text | ナノ

 宿を出て、暫く歩くと、見覚えのある通りに出た。それが直ぐに、早朝通ったアーケードなのだと分かったが、人通りも多く、活気に溢れているのが分かった。
「(何でも揃いそうだ…果物に野菜、魚、肉。一次産業が発達してるのかねェ…)」
「ちょっとそこのお兄ちゃん!買っていかないかい?今逃したら後悔するほど美味しいんだから」
「あァ、見たことねェ程色艶が良いねい。所でこりゃ、なんて言うんだい?」
 目の前に試食用のそれを突き出して、商売精神に溢れた恰幅の良いおばさんがマルコを止める。自分をお兄さんだなんて呼んで、行く手を阻むものだから、思わず立ち止まって、見たこともないそれを一粒、手にとって、光に翳した。
「なァに、お兄さん、旅人かい?それじゃ、余計食べた方が良いわ!」
 ほれほれと催促され、口に含む。程よい酸味と、甘い香が鼻を通り抜けた。確かに、美味しい。
「美味しいねい」
「そうだろう?さ、お代は良いから持っていきな!旅の記念にね!」
 一房押し付けられ、また次の客を相手にし始める。結局それはマスカットと言い、葡萄の一種であった。一粒ずつもぎながら口に放り込む。強いエメラルド色のそれは、見たことが無いだけに、美味しさも一際増しているようにも感じた。

 その後、アーケードを通り抜け、一端島の端に着く。あちこちに気を配りながら、人が居ないのを確認して、飛び上がる。空には、青い鳥が一匹、確認できるはずだ。
 島を一望出来そうな位まで上昇して、マルコは、自分が先ほど通ってきたアーケードを確認した。大凡島の中心を二等分にするように延びていて、周囲を囲むように細々とした住宅地が広がっている。また海岸沿いに森が広がり、低木がパラパラ分布しているところは農酪地となっているのだろう。マルコは、島の概要を確認し、自分達の船をどこに止めるか、島の周りをゆっくりと回り始めた。
「(海岸線が随分と長く続くねい…。ん?)」
 丁度、島の海岸線の反対側、低い崖から高い方へと続く絶壁の一カ所。何か、動く物を捉えた気がしたマルコは、向こうには見えない程度まで高度を下げた。するとそこには明らかに人工物である、崖に面した、木製の扉。丁度保護色になって見えにくいが、白い服を着た誰かがそこに消えるのを見たため、マルコは暫し低徊しながら、そこを離れていった。
「(…入江が無いからねェ…。しっかし、あれは島の者だろうから…あそこから死角になるところを検討しとくしかねェない)」
 そう、目の前の現実を軽視して、自己完結する。

 マルコが再び街中に戻って行ったのは飯屋で昼食をとることだった。カウンター席に座り、適当に頼んだ定食の肉が旨くて舌鼓を打った。食後にコーヒーを頼み、喧騒が収まってきたところで、カウンター越しに居る店主を呼び止める。
「なァ、おやっさん」
「お?」
 そこで丁度良く裏口の戸が、控え目に叩かれた。
「おお、すまんがあんた、少し待っててな」
「いや、悪いねい」
 バンダナをシュルリと解き、腰のエプロンで手を拭うようにして奥に引っ込んでいった。静まり返った店内で聞こえるのは店長と若い女の声。「ああ、×××ちゃんか、」微かに聞こえた懐かしい名前に、マルコはそれ以降、二人の話す事を殆ど聞かずに、彼が戻ってくるまで、中身の無いコーヒーを啜っていた。
「待たせたな、」
「おやっさん!今×××って言ったよな!?」
 戻って来た彼に、今にもつかみかかりそうな剣幕で、声を荒げる。
「あ?そうだが…」
「もしかして、…」
 最近ポッと現れた子かい?と続けようとして、やめた。カウンター越しの彼は、口を開けたまま、表情を暗くしたマルコを見て、首を傾げながら次の言葉を促そうとした。
「×××ちゃんがどうしたんだ?」
「いや…、良いんだ。ところで此処は夜は酒もやってんのかい?」
「ああ、やってるぜ!今、×××ちゃんが持ってきてくれた自慢の酒だ」
 白ひげ海賊団一番隊隊長である事を辛うじて思い出し、任務を遂行するために発した言葉は地雷だったようだ。マルコは再び発せられる彼女の名前にピクリと眉を動かし、だが何も聞かずに、本来の目的を話す。
「…なァおやっさん、今は俺一人しか居ないんだがねい、一週間以内に仲間がくるんだ。何日かこの店、俺たちだけに空けとけねぇか?」
 静かに懐に手をやり、反応する店長に、お代はあるとマルコは言いながら、札束をチラリと見せる。数日貸切で、飲み食いをさせるだけにも十分すぎる程で、店長は目を見開き、次には弾けるように笑った。
「毎度あり!」
「あァ、じゃあ、十分過ぎるほどに食料は調達しておけよい。うちには大食らいがいるからな」
 ポン、と札束をカウンターに置き、じゃあ、と言って外へと続く扉に向かう。面に出て、喧騒が広がる中にいるマルコの耳に入ったのはあの店長の、明るい声。
「任せとけ!…おっと、おまえさん!×××ちゃんの家は町外れの通りの端にあるぜ!!」
 別にそれを聞きたいがために代金を置いたわけではないのに。どうせ、同じ名前の別人なのだということくらい分かっている。だから、何も言わずに通りを歩いていく。マルコが向かう道とは逆に進んでいく黒髪の、若い女性。まだ幼さの残る顔。お互い、気付くことなく離れていく。

 道すがら、美味しい造り酒屋の通りを教えてもらい、そちらの方へ向かう。飯屋に予約を取り、もう一二時間は経過しただろうか。そこまで大きな島だとは感じなかったためか、行く先ゞで声を掛けられ、主に食べ物を押し付けられる。また、来いと言う宣伝なのか、旅人だと言うとほぼそうなので、何時しか何も言わなくなり、街の外れに住んでいる者だと言うようになった。すれば、街外れとなると造り酒屋が連なる通りかい?となり、そこで、ジョズのお酒を取り押さえておこうと思い立ったのだ。
 街の中心街から離れていくと成る程段々と酒の匂いが鼻をつく。レストラン街でも、飲み屋はあったが、船に酒を調達するならば、このような場所が適任だと思った。
 奥へ、行こうとして、マルコは足を止めた。
「(なんでこんな所に海軍が居るかねェ…)」
 少尉以上の位なのだろう。背中にこの文字だけは読めるマルコはカチッとした正義の二文字を憎々しげに見た。脳裏の片隅で、これじゃ無い文字も見たことがあるような気がしたが、どこでだっただろうか。思い出す前に離れた前の方で白い布がはためく。微かに声も聞こえるようだ。
「………さん?だか、、少し話しを――」
「待って下さい!」
「――――――――」
 緊張に上擦った声が女性のものだと確認しても、マルコは逸れた道に戻ろうとはしなかった。何かを耳打ちするように海軍の話す気配が窺える。それに、もう一方は怯み、次には大人しく海軍の奴を店に招き入れたのが伺えた。
 暫くして、外に気配が無くなったのを合図にマルコは陰から身を出す。シィン、とした通りは何事も無かったかのように、日常を取り戻したように見えた。
 教えてもらった名酒の幾つかをジョズに、其れよりもランクが二つほど上の秘蔵酒をオヤジに何本か取り置きをし、外に出る。オヤジに一番良いものを、と思うのはモビー・ディックの中の船員ではごく自然のことで、もう随分な年になって、肝臓も万全な状態でなく、控えるべきものだとしても、やはり喜んでくれる姿が見たくて、一等良いものを少しだけ、マルコは豪快に笑ってくれるであろう彼を安易に想像でき、くふ、と笑みを零した。
 さて、いい気分で、用も終わった事だ。沈み行こうとする夕日を見ながら宿に戻ろう。もう、船に戻って偵察の報告をしなければいけないと足を進めるマルコは不審な物音に、微かに眉を潜めながら音の方に首を捻る。
 バン!木造の扉が振動する。中から聞こえる罵声。荒々しく開かれた扉の中から現れる海軍。マルコは少し面倒そうに頭を掻いた。まだ此方には気付いていない。海軍に後ろ手を掴まれ、連行されようとする女性を見、マルコは全身の血液の流れが急に強くなり、カーッ!と体中から蒸気を発しているのかと思うほどに全身が憤りに戦慄いた。
 ×××…!!
「その人を離してもらおうか…!」
 海軍が一斉に振り返る。その全員が一人残らず瞠目し、驚きに唇を震わせ、
「きさまはっ!ふしちょ…っ!」
 言わせないとばかりに顔面を蹴り飛ばす。くぐもった悲鳴に、地面に投げ出され、女性の甲高い悲鳴。
「きゃあっ!」
 マルコはもう一人の海軍を蹴り飛ばして、彼女を見た。最後に会った時よりも髪が伸び、乱れながら頬の赤を隠す。チラリと見えたそれに、マルコは一層頭に血が上るのを感じた。彼女の目は恐怖に震え、マルコから目を逸らす。その様子に気がつかないマルコは、彼女を後ろ手に拘束する中でも一番位の高い海軍を見た。
「公務執行妨害だ!何が目的かは知らんがなこの女を助けるのはオススメしないぞ!」
 海軍の喚く言葉を聞くまいと思いつつも、何か彼女にあったのだろうか、マルコは訝しげに片眉を器用に引き上げ、特徴的な金髪を揺らした。
「×××?」
「ひっ!わたっ、私こんな人知らない!少将さんっ連れて行って!幾らでも私の無実を証明するから!」
「×××!何言ってるんだい!」
 愕然としたマルコは、恐怖に震える彼女に手を伸ばそうとして、やめた。少将が抵抗をしなくなった彼女の手を離し、マルコに対峙する。きつく寄せられた眉はそのまま、マルコは納得しない様子で、如何にも煩わしそうにそれを足で凪払い、身体の真ん中を踏み潰す。カエルが潰れたような声、唾を吐き出して気絶した。
 腰が抜けたようにへなへなとその場にへたり込む×××に、マルコは慌てて体を支えようとしゃがみ込み、手を伸ばす。パシッと軽い破裂音とともに手を拒絶され、×××と思しき女性が声を上げる。
「触らないで!あなたなんか知らない!何処かへ行ってよ!」
 自分の会いたい×××で無いならば、この言葉は正しい。自分は海賊で、恐怖の対象でしか無いのだから…。行く手を無くした手を、マルコは静かに体の側面に収め、徐に立ち上がる。ビクッと女性が肩を震わせ、しかし平静を保つ。気丈なその姿にマルコは自嘲し、地面に転がる海兵を三人掴み、何も言わずにそこを立ち去る。船に帰らなければ。報告が出来ない。
 本来しなければいけない任務に頭を切り替えようとする。余りにも似た相貌を再び見、罵声を平然と浴びれる程、残念ながら其れほどの余裕も精神力も、打ちのめされたマルコには残っていないものだった。

 こんなにも似ているのに…。

交声曲(カンタータ)
多声な筈なのに響くのは単声ばかり。
今やそれさえも途絶えようとするのか。
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