後、一週間で着く範囲になったら、島に向かってくれ、となり、其れまでは一番隊隊長職に従事することになったので、二週間後に迫ったそれを今は一番隊の訓練指導をしながら待つばかり。二人組み手から、半分に分けてチーム戦。少し疲れている方が良い。何も海戦は万全の時に襲ってくるわけでは無いのだから。 「ほいさ」 「ん?ああ、サッチか」 「疲れたろ?」 「ありがとねい」 そう、マルコの隣にある樽に腰掛けるサッチ。彼の手にあった一つのカップがマルコに手渡され、飲み慣れたコーヒーの風味がマルコの鼻をくすぐる。 「何時も、おめェのコーヒーは変ンねぇな」 「美味いだろ?」 「あァ」 素直に肯定したマルコにギョッとして、サッチは思わず彼を見た。しかし、彼の目はコーヒーに注がれたまま、分かるか分からないかのほんの少し、元々節目がちな目を細めて、一口。サッチは、ゆっくりと顔を戻し、集団演習している彼らを眺めながら口を開いた。 「おれ以外のコーヒーを飲んだのか?」 チラリと流し目でマルコを見る。何だか要領の得ない表情、プラス眉間に皺。唸るように、 「いや…、…、紅茶派だねい」 「ん?お前、珈琲派だろ?紅茶の方が良かったか?」 「おれは珈琲派だよい」 きっぱりと告げられる言葉に嘘は見えない。サッチは自分が、つい先程マルコの表情から伺えた懐古は見間違いかと首を傾げた。 「??、はァ、ま、そう聞いてたけどな、お前さっき紅茶って…、」 「あ?」 「…いや、何でもねェ」 疑問を口に乗せても、そこには嘘偽りのない表情に言葉。マルコが、ここ半年で、急に遠くなってしまったようで、サッチは自分の手元に目を落として、一息ついた。 コイツは、全然分かっちゃいないのだ。幼き日に、自分がエドワード・ニューゲートに拾われた日から居たコイツはまるで少し前のエースだったかのように心を頑なに閉ざしていた。只唯一違ったのは、ニューゲートに対する盲信的な信仰心。家族を知らないコイツは、表面上上手く隊長職といい、長男といい、とても頼れる存在だが、自分は家族に不満も悩みも打ち明けない。話そうともしない。何かが、コイツを何時までも独りにさせる。言えば良いのに、力になるのに、と思うのは最早古株とも言えるおれ達のみで、他は気付かない。はぁ、と何の意味だろうか、兎に角仕方のない溜め息を漏らす。おれに目を落とす気配が伺えた。 「どうしたんだい?てめェが元気ねぇと気持ち悪いねい」 「(てめェのせいだよ)おま、おれにだってなアンニュイな気分になる時ぐらいあるぜ?」 「はっ、またナースにちょっかいかけたんだろい?」 「…思い出させるな」 「はは」 じゃ、もう行くから、と言ってマルコから離れる。後ろから程々にしろよーい、とやけに間延びした声。否定出来ないだけ辛いが、今は違う問題だよ、と言ってやりたい気持ちもある。はあ。 上陸まで後一週間になると航海士チームに告げられ、今、マルコは青に溺れている。下に広がる大海原、時折見える白波が唯一の色。上空は晴天。何時もより小さく見える太陽を背後に、ひたすら島を目指していた。 時折雨に打たれ、風に進路を遮られ、グランドラインの多様な気候は、鍛え抜かれたマルコの肉体でも辛く感じられ、夕日に染められた世界を、目を細めて眺めた。 島に着いたのは、登った日が落ち、また島に新しく一日を知らせる声が聞こえてきた時、マルコは海岸沿いに放置された小舟に背を預けながら休んでいた。閉じた目の奥に強い光を感じで、避けるように頭を振り、元々細い目を微かに開く、早朝、と行って差し支えない時刻に、マルコは行動を開始し、ひとまず宿を取りに動いた。 まず、こんな時間に訪れる彼に、宿主は訝りながら部屋に通す。まだ、朝食が終わり、殆どの客が出て行ってから、宿主に会いに行けば、顔を覚えられたのか、またあんたか、と少し面倒そうに対応され、観光客のように島の全容を伺う。 「何しろ小さい島ですから、それに、私は絶対入るべきだと思うんですがね、世界政府に同盟を示さないんですよ。有名な醸造の土地だって言うのに…。あなたのお察し通りここは秋島ですよ、何処へ行ってもお酒が薦められますね。へへ、あなたもそれが目当てだったんでしょう?」 外が段々と賑わっていくのが分かる。この島の生活が既に始まり、商店街に隣接したここらにも人々の喧騒が届いていた。丁度扉についている小窓を長い髪を持つ少女、いや、もう大人に移り変わってもよい位の女性が横切る。また、小さくて見えないのか、窓の外には伺えなかったが、特別高い、可愛らしい声(ママー!約束だよ!)が、二人はそれにチラリと外に目をやり、宿主が苦笑いしてすぐ話しに戻る。マルコはそれに扉から目を背けた。 「あぁ…、お話しするのを忘れてました。ほんの半年前ですか、いや、もうちょっと後だったかな…、まあもっと昔にも数回あったんですが、まあ海賊がね、聞きつけてきやして、島一番の醸造の老舗が、痛ましい話しですよ、一人の娘の目の前で両親が殺されましてね。以前からその海賊の脅しは少なからずあったようですが、堪忍しかねたのでしょう。他の手に売られるくらいなら、って何とも海賊って奴は…」 その後つらつらと海賊についての悪口なのか、評論なのかを散々話し、やっとその娘の話しに戻った。 「えぇ、それで今は一人で経営してるとか、しかしですねぇ、何しろ相当なショックじゃないですか、記憶という記憶がめちゃくちゃらしいですよ。だから、お酒に関しても余り期待はしない方がいいですよ。他にも…」 再び酒、土地柄、島の観光地を、どこから捻出されているのだろうか、と戸惑う程多彩な話しをし、やっと自分でおしゃべりが過ぎたと思ったのか、慌てて切り上げ、急かすように追い出された。 「では、どうぞ色々回ってみて下さいね。」 表情には出さなかったが、マルコの目には若干の疲労の色が見え、それを隠すように、会釈を一つ。やっと解放されたマルコは、外に出て、早朝のと様変わりした街の様子に目を見張り、小さく笑った。 クライ、暗い、…なァ…。まだ、やりたいこと…、アッ、たの、に…。 ―――、大丈夫、かなぁ…。―こ―ゃん。 『まだ、早いんじゃない?』 え?、なんだろう…。ハッキリと聞こえるなぁと思ったそれは、どうやら頭に直接響いているようだ。少年のように高い声。ちょっぴりバカにしたような、軽い調子の声。 『何で?死ぬつもり?さっきからさ』 …え、と。 『君って、心と言ってることが正反対なんだもん。どうせ、生きててもさ、やりたいことなんか』 「やめてっ」 軽い調子でそのまま、心の中を暴かれそうで、とっさに、声に自分の声を被せた。息を詰める音がやけに大きく聞こえる。 『話せるじゃん、あのね、ボクさ、魂五つ持ってるんだよォ〜、一回ひかれたくらいじゃ死なないし、』 「な、なんで?」 『だからさ〜言ってるじゃん。猫は普通魂を複数持ってるの。君は死に損だよ、ははっ、あのさ勝手に助けられて、悲劇のヒロインぶられるのムカつくから、生きなよ。適当な器が今丁度あるからさ』 最後の方は殆ど聞こえない。引き止めようと、手を伸ばそうとしても、金縛りにあったように動かない。 「待って!」 あざ笑うかのように、乾いた笑いが遠くなっていく、自分も、見えない引力に引かれるようにして、急激に声が小さく、それがだんだんと虫の羽音のような耳なりに変わり、ワーッ、と大音量になった所で、グンッと体が重く、全身に負荷が掛かって…。私のそこからの記憶は無く、真っ黒に塗りつぶされた。視界。 「あらっ!あなたっ、×××ちゃんが目を覚ましたわ!あなた!こっちへいらしてよ!」 ボゥ、とする頭に、わざと高く取り繕った声が突き刺さる。でも、体は倦怠感で、動こうとはしない。薄く開いた目で、傍らにいるであろう人を見ると、見覚えの無い人。赤茶の髪をたっぷりと肩に乗せた、中年に差し掛かるほどのおばさん。他に太ってるとか、痩せているとかの特徴は無く、ただ、瞳のブルーがキラキラと輝き、海を思い出した。きゃらきゃらと声を上げて、呼んだ人物が、彼女の隣に座る。やはり、見知らぬ人で、此方は年にしては豊富な黒に白混じりな短髪を持ち、額にキラリと汗が輝いたように見えた。走ってきたのかな、と私が思うのと同時くらいに、再び女性が、しかし声を抑えて、気遣っているような柔らかな声で話し掛ける。 「×××ちゃん、気分はどう…?頭が痛いとか…」 「…大丈夫です。あの、助けて下さったんですよね?…すみませんが、どちら様でしょうか…」 きちんとベッドに横になって、痛いはずの体も全然そんな事もなく、確かにこの二人は恩人だ。でも、見覚えが無い二人にとても居心地が悪い…。見たところ病院でもないし…。不安になる心が表面に現れて、眉をひそめて控えめに彼らを見上げた。ハッ、と息を潜める赤髪の女性。その同情の眼差しに、私が彼女に目を合わせれば、すぐにそれは隠され、取り繕って、ニッコリと笑う。男性を見ても、同じような笑み。なんだか胸騒ぎがした。なんなのか分かんないけれど…。 「…私はエレノアで、こっちが」 にこにこ笑った顔が変わらずに告げられる。途中で彼にバトンタッチ。気になるのは洋風な名前。 「彼女の夫でグリントだよ、グリードって呼んでくれ」 「私はエリーって呼んで!」 はい、と返事をしたけれど、本当に呼べるだろうか。取り敢えず、ご夫妻の家にお邪魔するわけにはいかない。 「えっと…エリーさん?グリードさん?あの、私、家に帰りますね、何時までもお邪魔するわけにはいきませんし…」 上半身を起きあがらせ、膝当たりに毛布を纏める。全然体に異常は無く、むしろピンピンとしていた。私の言葉に二人が目を見開き、動揺を示す。 「え!?」 「×××、ちゃん?」 なんだろう、と思い、すぐに気が付いた。 「え?あ!すみません!×××って言います」 自然と名前を呼ばれ、違和感が無かったが、そう言えば名前を言っていなかった。どこで知ったかは知らないが、記憶に無いだけだろうと、三本指を付き、ぺこりと頭を下げる。ツキ、と痛む頭に、顔を上げた。白く光った視界に、二人が泣いているような、諦めているような、懸命に笑っているようなよく分からない表情をしているのに気が付かなかった。 「あ、ああ、宜しく」 グリードさんが、固い笑顔で、言う。エリーさんがニコッと笑い、私の手を握る。思わず口端を引き上げ、眉を下げた。 「ご存知でしたよね…、つい、忘れてしまいました」 「あら、良いのよ」 「はい、すみません…あの、じゃあお邪魔しました…」 「…」 ぺこりと頭を下げて、夫妻の脇を通り抜ける。彼らは何か言いたさげに顔を見合わせるが、言葉にはならず、私は微妙な雰囲気の中、壁に立てかけてあった大学用のバックを持つ。服は変わらず着ていたので、そこまで時間は経っていない筈だ。 なのに、外に出て、私は自分の目を疑った。扉を開けた其処に広がるまるでアメリカ西部の街並み、地面はそのまま土で、空を見上げれば首にバッグをぶら下げたカモメがニャーニャーと鳴いている。バサリと目の前に落とされた新聞は、拾う前から、英字表記なのが窺えた。 しゃがみ込み、新聞を広げながら拾い上げる。 バン!と背後に聞こえる扉の開閉音。反射的に振り返れば、グリードさんが、 「×××ちゃん!やっぱり…」 「グリードさん、」 何かを言いかける彼の言葉を遮り、強く彼を呼ぶ。すこし悲しそうな顔の彼に、私も今にも泣き出しそうな表情で言った。 「ここは、何処なんですか!?」 ここは、どこなんだろう。 「君の、家の先だよ」 グリードさんの悲しげな顔。私を打ちのめす決定打。有り得ない現実に、私の涙腺が決壊し、彼に抱きついて、泣いた。知らないよ。こんなとこ。 ポンポンと背中を叩く優しい、大きな手。微かに鼻をすする音。次いで聞こえる声に、私は返事もせず、一層激しくすすり泣いたのだった。 「記憶喪失だよ、君は。一旦落ち着こう。家に戻るよ。いいね?」 違う!私が、私にそっくりな体に魂が存在しているだけ!なんて、言えるわけが、無いのだ。 独奏曲 <-- --> 戻る |