text | ナノ

 わあわあと歓声が上がる。海賊というのは賑やかなのが好きなのだろうか。×××は綺麗に掃除された甲板に座っていた(何故か気を遣わされて、彼女の所だけ薄いクッションが敷かれている)。小汚い格好からは想像出来ないほど手に持ってきたそれだけは小綺麗で、×××は苦笑いで受け取ったのだ。
 紹介自体はとても簡素なもので、大袈裟に喜ぶ者もいれば、理由が不透明で、取り敢えず様子見な所もあり、マルコの隣に女性が居るのが珍しいのか、下品なはやし立てる声も数多くあった。それもこれも×××はにこにこと笑顔を取り繕い、何度彼らをひっぱたこうか脳内で何度もシュミレートした。
 結局、どうでも良いのだ。馬鹿みたいに騒げる宴さえあれば、理由なんか後付けで良かった。
 ×××は、次々と開けられる杯を静かに眺めた。大海原を進むこの船の酒は祖島の地元酒で、無くなってしまえば、もうお目にかかれない。飲まれることこそが元来の喜びだが、×××は寂しくもあった。もう、見れない、かもしれない。
 マルコも、今は席を外し、ナース長のアンリエッタはあのオヤジと呼ばれるニューゲートの横に張り付いている。しきりに目をつり上げ、口が絶え間なく開閉している。杯を取り上げたところで、×××は彼女がお酒のことで注意をしているのだと分かった。
「(…ニューゲートさんは、肝臓かなんか悪いのかしら)」
「なァ、お前、新人だろ?」
「…」
「なァなァ!」
「え!?私?」
「ははっ、おめェ以外に誰が居んだよ!マルコに紹介させてたじゃねェか!なァ、×××って言うんだよな?おれはエースってんだ。以後よろしく」
「あ、すみませんご丁寧に…。私×××って言います。宜しくお願いします」
「で、×××。×××って何才!?」
「…は?」
 突然、燃え上がるように現れた上半身裸の青年。クシャクシャのくせっ毛を揺らして、ぺこりとお辞儀をする姿は海賊と見紛う程礼儀正しく、きっちり直角に曲がっており、×××はニカと笑うエースに頭を下げた。変な二人の完成である。だが、その後の彼の発言はいけなかったらしい。にっこりと笑って口から飛び出た言葉は彼女の表情がピシリと固まった。
 だからか、口を開きながら、キョトンと首を捻り、エースがもう一度同じ問いを掛けようとした。
「クラァ!エース!今不吉な言葉が聞こえたぞ!×××ちゃーん!君と再び会えることをおれは確信していたさ。これは偶然じゃなく必然、君とおれを繋ぐ一本の赤い糸…」
 ガンと殴られ、彼のオレンジ色のテンガロンハットが頭から外れる。頭に肘を載せ、彼をグシャリと潰すリーゼントの彼は、つい最近見た彼で、相変わらずペラペラと喋り出す。
「サッチさん…」
「ああ、×××ちゃん。さんなんていらないさ、おれの事はサッチで十分」
 ウィンクする彼は手にしていたグラスを空ける。溢れんばかりに注がれたトパーズ色の液体は一滴残らず彼の胃袋に流された。ピシリと着こなされたコックスーツから微かな油の匂い。幾ら綺麗に身嗜みを整えようと、彼も海賊だと言うのが分かる。
「うがぁ!邪魔!」
「止めろ、アホエース!お前は×××に向けた暴言をマルコに苛まれろ!」
「ちげェ!ただ×××がおれより年下かと思ったんだ!なら初妹じゃね?おれの」
「お前だけのじゃねェみんなのだ」
 両手を振り回し、自分の背にのし掛かるサッチを振り払う彼。ギャンギャンと言い合う彼らを×××は苦笑いしつつ、一番始めに注いで貰っていたリキュールのベースカクテルを時折飲んだ。
「…あの、エースさんはお幾つですか?」
「お?ああ今年で20だな!」
「あら、じゃあ残念」
 何度も×××を年下に見る彼の年齢が知りたくなった。それに会話にポロリと零れた妹という単語に疑問を抱く。
 ×××が結局、エースが自分より年下なのを知り、小さく笑うしかなかった。彼女の想像通りで、彼の後ろでコックスーツの彼があからさまに驚くエースに隠れるようにして目を見開く。何時も八の字に垂れた眉がグイッと引き上げられた。
「え、えぇ!何だよー!折角年下かと思ったのに!」
「エース、残念。え!てことは…。つーか、さり気なく口説いてんじゃねェよ。お前はこっち!さあ×××ちゃん!あれ?」
 また二人であれこれ話すのを×××は遠くに感じた。
 そして、二人の内、先にサッチが彼女を呼びながら、振り返ると、何時の間にか、忽然と消えていて、薄いクッションが一枚寂しげにあるだけだった。

「やァ。あれらは煩かろう、お嬢さん。私はビスタと言う。五番隊隊長を勤めているよ。×××さんはどうして此処に?」
 ×××を連れ出した人物はビスタと言った。これまた海賊らしからぬ格好をする紳士風の男性で、くるりと巻かれた立派なカイゼル髭を指で撫でる。此方へどうぞと気遣われて座る小さな木箱の上にはハンカチが敷かれて、×××は断りつつそこに腰を落ち着けた。
「え、あー、マルコさんの意向に従っただけなんですよね…。あ、お注ぎ致しますよ」
「今日の主役は×××さんなんだから」
 にっこりと歯を覗かせて笑うビスタに、×××は空になったグラスを両手で持ち上げた。明るい紫の液体で、芳醇な香りがふわりと鼻孔をくすぐる。
「わ、すみません」
「構わんよ」
 穏やかな雰囲気でビスタと会話するには、どうやらここで言う妹や兄というものは、別に血が繋がっているわけではなく、船長であるニューゲートが船員達を息子娘と言う所から来ているらしい。だから、船長をオヤジと呼ぶ彼らの謎も解けたわけで、悉く海賊のようでないアットホームな雰囲気に×××は小さく笑みを零す。
 彼等の話は面白く、集まってくる他の隊長らも交えながらお酒が進むのを感じた。
「ヘェ〜!では皆さんはニューゲートさんをお父様のように慕っているんですねェ」
「おうよ!エースは最近入ったがなァ何せまだ若い!だからおめェが年下なら兄貴面出来るからよ!はっは!」
 大声で笑う度、グラスの端にチャポンと酒が中を舞う。ラクヨウといったドレッドヘアーにバンダナを巻いた陽気な男は、向こうに見える炎を指差して喚く。
「あはは、元々弟さんが居るんですからね、」
「あいつァ弟ばっかだせェ。ギャハハ!」
「仕方あるまい。何せ長年慣れ親しんだ位置の正反対だ。今回×××さんが入った事で気が高ぶっているのだろう」
「いや私は海賊になった訳じゃ…。所で皆さん、元々ご兄弟は…」
 ビスタがシニカルに笑い、表向き彼を窘める。ただ、彼も、エースの何時もの様子を思い出し、甘え方を最近覚えたような彼を微笑ましく思っているので、少しからかいもいれたくなるのだ。
 ん?と同意を求めるようにビスタが×××に顔を向けると、彼女は曖昧に笑って、話しを方向転換しようと試みた。彼女としては、此処に居ることを許して居るわけではないが、だが原因は一人で、抗議する相手も彼なのだから、此処で団欒する彼等に言い募る事など出来なかった。
 誤魔化すようにグラスを傾けると、
「×××!」
 突然呼ばれた名に、×××は思わず肩を揺らした。口に含まれる筈だったそれは下ろされて、パッと後ろを窺う。ふわりと、頭が揺れる。夜風が熱い頬を撫でた。
 そして、何時もつり上がっている眉が一層傾斜を増しているのではないかと、×××は怒鳴る彼を見て、漠然と思った。くふ、と口内で笑いをくすぶらせる。
「おや、タイムリミットか。では×××さん、近くティータイムの場を設けよう」
「あ、はい!その時は是非お声を掛けて下さいね?」
「御意」
 おどけたように片眉を跳ね上げ、×××の向こう側を見る目は確かに月の光ではないの何かがキラリと光り、×××のほっそりとした手を掬い上げ、微かに頭を下げ、×××を見上げる。パチリとウィンクも忘れずに。ハッとしてビスタを見下ろす×××。返事した顔は若干赤に染められて、ニコリと快く返事をする。
 ビスタが、さぁと促し、足早にマルコの元へ足を運ぶ。この宴会の騒がしさにも慣れ、ふわふわと気分は上昇しているようで、×××は睨むマルコを目の前にして笑ってみせた。
「なァにやってんだよい!おめェさんは」
「あら、お酒を楽しく飲んでただけですよ?個性的なお方が多くいらっしゃって…」
「×××…。焦点が合ってねェんだよい。幾ら飲んだ?」
 彼は、何時もより声のトーンが高く、キャラキャラと笑う彼女を見て、目を細めた。頬に滑らす手を振り払われない。
「え?やだ、何時もと変わりませんよ!私元々強いんです!あ、マルコさんって長男なんですってね?」
「…顔が青いない…。」
 発熱する両頬を両手で持ち上げ、目元が微かに青いのを目に留めた。普段以上に機嫌が良い、彼が彼女に触ろうものなら、嫌そうに眉も顰めるのにそれが無い。それどころか積極的に話しかけてくる。
 完璧に酔っ払いであることに結論づけたマルコは手を掴み、ずんずんと歩き出す。船尾に連れて行こうとした。夜風に吹かれ、食堂から水を持って来ようと図っていた。
「聞いて下さいって!…うっ」
「ホラ見ろ!アンリエッタ!」
「ぅ、うぅ〜」
 大声を出すと、その意気込みが徒になったのか、今度は彼女が自覚するほどの気持ち悪さを感じた。だが、そう思う内心、何時もとぜんぜん変わらないお酒の摂取だったのに、こんなに酔った気分なのは何故だろうと口に手のひらを当てながら考える。×××は自分の限界をキチンと弁えて飲んでいた。
 マルコはアンリエッタを怒鳴って呼びつけた。
「まだ吐くなよ!」
「吐かないですぅ。ゆら、揺らさないで、気持ち悪い」
 ×××の歩みが止まると、マルコは彼女を抱き上げ、早足で歩き出した。
「しっかり捕まってろい」
「ぅ、ハァ」
 若干ゆっくりになる歩調。だか、不規則に揺れる感覚に、×××は苦しそうな溜め息をついた。
 アンリエッタに事情を手短に話すと、ニューゲート用の常備薬を彼女用に小さく砕き、冷たい水で流し込ませた。その後も、これまでのお酒を薄めるように何杯も水を含む。
 そうして気分が良くなってきた所で、マルコは宴の席に、主役はもう休むとの趣旨を伝え、己も彼女を部屋に送り届けて、休むと言えば、全体の一角で騒がしい声が上がる。その下品さと姦(かしま)しさにマルコはそのリーゼントを破壊して船室に引っ込むのだった。
 彼女の部屋はまだ物もなく、質素だった。生活感が無いそこに紛れるようにして鎮座する黒い鞄。向こうの世界でも全く同様のを見たことがあるマルコは、それが何時も大学へ行くとき、彼女が必ず持って行くあの鞄だということを思い出した。
「どうだ気分は?」
「揺れてる…」
 硬いベッドの上で緩く膝を曲げ、タオルで顔を覆い、うなだれる×××はもごもごと唸った。体が揺れているわけでもない、彼女が気持ち悪そうにタオルを顔に押し付ける。垂れた一房の髪が、ふわりと揺らぎ、マルコはそれを、後ろに流して囁いた。
「あぁ、分かったよい。船だねい。船は揺れるから…」
「ハァ、ぅぅん。ごめんなさい、潰れちゃって」
「自覚してるならまだ大丈夫だい」
 しおらしく謝る彼女に、マルコは久し振りに優しく微笑んだ。
 彼女の肩に手を掛け、ゆっくり体を倒す。もぞもぞと居心地悪そうに寝返りを打つ彼女の上にタオルケットを被せると、小さく唸り、ぼそりと何かを呟いた。
「あー、…」
「眠れ」
 顔に張り付けていたタオルを剥ぎ取り、頭に手のひらを載せる。目を覆うようにして、マルコが、サッチがその場に居れば体中に鳥肌が立ち喚くだろう声で静かに言う。
「は、ぃ。お休みなさい」
「…はあ」
 スゥ、と吸った息を最後に、×××は多少青い顔色のまま、静かになった。
 慣れない船上生活が否応無しに始まることを強要したことを、マルコは少し後悔し、だが仕方ないことだと諦めた。それ以外の解決法は、あるかも知れないが、実行するには、マルコ個人で済む範囲を越えているだろう。
 青雉の凍てついた目を思い出した。彼の内でもマルコに計り知れない感情が渦巻いているはずだ。最後の一撃に当てるつもりが無いのをマルコは知っていた。大将に対し、一般人を守りながら無傷なのは、彼が不死鳥というのを考慮しても、難しいことで、裏に隠された何かがあるとマルコは睨んでいる。事の真相は知らない、が、後々明らかにしていこうと彼は空色の瞳に強い決意の光を灯す。
 それに、×××を放っておく事は出来なかった。青白い顔が、静かに寝息を吐く様子を、彼は再三見下ろした。
 これで良かったんだ。そして、心の隅で歓喜する自分を押し込めた。

丁度良いきっかけ
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