の声を上げた。×××が答えるように小さく微笑む。マルコはうっすらと笑みを浮かべながら、グラスから離した唇を舐めた。 「そういや、その髪、似合ってるよい。アンリエッタに切って貰ったのかい?」 「はい」 アンリエッタの腕を誉めつつ、短くなった黒髪を撫でた。指に巻き付けて、微笑む。マルコがその様子をぼんやりと眺めて、感慨深げに囁いた。 「随分長くなってたからない。それぐらいだと、×××が向こうに居た時くらいかねい」 「そう、そう。丁度この位」 三杯目も悠々と流し込んだ×××はご機嫌に笑った。声が弾む。首を傾げ、肩にフワリと掛かる。マルコが空色の目を細めた。 「半年でそんなに伸びるんだねェ」 「え、でも四年は…?」 「ん?」 「ううん?そういえば傷はもう大丈夫なの?」 突然顔をしかめた×××は、既に四杯を越えていた。白ひげ海賊団の船員と比べると恐ろしく白く、細い指がマルコの胸元に伸びる。そっと刺青に這わせる。傷一つ見えない様子に、×××は彼を見上げた。 「あー、不死鳥だから…。傷って言や、シャツが駄目になったくらいかねい」 「痛いんでしょ?」 「考える前に体が動いてたんだよい」 「…そっかァ。凄い心配した…。あの時も…、マルコが死んじゃったかと思った」 ふにゃぁと目を細める。薄く張られた水の膜を隠そうとしたのか、パッと俯いて、小さく鼻を啜る。フラフラ揺れる頭を、マルコは軽く叩くように撫でた。そろそろ部屋に帰さなければ、という思考が頭の片隅に浮上し、直ぐ埋もれた。 「ハハァ、本当に、悪かったよい。普段ならありえねェんだ。おめェんときは必死だからさねい」 「ね、ホントに死んじゃうかと思ったのっ。ま、マルコだって、ヤケドっ、肌が…、それに、血、ちがいっぱい、出てたしっ」 震える声。再び顔を上げる×××の赤い目元、唇は噛みしめたのか、血行が良くなって、程よい赤みを醸し出していた。くらりと思考がぼやけるような気分がした。目の前に愛しいと思っている女が泣いていた。刺青に当てられた手の平が、熱を持っている。 マルコのグラスは、思考が追い付かない内に横に押しやられていた。華奢な背に回される腕、しなやかな筋肉に少し力が入るだけで、腕の中の彼女は力を無くして、ふにゃふにゃとマルコに倒れ込んだ。彼女の手の甲に、赤く染まった頬が当たっている。スッポリ収まるサイズに、マルコは静かに微笑んだ。 「――、ホラ、おれはちゃんと生きてるし、×××を残して死ぬなんてありえねェよい。ん?」 耳をとろけさす甘い声。 「ぅ、ぅんーでも、…」 「×××?」 「…」 もぞもぞと腕が伸び、マルコの首に回される。ボソボソ(ありがとう)と喋る声が聞こえなくて、顔を微かに下げた。 「お休みマルコ」 猫の時、毎晩と言って良い程言われた言葉。熱い唇が、マルコの薄く開いたそこを掠めた。それっきり×××はマルコの首元に顔を埋め、直ぐに寝息が時折ギィと軋む船の軋みに紛れて聞こえてきた。 硬直した空色の瞳、静かに暗闇に身を投じる×××の意識。酔いが完全に醒めた彼の頬が見事に染まっているのは誰も知らない。 真っ直ぐな感謝 <-- --> 戻る |