text | ナノ

 あれから四年。私はあの後佐武くんとどうにかなるわけでもなく、友達層も広く浅く、そうそう変化も無い。唯一変わった、とすれば、大学院生になり、加川教授に引き抜かれて、研究者兼助教授みたいな事をしていた。マルコの事を意識的に思い出すのもほとんど無く、不思議な世界観を夢に見るだけ。でもそれで十分だった。
「×××君、これリストにまとめておいて」
「はい」
 最近フィールドワークして集めた資料をがさっと渡される。肩書きか兼に加え、助教授というよりも小手先のお手伝いみたいな感じなのよね、と思いながら雑に纏められたそれらを受け取る。
「…教授、これレポートも紛れていますけど」
「あ、」
「はい、どうぞ」
「、き、君がこれらをどう評価するか見たいなぁ!」
 ああ、と分かってしまった。ミスでこんな事する人じゃない。本当に私に処理してほしかったみたいだ。何故。たっぷりと沈黙を置き、だんだん教授の雰囲気が焦ったものになってきたので、口を開く。ビクリと肩が揺れる。そんな風に反応するくらいならやらなければ良いのに。
「…教授、最近忙しくしていらっしゃいますね、だからですか」
「ああ、でもやはり彼らを蔑ろにしてはいけないな、…やはり私が評価をつけよう」
 レポートを手渡せと伸ばす手をチラリと見、レポートに目を落としながら言う。
「佐野さんは、一つの薬から発生する症状を一つの視点からしか見ていません。確かに万能と言われても良いですが、副作用が多く、脂肪肝や緑内障を用心すべきところが書かれていません。それを除けば後の考察は良く見えていると思います。桐島君は全体をとても良く見えています。但し記述面において独自の書き方をしがちですから、その辺の向上が望ましいでしょう、村上君は…」
「分かった!すまない、君は十分見えているよ。後は私に任せて、君の研究を続けたまえ」
 わたわたと慌て、私の手からそれらを奪い取る。私は抵抗せず、ガサリと資料を持ち直した。
「はい、ではリストにしてしまってから、移りたいと思います」
「…ああ、ありがとう」
 すごすごと戻って行く彼に、少し苛めすぎたかなと反省し、逸れから資料室に歩いていった。これほどの量ならば夜には帰れるだろう。
 随分伸びた髪を一つに括っていたのを解き、そろそろ切らなきゃなと思いながら形を手櫛で整える。暖かくなり始めた最近も春一番で寒い。前をキッチリと閉じて、クリアケースを忘れずにバックに入れてから大学院を離れる。結局卒業研究は途中で、今は大学院を利用しながら自分で進めていた。多分、一生かけて研究するのだろう。それでも良かった。酒豪だった母は昨年肝臓ガンから大腸ガンを併発し帰らぬ者となり、私は実家から絶縁を言い渡されている母のお陰で他に家族は居ない。だから私が何をしようが、誰も何も言わない。仮でも助教授になり、院内のバイトも有るため、もう他のバイトは止め、直ぐ帰路につく。
 信号待ちでブーと携帯が反応する。丁度いい、と思いつつ、携帯を開けば、あの佐々木さんだ。今度飲みに行こうよ、と書かれた本文に、彼女と写る複数の友人。酔っ払っているのが良く分かるそれにクスリ、と笑った所で、パーッと長くクラクションが鳴る。バッ、と顔を上げれば、交差点の真ん中に猫、大きな鉄の塊が、けたたましい音が急速に近づき、驚きにとっさに動けなくなっている。と思うか思わないかの内に私の足は動いてて、バカ、これじゃ自分も跳ねられるじゃないと思いながら、猫を胸に掻き抱き、強い衝撃に身を構え、走り抜けろ、と脳内がカッ、と熱くなる。遠く人の叫びが聞こえる中、腕の中の金色に思いを馳せた。死なないでねこちゃん。

 バンッ!!

 突然の破裂音。マルコは大袈裟に肩を揺らし、ゆっくりと振り向こうとして、止まった。耳元で喚く人物に、片耳を抑え、顔をしかめた。
「おいマルコ!お前、無視すんなよ!」
「…悪かったねい、で一体何なんだよい」
「だ、か、ら!!オヤジがお前を呼んでんの!早よ行け!」
 ぎゃいぎゃいと音量を押さえることなく、逆に、マルコの落ち着いた対応に憤慨しながら声を荒げるサッチ。一言言う度勢いでリーゼントが揺れる。
 マルコは小さく感謝の言葉を呟き、スッ、と彼の横を通り過ぎていった。その大人しい様子にサッチがギョッとし、二人のやり取りをみていた大柄なジョズが、ゆっくりとサッチに近付いていく。
「何なのアイツ。大人しすぎてきめぇ…」
 ぽつりと漏らす彼にジョズが答える。
「放心状態だったな」
「あぁ」
 何時もならあんな態度を取るサッチに蹴りの一つや二つ、それこそ甲板から投げ出される勢いで飛ばされるそれが無い。いや無い方が勿論サッチとしては有り難いのだが、無かったら無いでとても気持ちが悪い。違和感を感じる。
「なんだか、半年くらい前にあった敵襲以来だな、アイツ変になったの」
「…、あれか、マルコが二日間倒れた、」
「そう!今思えばあれ自体可笑しい!アイツは不死鳥だぜ?」
「まあ、当たりどころが悪かったんだろう。能力にも限界がある」
「うん、まあ、なんか、蹴られなくなってさ、こう、体がムズムズすんだよな…」
「…サッチ、とうとう変態も佳境に…」
 もじもじと、おっさん気持ち悪いと言うエースは居ない。ジョズは顔には出さないが、少し引きながら言った。
「ちげー!!」
「…」
 ジョズも思わないことは無かった。マルコが目を覚まして直ぐ、何故かやけに落ち込んでいて、戦闘で気を失ったのがショックなのかと思っていたが、あれから遠くを見つめボー、とする事が多くなった。仕事はキッチリしているらしいが、フとした拍子に彼を見れば、本のページは進まず、海を眺めている。そう、その様子はまるで恋する乙女、とまでジョズは考え、違うか、と即答した。
 どちらにせよ、家族が、しかも余り人に気をとらせないような、長男が何かに悩んでいるように見えれば、何か力になってやりたいと思うジョズ。ぎゃいぎゃいと変態について散々喚くだけ喚いたサッチがぷりぷりと怒りながら、船室に戻って行く後ろ姿を見て、ジョズは人知れず溜め息をつくのだった。
「(お前の変態説は正直どうでもいいんだが…)」

 マルコは最近自分がボー、とし、周りの兄弟達に心配させているのを言外に気が付いていた。
「(ただ、言っても仕方ないことなんだよい)」
 はぁ、とため息をつき、ビシ、と背筋を伸ばして、船長室の規定外の大きさの戸を叩く。オヤジにまで心配をかけさせたくはない。そんな思いがあった。
 直ぐに低く、入れと聞こえる。失礼するよい、と向こうに聞こえる音声で言い、扉を開ければ、これまた規定外サイズの、オヤジ専用の椅子に悠々と腰掛ける船長。手には変わらない杯。マルコはチラリと一瞥するのみで、特別言葉にする事は無かった。
「何か、用があったんだろい?」
「グララ…、次に着く島の情報を集めて欲しいんだァ。昔はそれなりに耳にしたんだが、最近聞かなくてな、何かあったんだろ」
「…分かったよい。」
「酒で有名な筈だ、頼むぜ」
「オヤジ、控えめにするだけで良いんだよい…、…飲みすぎだ」
 確かに、今回は世界政府にも加盟していない島だった。マルコも余り知らず、偵察は必要だっただろう。是と答え、白ひげの言葉に思わず眉根を寄せる。口を開かずには居られなかった。
「グラララ!…息子に心配されるとはなァ!長生きするもんだぜ」
「オヤジ!冗談じゃねェよい!」
 ただ笑うのみの白ひげにマルコは声を上げる。最近、体調が悪い彼は常時ナースが待機している体制だというのに、何も出来ない自分を歯痒く思うマルコ。そんな彼に白ひげは慈悲を滲ませる目で見、語気を強めた。
「マルコぉ、しっかり偵察してこいよ?その腑抜け面も治してこい」
「!…っ分かった。心配させてわりぃない…」
「グラララ!」
 気付いてない訳ではない、お互いがお互いを心配していることを知ったマルコは、ばつが悪そうに俯き、静かに船長室を後にした。背後から豪快な笑い声。

 食後、一段落着き、船室に行こうとしたところ、
「今夜は飲まないか」
 お前の好きなジンもあると言われ、断れなかったマルコ。まあ、最近息抜きをしていないな、と思い、ジョズの部屋に行けば、既にラクヨウとビスタがいた。
「なんだよい、お前ら」
「おう遅ェぞマルコ!」
「ジョズが久々に飲もうと誘ってくれてな、お言葉に甘えさせていただいた」
 先客達はマルコが来るのを知っていたようで、グラスを上げられ、迎え入れられる。
「何だァジョズ。最近調子良いじゃねェか!おい、マルコこっちゃ座れよ!」
「ああ、好きにしてくれ」
 表情には出さず、静かにラクヨウの隣に座るマルコ。もう隣にはジョズ、目の前にはビスタ。もう飲んでいたのだろう、ラクヨウの声が煩い。
「ほれ、酌してやる!」
「ありがとよい」
 いつも通りのロックで、カラリ、とグラスを傾ける。カチン、とジョズのと合わせ、一口。たわいのない話しを暫く話し、これが核心で無いことにマルコは気付いた。クスリ、と笑ってしまう。家族に心配かけてるなァとお酒では無く胸が暖かくなった。
「ん?どうしたマルコ」
「んにゃ、ありがとよい、夢見が悪かった、それが気になってただけでぃ」
「そうか」
 勿論この部屋にいる全員はマルコがそんな事で半年近くもボンヤリしてる訳じゃないことを知っている。しかし、マルコに悟られても、こう彼は言うのだから、きっと思う所があるのだろう。それにジョズには強ち、マルコの言うことがそんなに遠くないとも思っていた。だから、うちの長男ぼうはこれで良い。もう大丈夫、という気持ちが、お互いの信頼の中に確立してると、漠然と思わせた。
「また暫く、船を空けるのだろう?今日は飲んでいけ」
「ビスタ、これはおれの酒だぞ」
「いいじャね〜かよ〜」
 おまえが言うなラクヨウ、と突っ込むことは諦めた。もう既に奴の周囲には空き瓶が、いち、に、さん…。諦めよう。ジョズが黙ってグラスを空けるのに、マルコはお酒を揺らしながら笑った。
「はは、ジョズ、残ることは望めなさそうだねい、心配しなさんな、おれが偵察で押さえとくよい」
「頼む」
 静かに見えて、以外と煩い晩酌が過ぎていく。

序奏
始まりとしての短い曲
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