text | ナノ

 顔色が異常に悪く、唇は一回上下を縫い付けて切ったのか、ピッタリと合わさる程に無い。櫛など到底通らないであろうほどのドレッドヘアーのなり損ないのような長髪が、背中を覆い、その背中が小さな生き物を守るように、赤に晒していた。
「キッド船長っ!か、勘弁してくださ、い!」
「てめェは船長に反論出来るほど偉いのか?てめェの唯一は誰だ?」
 ガツンと頭部を蹴り飛ばし、汚らしいドレッドヘアーが床に散らばる。ちゃんと主を見ろと、獣が唸るような低い声を絞り出す。ドレッドヘアーが相変わらず小さい生き物を庇いつつ、赤と対峙する。
「勿論キッド船長です!ですが!この子はアナタの信念に反した訳じゃないじゃないですか!」
 雰囲気がぶわりと淀んだのか分かったのか、赤の足元に両手を付いて彼を仰いだ。燃えるような赤髪を立たせ、ファーの付いた赤いコートは決して柔らかさを含まない。ビシビシとした覇気はそれだけで人を萎縮させるだけの赤い瞳を持つこの男の名はキッドと言うらしい。煩わしそうに首で何かを振り払う。存在しない眉が寄せられる。真っ赤なルージュが歪んだ。
「ああ?俺が決まりだろ?お前が俺の心理をどうこう言う必要はねェ。そんなら、此処で果てるか?」
「そ、それは…」
 ニヒルな笑みに確かな殺意を乗せて、キッドは黒く塗った爪を広げ、ドレッドヘアーの顔の前に翳した。指の間から覗く向こう側は、怯えた眼球が二つ。ただ、興奮する要素は無い。全く情けない、とだけ思った。瞬時に萎えた怒気を首を振って散らし、今度は違う意味を乗せて、手のひらを見せる。
「寄越せ」
「…すまねェ嬢ちゃん」
「…」
 嬢ちゃんと言われた生き物は、まるで自分を呼ぶ言葉だと把握出来ていないのだろう。微動だにせず、きょとりと縫われた口元に視線を投げ掛けていた。ドレッドヘアーが、彼女の背中を手で赤い彼に促し、目の前に押し出すだけで、彼女の意識は彼に移り、また、じい、と透明な目を彼に向けた。苛立たしそうに眉を顰めるだけで、実際、隣に来るまで、ドレッドに意識を向けていた。
「来い」
「イエス」
 来いと言えば、布を引きずり、歩きだそうとする。それをドレッドが直す。一瞬貧相な鎖骨が覗き、以前はあった垢が綺麗になっているのを見て、よく見れば布も汚れが落ちているのを見て、キッドは、直ぐ隣にまでヨロヨロと歩いてくる彼女の頬を遠慮なく張り飛ばした。
 ドレッドが息を飲む。それを鋭く制した。赤い閃光が目に眩しいのをドレッドは感じた。彼にしか持ち得ない磁場があるように感じた。
「痛いか?」
 床に無様にひっくり返ろうが、ヨタヨタと惹かれるようにキッドの側に行こうとする彼女の首を後ろから掴み、引き上げる。
 優しく問えば、にこりと自分の状況も考慮せず、微笑み、即答した。
「イエス」
 その答えに気を良くしたキッドは、一層笑みを深めた。後ろには強い視線を送り、顎をしゃくることで、部屋から追い出す。
「お前の唯一は?」
 そのまま優しい声で続ければ、明るく声を上げる。少し、舌っ足らずなのは、長く、発音が難しいから。
「ユウすたすキャプテンキッド!」
 言い切り、にっこりと破顔したのに、赤いルージュは一文字に引き伸ばされ、ガッ、と態度が一変すると、ギリギリと彼女の小さな頭部を締め付けた。
「ちげェ何時になったらそのスッカラカンの頭におれはキッドだって刻み込めンだ?あ?」
「うぐっ」
 ばーん、と床に打ち捨てられた体を何とか両腕で支える。何とかキッドにすがりつくと、赤い髪が僅かに揺れた。クックッ、と喉を鳴らし、悪かった、と呟きながら頭を撫でた。それににやあ、とだらしなく笑う小さな生物に、キッドは唐突に教育しようという意欲に駆られた。
「キッド」
「キッド」
 そうだ、この生き物はまるで言葉を覚えたての赤子のように口から出る音を繰り返す。それが一体何を意味しているか何て関係ないのだ。キッドは頭を撫でながら言った。久々に長い台詞だった。彼女は理解出来ているのだろうか。薄っぺらい笑みの下に残虐な気持ちを持つ。弱小な生き物は絶対に分からない。間違えたら、どうしてくれようとほくそ笑む彼の心を。
「おれは、キッドだ。お前の唯一はキッドだ。分かったか?」
「イエス、おれは」
「ちげェ!!」
「ぎゃぅっ」
 キッドが想像した通りに間違える彼女に、既に用意していた手のひらを頬に与える。憤慨しつつも、キッドの表情はどこか楽しげで、呻きながらそれでも這い上がろうとする彼女を優越感に浸った恍惚の表情で見下ろした。
「う、ぅう」
 ブルブルと小刻みに揺れる手が、コートの端をぎゅうと握り、顔を晒す。
「ユウす…」
 微かに唇を戦慄かせ、こぼれる言葉は、またスタートに戻って、
「オイ、てめェふざけてんのか?」
「…」
 大きな手が、血がにじんで、汚くなった顔を、覆うようにガシリと爪を立てた。赤い眼光が、深いブルーを突き刺すように睨みつける。以前までは、怒った表情をすれば、訳も分からずゴメンナサイと喚いたが、それも彼の調教によって無くなった。
 その時彼が感じたのは怒り。ただ、それに酷似した他の感情が候補にあがることはなく。本人でさえ、気付かないほど、微かな一欠片だった。
 そして現在も彼は繰り返す。目に怒りをたぎらせ、真っ赤な唇から真っ赤な舌を覗かせて。
「お前の唯一は?」
「う、うう〜…っ、キ、ッド、キッド」
 地べたにぺたりと座り込んで、頭を抱える。何の葛藤があるのか、暫く狂ったように、首がもげるのではと心配するほど激しく振り回し、終いには目を回してゴツンとおでこを床にぶつけた。
 絞り出すように、三つの単語を言い、舌の上で確認するようにもう一度言った。
 キッドは驚きに目を微かに見開き、小さな赤目が真ん丸く見えた。
「いいこじゃねェか」
 今までの中で一番優しいのではないか、というほど声が優しく溶けた。何故か同時に加虐心が湧き上がり、キッドは何とかそれを押し留めた。
「キッド!」
 頭を撫でた手が弾かれる。勢いよく顔を上げると、同時にキッドの懐にタックルするように抱き付いた。そんなのでは微動だにしないキッドはしかと骨と皮の小さな体躯を受け止め、少しの殺意を込めてニヤリと笑った。
「もしかしたらドレッドよりてめェの方が分かってそうだな」
「キッド、キッド」
 褒められたのが余程嬉しいのか、ガジガシと彼の腕を甘噛みし、ペロペロと舐める。スリスリと頬を寄せるそれは犬のようで、彼は腹筋を痙攣させ、小さな頭に手を置き直した。
「うるせェ」
「…うるせェ」
 苦笑と共に煩いと諫める。言い過ぎだと。だが、彼女の笑みがぴたりと無表情になると、伺うようにキッドを覗き込む。そして、確認するように呟くのだ。彼と同じ言葉を。
「あ?」
「う?」
 ピクリと眉を引き上げたキッドは、不思議そうに小首を傾げる小動物の汚い頬に白い手を滑らせた。
「ちげェな、おまえにはこいいうのは駄目なんだな…」
 スルスルと頬を撫でていると、目の前のブルーはトロンと気持ちよさそうにたゆたい、その内、細くなって見えなくなった。
「…」
「てめェを愛玩動物に出来ねェのはてめェが中途半端に人間臭ェからだな…」
「…」
 すんすんと鼻を鳴らす彼女の頬を撫で続ける彼は、こうやって、長い台詞だと、理解が追いつかなくて、無反応になることを知った。それにまだ、知らない単語で溢れているのだろう。
 キッドはそれで良いと思った。コイツには、自分が与えるもので死ぬまで生きれば良いとさえ思った。明日には、自分の事をキッドと呼び、後ろをチョロチョロとついて回るであろうことも安易に予想できる。以前とて、呼ぶ名前が異常に長かったものの、記憶と口を最大限に利用して呼びまくっては己の側を離れようとはしなかった位だ。まあ、自分が来いと命令しているのだが。
 いつの間にか、自分の腕の中で眠る小娘を抱え直す。十代半ばの年齢の女が海賊船に乗っているのは異様だったが、コイツはそう思われないだろう。如何にも奴隷か、乞食のような格好をしたコイツに、まともに言葉も喋れない白痴が、常人と混ざって暮らすところさえ、其方の方が想像だに出来ない程なのだ。
 腕の中の小動物は、まだ殺さなくても、楽しめそうだった。確かに殺意と怒りが湧くのだが、それでも手放せない。ドレッドがコイツを庇った時に湧き上がった怒りとは、また違う感じがした。せめて、それが知れるまで、生かしておくのも乙だと、おれは思えたのだ。 この時、おれはそれが何なのか知れたとき、既にコイツを殺せなくなっていることを知らない。

調教のおじかんですよ

タイトルby 水葬

---呟き
長い。そして調教って程でも無かった。
キッド優しすぎたな
拍手で舞い上がって調子に乗った結果である。
テンションが高いと一日で書き上げちゃうね\(^O^)/

11/06/20
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