text | ナノ

 殆ど白ひげ海賊団で犇めく宿。上陸する以前から、やたらと発情期を迎えた雄のような船員達は夜の街へ飛んでいき、それでも宿の内部はどこをみても知っている顔。この島で一番広い宿では連日のように宴会が繰り広げられていた。
 何時もなら真っ先に飛び出していくサッチ。リーゼントがもみくちゃにされ、諦めたように下ろされて、後ろに流され、雑に纏められている。一日中キープできるそれを破壊したのは、彼の肩に容赦なく寄りかかる、金髪の彼で、滅多にお目にかかれない泥酔状態だった。
「おーいー!お前いい加減にしろって!何なわけ!?一体どうしちゃったよ。マルコ!」
 台無しにされたものに怒ることは無くなった。酔うと、頻繁にやられるから。何時しかサッチは髪を纏める髪ゴムを用意したし、マルコは依然止めようとはしなかった。リーゼントに触れられるのを極度に嫌う彼にとって、唯一許せる人。だが、本日はどうやら勝手が違うようだ。
 満足して去っていくと思われた彼は、コックスーツをピシリと着る逞しい肩に全身の筋肉を弛緩させ、寄りかかる。立てない様子は無く、ただ、体を預けているよう。
 しかし、大の男一人は、相当な重圧でもって、彼の肩を圧迫し、早くも根を上げた。
「…あ?何がいい加減にしろって?」
「飲み過ぎ!おれ、お前相手すんのやだ!何が悲しくておっさん二人寄り添わなきゃいけないの?」
 非難を込めて言う。だが、当の本人はまるで気を使わない言葉を投げ、余計嘆く声を増長させた。
「ナース呼んでこいよい」
「分かって言ってんだろ!ナースは親父一筋なの!」
「親父一筋なのは当たり前だよい!何だサッチてめェ親父一筋じゃねェのか?」
「一途だ!ってばっか!その話しじゃねェだろ!おれは綺麗なおねェさんが好きなの!てか!マルコ、なんで×××ちゃん連れてこないわけ?昼間会いに行ったんだろォ?」
 ×××ちゃんとチェンジ、と叫ぶ彼に周りの騒がしい声が加わる。そんな中、彼女の名前を出した途端ピタリと動きを止めた彼は、吐き捨てるように嘲笑した。自虐的な表情は、声で想像するしかなく、サッチからは伺えないマルコは、白い宿の壁を睨んだ。ふと目を逸らし、グラスの中を一気に飲み干す。宿にあった安い酒だった。
「はっ!×××はよォ…おれをマルコじゃないって言いやがったんだい!一体どうすりゃ誤解が解けるのかねェ」
「は?」
「おれはマルコだよい!」
 突然機嫌が底辺に落っこちた彼は、顎に垂れたそれを乱暴に拭った。サッチは、余計に掛かる重みを一時忘れ、不可思議な彼の言葉を聞き返す。さすればまた理解不能な言葉。辛うじて推測できる、
「う、う〜んと…、つまりお前やっぱりら面識があったわけ?」
「おれだけな」
「…おまえなんか忘れなさそうな頭してるのにな」
 ついでに顔も、という言葉は脳内で呟く。彼は結構、薄い頭髪をコンプレックスにしていた。返事を窮して、何時も通りおちゃらける。マルコがサッチにとって理解しがたい事を言うのは、ままあった。
「ああ!?」
「ほ!?今誉めた誉めた!」
 物凄い形相でサッチを睨み、新しく注がれていたにも関わらず、彼の酒を奪う。周りの四番隊がサッチに新しい酒とグラスを与えた。再びぐいっと半分程あったそれを喉に流し込み、一転して静かにため息をついた。
「×××はよォ…、ボロボロのおれを拾ってくれたんだよい。それで治療してくれて、飯もくれて…、なァサッチ。×××はおれを忘れちまったんだいぃ」
 酒で焼けた喉は多少かすれて、無意識に醸し出す悲壮感。
 サッチにはマルコが人に助けられるほど酷い状態になることを知らない。青い炎が常に彼を守っていたから。
 それに、このように彼から家族以外の人間関係を言われることも無かった。サッチが無理に誘わなければ女を買おうともしないほど、彼に全くと言って良いほど、女の影は無かった。
 だから、サッチは、気難しそうに顔をしかめ、彼にしては真面目に返した。
「あー、んー…、えぇっと。有り得ねェ…マルコに女だなんて…猫でも被ってんのか?…もっかいアタックしてくれば良いんじゃね」
「おれはマルコだよい…猫じゃねェ!いや、猫だった。でもおれは猫だろうが人間だろうがマルコなんでェ!」
 小声で言った部分のみを拾われる。否定しないのかと、サッチは再び始まる彼の言葉に乾いた笑い声をあげた。
「マルコお前疲れてるよ。猫だったとか訳わかんないこと言ってるぞ」
「猫だったんだよォ…、猫、ね、こ…?って、ああ!」
 酒を飲む手を休めない彼に、サッチは本格的に心配になった。これ以上酔いつぶれられたら、運ぶのは誰だ?ああ、おれか。心の片隅で嘆く。
 肘でガスガスと無遠慮に頭をつつき、何か閃いたらしい彼を弾く。もう眠るのかと思われた意識はハッキリしているようだった。
「アン?早よ部屋戻れよォ?明日も会いにいきゃ良いだろ?」
「ああ、全くだよい」
 サッチと顔を突き合わせ、ニヤリと顔を歪める。何時もの調子でグラスを空ける彼に、サッチは首を傾げた。何時もに増して自信に溢れているように見える。
「ん?」
「とんだばかだおれは」
「女が関わると男はばかになるんだよ」
「格好いいこと言ってンじゃねェぞいサッチ、この万年発情期が」
 ふ、と哀愁を漂わせ、笑うサッチ。自称格好いいおれな彼にマルコは笑いながら足蹴にした。
「あ!何か久しぶり過ぎる!その嘲り!忘れかけてたぜ」
「マゾヒストかよい。きめェ」
「いきなり本領発揮しすぎ!もう心折れそう!綺麗なおねェさん!癒しに来て!…あ?お前はもう寝ろ!」
「ああ、そうさせてもらうよい」
 ああ、きもいうざいと笑い、酒を呷る。サッチは傷ついた装いもせず、両手を大勢賑わいの中心に向けて広げている。同情したように、覚えたての名前をしなを作りながら呼び、マルコの座っていた所に落ち着く若い女性。胸元を大胆に開いた仕事用のドレスにサッチは指を絡ませた。宴に背を向けたマルコを呼ぶ高い声。一瞥も与えること無く、マルコは自室へと戻った。
 早速、明日にでも会いに行こうと思った。あちらは、自分の本来の姿を知らなんだ。信じられず、ただ否定の言葉で拒絶もするだろう。そう思想の世界に意識を馳せながら与えられたベッドに腰を掛ける。揺れない地上はどこか懐かしく、同時に違和感を感じる。座る感触も勿論何時もとは違って柔らかいものだったし、窓から覗く景色は月明かりではなく、賑わう街のライトで照らされていた。
 しかし、本当にそうだと言えるだろうか。彼女の様子は今までに見たことが無いほど怒りに身をたぎらせていたし、元々島の住民の様に場に馴染んでいた。暫く見ない内に髪は伸びて…。だが、確信はあった。彼女の口からおれの名と猫だった時の記憶があるから。それならばどうしてあんなにも彼女は自然に見えたのだろう…?それに、彼女が言っていた言葉に違和感を覚える。“彼女”の知り合いかと思った…。彼女とは誰だろう。それにとっさに出た言葉のようにも感じた。指摘した直後に一瞬たじろいだ様子を見せていた。もしかしたら、誰にも言ったことは無い何かがあるのかもしれない。彼女の知り合い…。猫であった時に聞いた女性の知り合いでは無さそうだ。×××は知らなくて、知り合いとやらは彼女を知っていた、だから気になった、と言ったところか…。
 それに、彼女ではないが、×××に彼は居た。あのわざとらしく取り繕った言葉に嘘臭い笑み。自分は除け者であるとハッキリ自覚させるように彼に向かって手を振り返す彼女。今思い出しても憎たらしい。奴はやはり×××の―、
 自分の知らない彼女がいると感じるのは居心地が悪かった。そんな風に気にかけられる存在から外された自分にとって、嫉ましいモノだった。
 では、自分はどんな存在なのだろう?取り分け、彼女に言い募る不審者か…。
「情けねェ」
 乱暴に外の眺めを遮断する。鋭い音をたてて閉まるカーテン。
 ギシ、とスプリングの音を軋ませ、ベッドに座り直して、頭部の少ない髪をクシャリと手で崩した。悔しさと、嫉ましさに歪んだ表情を見せたくなかった。誰も見ていないことは承知だったが。

 同時刻、暗いカウンター席で一人、頭を抱えたまま眠る×××。肩に何もかかっておらず、秋島と言うだけあって夜は冷え、目には明らかになっていないが、その肩は冷たく凍えているように見えた。
 何時も甲斐甲斐しく何かと世話を焼こうとする彼は、今は無く。

 また、暗い中、白い雪のような、氷のような手が見える。手中には、ごく小さな黒い電伝虫。聞こえる音は無く、微かなサーと空気の流れる音。それも、近くに聞こえる波間に紛れて確かでは無い。着実に島が近くなっていく。目の前に黒い影、それが大きくなるに連れて分かった。
 島の海岸線とは反対に位置する崖沿い。大きな船を、その船首(ビークヘッド)を目の当たりにし、カチリと謎が解けた唯一の存在。パキパキと崖に薄く透明な膜を張り、苦い笑いを漏らした。
 見つけた。
 読唇術を使えるものでも、この暗闇で把握出来る者は居なかっただろう。小さな小さな空気の振動が、大きく唸りを上げることが示唆出来る。
 唯一の解決者が大きな船の死角になって、気配が消えた。

夜想曲
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