「私って、一体誰なんでしょう…」 グリードさんに連れ戻され、小さなテーブルを三人で囲むように座る。エリーさんの、同情に染まった目を見れなくて、私はどんどん頭が下がっていくように感じた。 新聞を握り締め、悲痛な面持ちをする私に、二人はさぞ心を痛めただろう。だって、二人はきっと私と関係が深かったんだ。そうでなければこんな優しい声なんか出せない。 「×××ちゃんはね、」 そう始めたエリーさん。話しを聞いて行くにつれ、私の顔は暗く、沈んでいった。 二人の仲の良い夫婦の間に生まれた一人娘。昔から地元でも、いや、島の中で、もしかしたら外でも噂になっているほど有名な酒の醸造屋。商売を無理に広げようとはせず、先代から受け継がれ、精鋭された酒は実にここでしか手に入らない秘伝の酒。忘れていなければ私にも作れるだろうと二人は言う。それを言葉にする夫婦は明らかに顔を陰らす。 「…でも、×××ちゃんは造れなくなって良かったのかもしれないわね…」 表情も暗く、ぽつりと零すエリーさん。私がお酒を造ってはいけない理由は見当も付かないが、私は、私の器に、仲の良い両親が居ることに愕然とした。二人に何と謝れば良いのか、思いつかなかった。二人を交互に見る。そこで私の頭にポンッと一説が浮上した。 「エリーさん、て…、私のお母さん?」 「え!?」 「グリードさんはお父さんに当たるのですか?」 「っ!!」 突然の私の言葉に驚きを隠せない二人は目を丸くする。親であることを忘れられるのに、やっぱりショックを受けていたんだ、と胸をギュッと鷲掴みされたように痛みが全身に広がる。 「すみません!覚えてないってっ…」 「違うんだ!×××ちゃん!」 「え?」 突然大声をだす彼に私の動きが止まる。今にも泣き出しそうな、なんだか怒っているような、激しい否定だった。 「エリーが君の母の妹なんだよ!ぼくらは君の親じゃない、君の両親はっ!」 「グリード!やめて!」 今度はエリーさんが叫ぶ。痛々しい声に、私は呆然とやり取りを見ているしか無かった。 「エリー!君は現実を受け入れなきゃいけない!ぼくらがしっかりしなくてどうするんだ!?」 「私の大切な姉さんなのよ!?」 「それは分かっている!!でも×××ちゃんが生きてるだけでも…!!」 口論する彼らを見て、何となく、今の状況が掴めてきた。この器の持ち主は幸せだったんだって。 「グリードさん。」 「はっ!」 「…私の両親は、居ないんですね?」 「なんで×××ちゃんまでそんなことっ!」 無感情に言う私の表情は、どれだけエリーさんを傷つけたろう。取り乱す彼女を抱き締める彼、この夫婦はとても愛し合っているんだ、と嫌でも思い知らされる。この×××と言う娘の器だって、こんな私の精神が入り込んで、さぞかし迷惑なことだろう。 「エリーやめないか」 「分かっているわ!!姉さんが海賊に殺されたことぐらい!!×××ちゃんの目の前で!!それで×××ちゃんの記憶まで滅茶苦茶にされたんだから!でも!!記憶を無くしてるのだからそんな事知らせるべきじゃ無かったわ!!」 「海賊…」 ぼう、と二人を眺める。あの子も海賊だったな、あの子って、名前…何だっけ? 「×××ちゃん…っごめんなさい、言うつもりじゃ…」 「でも、事実ですよね」 「っ」 「エリーさんが、自ら自分の姉の存在まで消さないで欲しいです。…忘れてしまって、すみません…」 傷付く彼女を見ていられなくて、私は一体何をすれば彼らを笑顔に出来るのだろう。なんて、取り留めのないことを考える。私の精神がこの体から出て行ってしまえば良いのに…。暗い気持ちが表情にでたのか、エリーさんとグリードさんがお互いに目配せをして、気まずそうに微笑む。 「良いんだ、×××ちゃんは限界だったんだよ、自己防衛だったんだ」 「ごめんなさい、×××ちゃんにそんな事言わせるなんて、嫌なおばさんね…」 私の肩をがっしりと両手で掴み、瞳に強い光を灯すグリードさんは、強い人なんだと、そしてそんな彼と共にいるエリーさんは、顔を下に向けようとも、微かな笑みを湛えているのを見て、この二人は大丈夫だと確信した。問題は私だ。 「…私、記憶が無いんです。」 顔を背け、希望を見つけた彼らから目を逸らす。二人が息を呑む。その続きを言わせたくなくて、私の口は思ってもいないのに動き出した。 「名前は×××、年は26。両親は居ない。…あと、私は猫が好きです。」 「×××ちゃん…、あなた、まだ22よ?」 「え!?…そう、なんですか、…でも、それくらいしか、私を証明するものが無いんです。私って、何をしていたんでしょう…?思い出せないけれど、教えて下さい。前の生活を無いものとして扱いたくないんです。」 四年前?に私の肉体年齢が戻っている?いや、違う。私の器の年齢が22なだけなんだ。 遠い目をする私に、不思議そうに首を傾げるグリードさん。気付きながらも、もしこれを知られて、説明は出来ない。だから、敢えて何も声は掛けなかった。 「…、×××ちゃんはね」 そう言って、エリーさんが話す。この通りの対角線上に家をもつ彼らは、よくこの家に訪れるようで、楽しそうに話す彼女にグリードさんが、シスコンだとなんだと度々口を挟む。それでもエリーさんは慣れているのか、軽い口調でそれらを交わし、私の生活を断片的に話す。商店街の人たちと何時も立ち話が過ぎるとか、ガーデニングが趣味だとか、花を持ってくるより薬草が多くて、しかも何時もどこかに汚れをくっつけているとか、一生懸命なのよね、と彼女が笑う。 「なんだか、嫌なとこばっかりじゃないですか!」 私の器は、ドジなんだろうか…。元々自分にもそんな所があるだなんて、本人は到底気が付かないものだ。そして、私はやはり気が付かない。エリーさんがびっくりしておかしそうに声を上げる。昔を思い出してか、身振り手振り、楽しそうにコロコロと笑いが踊る。 「そんな事無いわ!ほんと×××ちゃんは明るくて、誰にでもフレンドリーなの。何時も一生懸命で、酒の醸造の極意は両親に教わっているはず。頭が駄目でも体は…って」 笑いがぎこちなく固まる。思い出すことがあるのだろう。お酒を造ることに命をかけた両親がいた。私の、ではないのだけど、エリーさんが求めているのは昔の私な筈なんだから…。 「いいんです、やってみます。エリーさんにとってもそっちの方が良いはずですから」 口端を持ち上げて、微笑む。困ったように眉を下げるエリーに、私は首を傾げた。 「あ…、敬語なんて、使わないで…。いつも×××ちゃんはエリーって言ってたのよ?」 「そうだ、今から、行ってみるか?海賊に場所は知られていないんだ。醸造所は、…いいな?エリー」 エリーさんが微笑み、私が頷くと、思い出したかのようにグリードさんが口を開いた。 「分かりました、行ってみましょう」 固く返事をする私にエリーさんがニコリと微笑み、 「はは、いきなりでなくて良いから敬語は無くしていこう?これからはぼくたちが君の両親だと思ってくれて構わないのだからね」 「あ!…えーと、うん…、分かった」 グリードさんが私の肩を叩く。余りにも自然で、私も知らないうちに笑っていたようだ。二人の笑顔が眩しい。 私達は、醸造所に行って、古く、年季が入った木製の扉を開く。空気が籠もった感じは無く、きっと二人は頻繁に訪れていたのだろうと思わせた。地下には地下水を汲み上げる機器があり、普通に作動しそうで、ツと指を滑らせた。 「ねぇ、グリードさん、私ってどれくらい寝てたかな…」 埃も被らない様子に、私は振り向きながら尋ねた。後ろを付いてきていたグリードさんの灰色の目がパチパチと瞬く。 「ん?言わなかったかな、二日間だよ、そうだよね?エリー」 「ええ!」 「…そんなに?」 寧ろ早くて安心した、と言わんばかりの二人に私は、四年の月日が一瞬で消えてしまった事に少し、落ち込んだ。心配そうにエリーさんが声を潜める。 「どうしたの?」 「いえ、何でも…。やっぱり、思い出すのは難しいかも…」 「私!一般的な醸造方法は知ってるわよ!」 バシッと、笑顔で肩を叩かれ、次いで自分の二の腕を叩く。任せろと強く表したエリーさんに小さく苦笑が二個。 「×××ちゃん、落ち込む必要は無い。これから始めれば良いじゃないか」 エリーさんに叩かれていない方の肩にポンと手を置かれながら言われる。はい、と言って、笑みを零す。二人は、それを薄暗い地下で辛うじて確認し、声を挙げて、これからの生活の道を示してくれた。 ああ、この二人のために、これから生きていこう。お酒だって作ろう。私が自分で造ったそれを呑むのも悪くないではないか。どうせなら今まで研究で培ってきた知識も伴って、養命酒の方にも手を広げてみよう。グリードさんとエリーさんを交えて一緒に嗜もう。 この時、私は目の前が本当にキラキラと輝いて見えた。やろうと思った事が楽しそうに、希望に満ちて、生まれ変わったような気分にさえなれた。私の器になった人、ごめんね。精神が死んでしまったのかもしれないあなたに思うのは、酷い事かもしれないけれど、あなたの分まで彼らと、ずっと、彼らに囲まれて、生きてきたい、本当にそう思ったんだ。嘘じゃないよ。だから、あなたの体を使わせてね。 綺想曲(カプリッチョ) 気まぐれ?違う。 予想が付かない、未来が開けただけ。 <-- --> 戻る |