text | ナノ

「青雉!!これは×××が逃げたんじゃねェ!海賊が攫って行ったんだい!間違えんじゃねェぞ!」
 あの氷から遠ざかろうとするが、速度まで落とし、マルコは後方に叫んだ。返事は無く、二本の氷の鉾がすぐ足下に突き刺さる。×××は再び悲鳴を上げ、目の前、マルコの頭にしがみついた。
 それを合図に、マルコは再び、スピードを上げた。
「あ!おろ、降ろして下さい!」
 そして、衝動的にすがりついたのを、正気に戻った×××は、ぱっと体を離し、バランスを取るだけのために逞しい肩にギュッと爪を立てた。
「駄目だ。舌噛むよい、黙ってろ」
「マルコさん!」
「降ろして欲しけりゃ降ろすよい。ただこの状態で手ェ離したら…分かるよな?」
「っ!ひ、酷い!」
 最初は、無感情だった。だが、頑なに拒絶をする×××に、マルコは意地悪そうな表情で静かに言った。態と、一時的にスピードまで上げて。×××は自分が落ちないよう、しがみつくだけで、何も出来なかった。本当に舌を噛んでしまうとさえ思った。
「おれは海賊だからねい」
 にやりと意地の悪い笑みに、×××がプルプルと怒りに打ち震えていると、背後から、驚愕に満ちた声。×××も後ろを見れば、気まずい状態で別れたままの彼がいた。
「×××!?」
「あ!シュミットさん!」
「おい!あんた×××を離せよ!」
 あの時はごめん、一体どうしたの、何でこの男がいるの。聞きたいことはそれこそ山のようにあったが、取り敢えずシュミットの口の先をついて出てきた言葉はそれだった。シュミットの剣幕に、マルコはゆっくりとスピードを落とした。大通りとその脇に伸びる細い道の境目にいる彼らを気にする住民は少なく、×××はぐいぐいと、マルコの肩を押した。今なら、地面に落ちても、大丈夫だと思った。それにシュミットもいる。
「ああ?…悪かったない。×××はもう戻って来ないねい…なァんで、×××の側に居てやんなかった?いてやったら変わってたかもない」
 だがマルコはそれを許さなかった。グイッと×××の体を抱き直すと、切なそうに眉を顰め、頬に手の平を滑らせ、親指の腹で、遊ぶように撫でた。優しいその動作に、×××はぽかんと惚け、暫く身じろぎするのを止めたが、シュミットの一体何をしているのかと、上げた声にハッとしていやいやと顔を振り、それから逃げた。
「いや!マルコさん!降ろしてよ!」
「あんた、×××が嫌がっているでしょう!?」
 シュミットが、×××を抱くマルコの腕に手を掛ける。
「わりィな、おれは海賊だよい」
 フッ、と悪人面を晒し、シュミットの手を振り払うと、マルコは再び、走り出した。大通りは賑わいをみせ、通りの店は光を灯し、煌々としている。
「いや!シュミットさん!シュミット!」
 人目を憚らない×××の叫びに、人々はなんだなんだと視線を集めた。人波に飲み込まれたシュミットはもう見えなくて、×××は彼の名を呼び求めた。マルコの様子を見ていない彼女は、彼が、きつく眉を寄せていることに気が付かない。
 ×××のヒステリックぶりに、マルコはとうとう声を上げた。これでは、船に戻るまでに時間が掛かることを示唆していた。それに、船の隠し場所を知られては不味かった。アイマスクの大将になら、あの近辺の逃げ道を無くすことくらい、容易いものだと感じた。
「×××!静かにしねェか!」
「もうやだ!嫌!離して!」
「っ」
「ん!ンンー!」
 マルコが立ち止まると一層激しく喚いた。涙を浮かばせ、マルコの肩を叩く。マルコは辛そうに顔を歪ませ、彼女の後頭部を乱暴に掴み、引き寄せた。キツく閉じた瞼からボロリと涙が溢れる。肩を押しやる力が弱まり、ふるふると肩を揺らしている。頬は赤く染まり、それは首元にも及びそうな赤だった。
 激しく鼓動する心臓をマルコは無視した。息を求めて緩んだ×××の口元を強引に割り、分厚い舌を、逃げ惑う彼女の舌と絡ませ、無遠慮に、激しく口内を犯した。
 ×××に抵抗する力は無く、肩に当てた手が、ずり落ちそうになった所で、×××の酸素を奪う行為が終わった。
「あ、はあっ、ハァ―、はぁ、――」
 グッタリと彼にしなだれかかる体をしっかりと支えると、マルコは素早く足を、船があるであろう、崖まで、森を抜けるために動かした。
 ×××は気にかける余裕も無かったが、そこは大通りで、不特定多数がそれを見ていたし、それにその中に彼女を慕う彼が居たことも、マルコは承知していた。
 ただ、マルコが動揺したのは、かの陵辱の後、森の中で彼女を確認したところ、息も整って良いほどの時間があったにも関わらず、以前激しく荒い息と、動悸、赤い顔。そして熱だった。意識は無く、抵抗は無かったが、これは予想外で、マルコは彼女が風邪の治りかけであったことを把握していなかった。

 彼女の酒屋の家先に腰を下ろしても、十分存在感のある、長身の男は溜め息を付いた。秋島と言えど、決して、身が凍えるほど寒いわけでも無いのに、吐き出された息は、白く、空気に溶けた。ホウホウ、と梟の鳴き声が、闇夜に響く。
「―すみません、しくっちまいました。ただ、彼女が逃げたんじゃないんですわ。あれですよ、白ひげ海賊団一番隊隊長不死鳥のマルコにしてやられたわけでしてね〜ありゃあ、はいはい、いや、でもね〜再生能力は辛いねェ〜いくらおれが自然系(ロギア)でも覇気を使われちゃかなわんですよ。あ、あ〜だからねェ、彼女の戦力としては0として考えて良いんじゃないですかねェ…。はい、はい、ん〜今回は諦めましょうや。写真も撮れていない訳だし。おれ一人だったんだからさァ。まさかの展開だよねェ。そう、おれもそう思うよ〜。はい、はい、え!あららら、結局そうなりますか、はいよ。じゃ、さいなら」
 ハァ、暗い店先は、上手く暗闇を作っていた。男は、もう一度深い溜め息をつくと、額に付けていたアイマスクを降ろそうとして、それはあの金髪に蹴りつけられ、ゴムがおじゃんになったことを思い出した。
 ハァ、と三回目の溜め息で、立ち上がる。その身長は、常人が見上げるほど高く、ただ、威圧感は欠けていた。だるいというのがハッキリと体面に表れ、背は丸められ、俗に言う猫背だった。長身に見合うだけある、これまた長い腕を緩慢に持ち上げ、頭をがしがしと掻く。ゆっくりと踏み出す足調までだるそうで、ふらふらと歩く様子に、誰もしゃきっとしろと叱咤する者は居ない。彼はこれでも位が高く、先程連絡したのは、一権力の最高峰である、元帥で、先ほどのゆるゆるな通話は、今回の業務の報告だった。
 崖の下に隠しておいた小舟は消えていた。あの白い鯨も…。
 暗闇で、白い息が見えた。フッと吐き出されたそれは確かに嬉しそうに緩み、笑っているのだと分かる。
「やってくれたねェ」
 男は、あの女性を思い出した。罪の意識など、一切無さそうな、無垢な表情。あれを見れば、彼女がある言語を操れることなんか、どうでも良い気がした。もともと、海軍が秘密保持の為に、和の国の言語を滅ぼしたのだ。なのに、使える人物が一人いたところで何ら不思議なことではない。
 男は確かにあの女性を捕まえる意欲なんか無かった。ただ、自分には立場があった。何があっても、あからさまに彼女を助けるわけにはいかなかった。勿論今回は彼に監視も付いていた事だろう。それだけ、海軍は敏感になっていた。どれだけ後ろ暗い所があるのだろうと窺わせた。だから、装いだけでも必要だと思った。あの金髪が現れるのは賭けだった。戦闘だって、手抜きがバレないほどには動いた。ただ、再生能力が、良い言い訳になることは確かで、男の処分は始末書と、今後の任務の量が仕打ちのようにちょっぴり増えるだけだ。
 フッ、と自嘲する。能力者である彼が崖から身投げをするのは普通だったら考えられなかっただろう。ただ、彼に至っては心配する余地も無かった。
「氷河時代(アイスエイジ)」
 パキリ、と氷が形成される音。頭上を飛び回る鳥が海の向こうを目指して風を切った。眼下を望めば、人一人分はあるのかと言うほどの氷の道が、海面上に出来ていた。
 冷気が漂う海上を静かに歩く男が一人。この事件は、身内だけで処理され、彼女の名前は消え、た。

交響曲
道は分かたれた。
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