此処数日、総じてあまり天候が良いとは言えない日々が続いた。×××は自室に居るか、ガラス室に赴くか、少しの義務を終えるか。そんな日常を過ごした。当然、隊長である彼らと合うことは余りなかった。甲板に出ては、何度も進路を確認し、×××が数えているだけでも、すでに二週間は航海を続けていた。 そして×××はどうしてもマルコに会わなければいけない用事が出来た。貴重な羊皮紙を貰い、書き上げた一枚の手紙には、島に今も居るであろう、叔母、叔父の安否。自分の安否。店、それにそこの常連であった客、について、また今後の事を、事細かに指示され、×××はマルコにそれを届けつて貰うよう頼まなければいけない。部屋から出て、直ぐとなり、同じデザインの木製の扉を叩く。反応があるとは思えなかった。だが、×××の予想とは裏腹に、室内が、少し騒がしくなった。 暫くして、扉が開く軋みが聞こえる。 ×××は、三歩ほど後ろに下がった。扉から顔を出したマルコはメガネを掛けていたが、疲れたような隈は隠れていなかった。野暮ったい目が、少し瞠目した。 「×××か、…入れよい」 「あ、はい」 初めて入る部屋はとても汚いのが目立った。酷く乱雑なデスク、古臭い羊皮紙は、海図だろうか。唯一座れるベッドの縁に腰掛け、×××は彼がガサガサと卓上を大雑把に片付け、椅子に収まると、掛かっていたメガネを思い出したかのように外した。目頭を揉む様子に、×××は気遣わしげな視線を投げかけた。 「それで、どうしたんだよい」 目頭に当てた指を離し、それでも疲れた様子の目を向けられる×××は、これから頼む内容を言うのに戸惑った。彼の仕事を増やす要因であるから。膝の上で、指をいじくった。 「あ、大したことでは無いんですけど、以前言っていた連絡を手紙にしたので…。あのっ、忙しいのなら後日で!」 「いや、今すぐじゃねェと。逆に辛ェ」 「え、」 結局また日を改めて頼もうと意気込んだ×××はマルコの静かな声に、浮きかけた腰を戻した。最後は良く聞こえなかった。ただ、彼に言い直す気は無いらしい。チラリと彼女の顔から体に視線が移る。 「手紙は?」 「あ、これです」 細く丸められた羊皮紙は、赤いリボンで括られていた。マルコはビスタ辺りが与えたのだろうとジイと確かめるように眺め、差し出されたそれを受け取った。紙で乱雑としたデスクに置こうとして、思いとどまって、片手で弄んだ。 「預かっとく。返事はいるかい」 「それも、中に書いてありますので」 「そうかい。じゃ、すまねェが他に用は?」 「それだけです。あの、失礼しますね。――随分お疲れの様ですから…」 「ああ、」 少し、キツい言いようだったかと、後悔したように、歪められた口橋は、彼女の言葉に驚いたように下がった。控え目に主張する彼女の言葉は全面的に彼を気遣う言葉に覆われていた。 「どうか、程々に」 「ああ、」 その言葉を最後に、×××は実に一週間、彼と顔を合わせることはなかった。 マルコは、久し振りに晴れ渡る空を見た。船より遥か上空、分厚い雲を抜けると、太陽を近くに感じた。たびたび変わる気候も、ここでは影響を受けないのを、彼は随分前に知っていた。青い炎をみるものは存在せず、悠々と翼を広げて、更に速度を上げた。 ほぼ、丸一日掛けて、再びあの島を見つけ出した。ギュゥンと空気を裂く音が耳を貫き、耳鳴りが収まる頃には、彼女の店の目の前にいた。 そこでマルコは困った事態に陥る。そう言えば、彼女は誰に手紙を託したかったのだろうか。叔父、叔母の容姿を把握していないマルコは暫し、考え、硬直する。ポーカーフェイスの彼は、その後、背後から掛けられた声に、目を見張った。 「…ぉぃ?おい!やっぱりお前だな?」 「…あ?ああ、たしか…」 よく見るような一般的な髪型に、格好いい、と称して良い顔は、不快感にしかめられていた。 「シュミットだ。別に呼ばなくていい。所で何のようだ?×××の店の前に…、×××はどうしたんだ?」 「これを頼まれたんだい。おめェでも良い、ホラ」 渡されたそれをガサガサと少々手荒に扱い、何度もシワを伸ばしつつ、忙しく目が左右に動く、そしてハッとして顔を上げた。 「…――、これは!エリー!」 「ハァ?おい、ちょっと」 「お前も来い!」 「…」 くしゃりと音が鳴って、纏められた手紙。急に走り出したシュミットに声を上げると、声を張り上げて、早くと促す。きっと彼には聞こえて居ないのだろうと思いつつ、分かってるよいとボヤいた。 遅いなァと常人の足の速さに呆れて、小走りに付いて行くと、大通りに出る手前の、小さな喫茶店にシュミットが入っていく。マルコはcloseという字をなぞり、後に続いた。 ×××の叔父叔母が出てくると言うことは、彼女に両親は居ないのか。そう言えば、前の世界でも、彼女に両親が居たような気配は無かった。赤髪の似合う壮年の女性が、静かに読み終わる。手紙から顔を上げ、マルコの空色の目を臆さず真摯に見つめると、ハァと溜め息を付いた。エレノアと言った。 「…貴方が――、×××は無事なのですね?」 「ああ」 「×××を返してくれよ」 「良いの、シュミットさん。貴方には本当に悪いと思っているのだけど、やっぱり私たちは彼女の言葉を優先するつもりよ」 積年の恨みが積もったような形相で睨み、マルコに放たれた言葉に返したのは彼女であった。エリー、と呟くシュミットの肩をポンと慰めるように叩くのは、白髪交じりで精悍な顔付きのグリントだった。エレノアと同様に、喜んでいるわけではないが、どうしようもない、諦観の色が滲む表情をしていた。 「すまねェが、どんな内容だ?」 「"海賊"のマルコさん、内容は×××ちゃんから聞くと良いわ」 彼らの、可愛い姪が海賊に取られた事に対する憤りは無く、皮肉さえ交えながら笑う彼女に、マルコは何も返せず、押し黙った。 「さて、返事は要らないかな――。君は、早く帰ってやりなさい、此処に居る理由はもう無いから」 シュミットさえも睨むことはやめないものの、静かになった。沈黙が落ちた室内に、グリントの声が響く。 「…」 三人の視線が、マルコ一人に注がれる。願うような二人のそれに、彼は、深く頷くだけに留めた。声に出すには、まだ早いと感じた。 エリーが立ち上がり、奥から何か持ってくる。 「これを持って行って」 「、!―ああ」 渡された酒瓶に、マルコは目を剥いた。小さな一つを受け取り、もう、行かなくては、と立ち上がり、二度と開くことはないであろう扉を押し開ける。続いてシュミットが外へ出て行く。 「×××を泣かせてみろ、赦さないからな」 「おめェに言われなくてもそうするよい」 並んだエレノアとグリントにもう一度目礼して、腰布を解いたマルコは、瓶を包み、足首に括り付けた。 見開いた三人の瞳、エレノアの赤髪、グリントの白髪交じりのアッシュ、シュミットのシャツに、青い揺らめく光が映る。 高く一鳴きすると、次の瞬間には飛び立ち、頭上を強風が舞った。ぐるりと旋回する蒼火の鳥の足には、確かに布が巻かれていた。 「不死鳥――」 呟いた声は、風に浚われた。 マルコは、船に帰っていて、思ったよりも船が進んでいない事に、嵐による弊害だと直ぐに分かった。一抹の不安が心を過ぎったが、何時もと変わらない方法で速やかに船に生還した。雨音が煩い甲板に、船をコンロールしようと何人も忙しく動いていた為、彼へは、お座なりに手を上げられただけで、マルコは気にせず、一瞬にして濡れそぼった体を隠すように船室に潜った。 シャワーを浴びて、少ない髪をガシガシと掻きながら、食堂に向かった。そこで扉の向こう、かなりの声で、遣り取りしているのに、マルコは疑問符を浮かべながら、押しあける。食堂へ続く階段を下りる途中、内容が聞こえてきた。 「だから!なんで、海賊でもねェ、捕虜でもねェ奴がいるんだ?」 喚いているのはどうやら魚人のナミュールが統制する八番隊の隊員のようだ。気性が荒く、特攻隊としては優秀な成績を記している。だが、率直すぎるのも問題だ。 近くにいたビスタ、そして童顔を気にしているハルタがいる。ビスタが反論しようと口を開いた所で、ハルタがマルコが居るのことに気が付いた。そしてビスタも、口を開いた状態で気づき、閉じると、カイゼル髭を撫でた。文句を言っていた隊員が二人の態度に訝しげな表情を作ると、振り向いた。 「捕虜だ、仕事もやってる」 その瞬間にマルコの静かな言葉。怯んだ隊員は、それでも、態度を改めることは無かった。寧ろ、バレてしまったなら、堂々と言ってやろうと開き直っていた。 「まるで使い物になってねェよ!」 吐き捨てる一人の両隣に居る半魚人も、威嚇するように何度も頷いた。眉をキツく寄せる。まだ、冷静さを保っていた。諭すような口調だ。 「おい、おめェら…×××は今大変なんだよい。一般人が海軍に不当な理由で連れてかれそうだったんだ。おれらの敵と、本来だったら保護される一般人だ。分かるだろ?」 「でも、ただの一般人じゃねェか。それも女」 ピリ、と空気が重くなる。ハルタが三人を睨み、ビスタはゆっくりとマルコの方に近付いていく。 「夜の相手してくれるっていうならまだ違うけどなァ」 「おい、無理だろ。マルコ隊長、結局×××って人が好きなんだろ?」 二人目が喋った所で、マルコの拳がキツく握られ、三人目が喋りきった瞬間に体が飛び出て行った。勢いに任せて、殴りかかろうとした。だが、それは免れた。マルコの後ろに回っていたビスタが、逞しい胸筋でもって、彼の両腕を拘束し、ハルタはマルコと三人の間に立ち塞がり、八番隊員を鋭い目で非難した。 「マルコ、マルコ!落ち着け!」 「二度と言ってみろ!その時はなァ!」 マルコが、普段では考えられない程声を荒げると、それに紛れて、ガタッと不可解な音が鳴る。×××だった。マルコを始め、食堂にいる全ての視線が彼女に注がれる前に、視線を外した×××は音もなく、走り去って行った。 視線を三人に戻したマルコは冷静になっていた。 「…、離せよい、ビスタ。おれらは海賊で犯罪者だが、家族が連れてきた人を侮辱するもんじゃねェ。てめェ等の発言は目に留まるし、この報告は隊長にいくからな。分かったら大人しくしてろい」 実際、この船は自由に見えるが、自由を保つための規則はそれなりに存在し、彼はその一つを上げた。三人が、急に大人しくなったのを見て、マルコは落ち着いた足取りで、食堂を後にした。 食堂の扉が閉まりきると、彼は猛然と走り出した。自室の隣、同じデザインの扉を叩く。故意的に作られた沈黙に、マルコは中に彼女が居ることを把握した。 「おい、聞こえてるか。おれだ、マルコだよい。開けてくれ」 「…」 返事をしない彼女に、マルコは目を伏せた。一度唇を濡らす。 「何を勘違いしたかは分からねェ、ただ、おめェさんを傷付けちまったなら、謝らせてくれ」 「謝らないで!止めてよ…っ。私の居場所じゃ無いことくらい分かってるし、あなたの謝ることじゃないんだから!あなたのっ優しさなんかいらない!」 「…」 隊員が言った言葉が、一番響いているのか、未だ見つからない居場所に心が折れているのか、数日船を開けたことを後悔した。何を言おうか迷い、無言になる。向こうには、まだ気配を感じているようで、微かな物音を、扉の向こうに感じた。 「ごめんなさいっ。帰って」 「…手紙は届けておいた。返事もある」 ×××の言葉に、マルコは迷って、やはり手紙の事は言った。バンッと扉が内側から叩かれる。 「帰って!」 マルコに言えることはもう何も無かった。 小さな酒瓶を扉の前に置くと、部屋に戻った。溜まりに溜まった書類を片付けようとデスクに手を付き、椅子に腰を下ろすと、激しい嗚咽が聞こえた。抱きしめられるだけの腕も彼には無かった。 嘘の見抜きかた <-- --> 戻る |