text | ナノ

 三人の海兵は口封じに、それなりの処理をさせて頂いた。自分は海賊であるので、特に何の感傷も抱かず。ただ、あの酷く怯えた表情を思い出しては、らしくも無く、泣きたくなった。オヤジに、ジョズに、報告をしなければ。だから、島を早々に飛び去った訳で、それ以外の意味なんか持ち合わせちゃなんか居ない。言い聞かせる。
 特に危険な所は無いだろう。他の海賊が縄張りを張っていた訳でもなく、まさに穴場のような島で、白ひげを知っていたようにも思えなかった。それは飯屋や、その他諸々、彼に対する態度で見て取れた。常人でも不死鳥マルコの名前を知らない人はそうそう居ない。白ひげにもなれば、有名で子供の童謡紛いにも歌われる位だ。飯屋の場所も確保できたし、酒だって上質なのを押さえている。食料に関してはサッチを先頭にして指揮するので、マルコの管轄外でもあったから、心配は要らない。
 今回の島も、結構退屈に終わりそうだ。マルコはそう思いつつ、翼を強くひとつ、羽ばたかせた。青い炎がひとひら同色の青に落ち、しかしとても映える。退屈だと思うのは、所詮自分が海賊であるから、それとしか言えない。脳内の片隅に、本能で、体が、戦いと興奮を求めているのは、もうずっと長いことそうだった。宝の地図に胸を踊らせ、海戦に赤と青を交わらせる。マルコのみならず、白ひげの船員たちも、普段は穏やかに過ごしているが、一旦枷がはずれてしまえば、跡も残らないほどだ。だから、世界最強の名を轟かせているのだが。
 帰りも、唯一、マルコだけが見下ろせる巨大な白鯨が見えるまで、見慣れた空を引き裂いた。彼らの家、とも言えるそれは、親の白鯨を筆頭に、周りと背後を固めるように三頭の鯨が遊泳する。それも1600人を集約していると思えばその船は大きすぎる位だった。
 一番大きなマストの頂上、見張り台にト、と確認出来るか、出来ないかの範疇で軽やかに降りると、また下の甲板へ、そこから飛び降りた。グン、と迫る板張りに、衝撃を殺すように半獣化して、翼で空気を抱く。ふわりと柔らかく降りたものの、直ぐ傍らを通り過ぎようとしていたサッチは驚きに声を上げ、熱烈な歓迎の言葉を彼に叩きつけた。他にも船員がわあわあとお帰りと騒ぎ立てたが、サッチは其れをも凌ぐうるささを一人で担った。
「おまっ!まァじ心臓に悪いから!あー!寿命縮んだ!帰ってくるなら連絡寄越せよ!」
 手から飛び出したリンゴを空中で掴み、腕に納めなおした。大袈裟に片腕で額の汗を拭う振りをする。再び転がり落ちるリンゴをマルコは心底鬱陶しそうに顔をしかめて、見た。
「うっぜェ、帰ってきて早々説教かよい。てめェはおれの母ちゃんか」
「あら!私こんな強面の子供持ったつもりは無いわ!セクシャルハラスメント!」
「…」
 態とらしくしなを作って、けたたましい声を上げる。それは直ぐ形無しになること必須だが、どうやらサッチというこの男は懲りない性格らしい。
「おーっと、顔が正に極悪人だぜ、マルコ。お帰り。一体どうした。本当に電伝虫も使わないで、ぎゃああ!ホント!蹴られるのは良いけどリーゼントだけは!おやめ下さいリーゼントだけは!」
 帰ってきた途端にサッチのペースだと、マルコは忌々しく思い、視線だけで人を殺せそうな程睨みながら、ゆっくりと歩み寄り、手を伸ばした。周りのモブがわっ、と沸き立つ。そのどこか楽しんで居る様子にマルコは戦意喪失し、こめかみに苛立ちの青筋を立てた。
 手を出せば、周りが楽しむだけだ、ということを彼は良く弁えていた。
「誰がてめェ、ワックスだらけの汚らしいリーゼント触るかよい。ベタベタしてんだよ」
「おいおいおい、おれ様のリーゼントはふわふわ仕様だぜ、毎朝何時間かけてっと思うの」
「2時間」
「うわ!何故知っている。本当にお前もしかして」
 得意げにリーゼントの上から手を滑らす。そして心底驚いた顔。ジェスチャーまで驚いたようにポーズを取るものだから、マルコは呆れた。いや、酒の席で飽きるほどてめェ話してんじゃねえかい。あらぬ疑いを掛けようとするサッチを一刀両断して、
「人生の無駄遣いだな。てか、ホントてめェの事はどうでもいいんだい。オヤジはどこだ」
「…ああ、サッチ両目が熱いよ。玉ねぎの時間差攻撃かな。そう言えば聞いてくれ、」
 その後サッチの長々と続く、彼に苛められるおれ可哀想話を延々と続けた。聴衆は乗りの良い四番隊とその他パラパラと居たが、あの特徴的な金髪は見当たらなかった。
 もう話を聞くのも、返すのも面倒で、望んだ答えが帰ってきそうもない様子に、マルコは呆れかえり、己の隊員が即決で出した答えに従って、船首に足を進めていた。
 船長は体調が宜しいのか、船首の、白鯨の頭に胡座をかいていた。彼の獲物である長鉈を体の横につけて。傍らに待機する筈のナースも今は居ない。ふと、マルコは、彼の長鉈を持つ手が、点滴のスタンドを転がすようになったのは何時からだったか、思いを馳せた。
 あの日も、彼は酒豪で、機嫌良く飲んでいたなあ。確か海戦の明けで、珍しく彼が参加したものだった。エースも、慣れないながら、しかし、一隻の船を仕切っていただけあって、前の船員も含む二番隊を上手く動かしていたとマルコは思う。
 以前から体調の不良を訴えはしないが、検査には確かに出ていた。薬を好まない彼に苦心しながら、治療まがいな行為をし、それが表だって行われるようになった宴は、全員に驚愕を与え、寿命を縮ませたものだった。マルコは今でも、それを思い出したくない。目の前に偉丈夫な彼の背を見つめ、声を掛けようと思った。何時までも無言で背後に立つのは、変、だと思った。
「グララ、マルコか?お前の帰省がこっちにも聞こえてきたぜ。派手だなァ」
「違ェよい。あれァサッチが騒いでただけで」
「おうおう、そうか。どうだった島は大丈夫そうか」
 何か目が微笑ましそうに緩み、マルコは背中等辺が無図かゆくなるのを感じた。白ひげの親ばりの包容力は、小さい頃から受けているものの、それを素直に受け止められない。マルコは至って平素を保ちつつ、気持ち海に視線を投げかけて、島を思い出す。
「ああ、全然心配は無さそうだねい。飯屋もおれ達が数日使えるよう手配しといた。ログは一週間で溜まる。良い酒も見つけておいたよい。あー、あと…」
「何だァ?心配事か?」
 言おうか、言うまいか、迷って言った。きっかけは自分の利己心からだが、報告するのは至極客観的で無ければいけない。自分の身勝手な行動が後に仇になると、白ひげ海賊団の存続に異常をきたす。それがほんの小さな亀裂でも、妥協するべきものでは無いから。
「ん〜、海兵が居てねい、おれ等には関係無かったんだが、片付けちまった。もしかしたら援軍が来るかもしれねェ」
「グラララ!つまり、大した事ねェってことか!」
 何故、マルコがわざわざ騒ぎに手を出したかは聞かれなかった。このことで、事がややこしくなるかもしれないことを咎めることも無かった。ただ、白ひげはこれから訪れる島を楽しみに、グラグラと豪快に笑い、海の向こうを眺めた。既に島が見えているような眼差しであった。
 マルコも、報告が終わったことを伝え、彼の傍らに佇んだ。気がつけば、背後に彼を除く、現在主船を担当している全隊長、その隊員が須く揃っており、夕食を兼ねた宴会が繰り広げられた。
 結局、世界政府にも、他の海賊の縄張りでも無いそれは、未来、白ひげの旗が掲げられることを示唆しつつ、船は月が揺らめく波面を裂き進む。

 マルコらが、酒盛りに湧いていた時、島から離れた、ログポースが、辛うじて反応する範囲に一隻の軍艦が器用に浮いていた。ノイズが激しく主声を阻むが、大きなデスクに、不躾に足を乗せた海軍は気にすることなく、大あくびをした。把握出来たのは一手に欠伸と共に漏れた声からだった。部屋は暗闇に飲まれ、確かに眠気を誘うとも取れた。但しこの男に関しては常にそうであるから、この状況が正しく原因だとも言えない。
「…」
 音もなく開く観音開きの扉。重厚そうなそれが、片方、人一人通れる分開き、静かに閉まるかと思われた。
「うわ!真っ暗!電気くらい付けて下さいよォ」
「…」
「…」
「…」
 反応が無い。まるで屍のようだ。端から見れば静止画にも見えるそれが、動き出すのは小さな溜め息。扉の方に確認できる。
「たいしょォ。そりゃ無いよ。私、報告しに来ましたけど、そりゃ無いっすよ」
「…」
 反応は無い。
「あー。勝手に報告させて頂きますね。本日午後十時を期限に帰還される筈の、少将一名。准尉一名。曹長一名。計三名が、何者かによって殺害され、死体解剖の元、夕方の四時から五時の間に行われた事が分かりました。場所は島の海岸線から反対の崖になっている森の外れで、目撃者は居ないものと推定されます。使用された凶器は、刃渡り20センチから30センチの大型の刃物と予想され、しかし、傷口が荒いため、断定には及びませんでした。我々とも表立って行動出来ませんで、これらをどう処理したら良いでしょうか。上の指示を仰ごうと大将を訪れました故」
「…」
「大将」
 言葉を促す。光に露わになった彼は身じろぎさえしなかった。
「大人しくしていればなァ…」
 静かに落とされる言葉は、悔しそうに、諦観が漂う。報告とは全く関係が無いように見えた。
「はァ」返答に困った溜め息混じりの返答。丁度被さるように続く言葉。寧ろ聞こえていなかったのかもしれない。
「彼女さあ、ちょーとアウトどころじゃ無いんだよね。薬じゃ無くてその持ち物が。あらら、結構お気に入りだったのになぁ」
「はァ」
 返事は求めていないような独り言に相槌を打って、辛抱強く彼の、報告への返答を待った。
「んー。殉死、てとこかな。彼女独りに少将は扱えない筈なんだよね、例え彼が能力者じゃなかったとしても。騒がれない為にも秘密裏に処理しなさい。家族には…。どう説明しよう。ま、そっちで何とかして。…誰かなァ、今一番近くにいるだろう海賊は…。不思議だよねェ。全然拾ってくれないんだよ。だから単独犯だったら、相当な手練れだよね。キミ、用心しておきなさいね。頃以上人喰わす訳にもいかないし」
「…はっ!」
 聞き終わり、続けられたらこの言葉が、自分に対する返答だと気がつき、バシリ、と敬礼を決める。
 再び、来たように、今度は一言も発せず、厚い扉の向こうに消える。彼女の表情は最後まで見なかったし、見れなかった。勿論彼女にも彼の表情は伺えなかった。彼は最後まで、チェックのアイマスクを外さなかった。
 大将はこれからを思い、憂鬱になった。自分は暫く馬車馬のように働かされるのかと思うと、更に鬱々と気持ちが落ち込んだ。
「(おれって、何時も嫌な役回りなのよね)」
 思い出すは、綺麗に笑う。それこそ大輪の薔薇のようでは無く、白百合のように可憐で美しい清楚な微笑み。その笑顔を奪うと思うと、男はため息をつくしか無かった。溜め息をつくと幸せが逃げる。男は訂正したかった。幸せが逃げるから溜め息もつきたくなるよと。
「(おれって、可哀想。美人さん運が無さ過ぎる)」
 救おうと、試みたが、生憎弾かれてしまった。あれは、結構無理矢理感があったから、失敗するだろうことは、男は安易に想像出来ていた。だが、男は己の言い分がかなり女性を怯えさせていた事に余り気がついていなかった。基本、扱いが下手なのだ。残念ながら誰もそれを指摘してくれる人を彼は持たなかった。


受難曲
低くベースがどっしりと構え、
高く周りが事実を覆い隠す、
芯は、空中を不安定に飛び…
どれが本物か、見つけるのは誰か
たどり着くまでに絡みつく虚像。
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