私が、どうしてファルの言うことも聞かずにジョージに全てを話してしまったかと言うと、ただ単に、ジョージなら反対しないとか、ファルよりも彼を知っているからとか、そういう過信があっただけでも無さそうだった。でも実際、私は話してしまったし、今、彼に物凄い勢いで反対の意を食らっている。 「でもッ、もう会えないんだよ!?」 「駄目ですよ、×××さん! 何時からこんな聞き分けのないお子になってしまったのですか」 困ったように咎める彼に、私はどうしても納得出来なかった。 「〜ッ。ジョージ可笑しいッ私、別に変なこと言ってないじゃないかッただ、お見送りに行きたいだけなのに。友達なんだよ!?」 彼は、過保護すぎる。私がどこかに行くとでも思ったのだろうか。彼には、分かってほしいんだ。厳しい表情の彼に、泣きたくなってきた。 ふっと緩んだ頬に期待が募る。 「…分かりました。ではじいも行かせていただきます。×××さんの友達だという彼にもお会いしたいですしね」 「何が気に入らないのかは分かんないけど、ファルは…、口は悪いけど良い奴だよ」 「でも、行ってしまわれるんですよ」 普段ならこういう時にこそ慰めてくれるはずなのに。否定的な言葉に、反対の意なんだと痛いくらい思い知らされる。 「…でも――! あっ…、お昼までには行かなきゃならないの。行っても良いでしょ?」 「えェ宜しいですよ」 でも、彼等に会いたかった。 南西の森を川沿いに下っていく。口数の少なくなったジョージも、視線だけは彼方此方に流して、後から付いてきてくれた。 どれだけ歩いたか、覚えていない。けど、周りの雰囲気は固くて、ビックツリーに登る太陽も見えなくて。不安になった。 キュッと白いフワフワの帽子を握りしめる。腕に遮られて狭くなった視界の端、派手な黄色いパーカー、ヒョロイ足。それに、白クマが見えた。 「ファルッ、ベポ!」 駆け寄ると、丁度川向かいに居るのが分かった。もどかしくて、川の縁ギリギリまで足を伸ばした。 ファルは小さく私に笑い、しかし直ぐに後ろに視線を投げた。警戒したようにベポもずっと彼を見ている。 「よォ。…何で爺さんも連れて来ちまったんだよ」 「こんにちは、初めまして、ジョージ・シュルツと申します。×××さんのお友達が出航なさると聞いて、お見送りに来たんですよ」 私も、彼らに習って、斜め後ろの彼を見上げた。穏やかに微笑む様子は何時もと変わらない様相だった。 うっすらと微笑んだままのジョージが緩く口を開く。キラリと輝く緑の瞳が見えた。 「じいが反対したのはですね、×××さん。アナタがもしも彼らに会って、居なくなるのを目にしたとき、悲しみに押し潰されないかと心配なんですよ。…前も、お友達、――ああ、ジェシカ・シュルツでしたね――に打ち捨てられたでしょう。"お忘れですか"?」 にっこりと笑ったジョージ。何を、言ってるのか、全然…。何時の、話を。 「なんで、知って――」 「さて、どうしてでしょう」 キラリと輝く緑の瞳。目を奪われた。ファルの声が急速に小さくなって、私の脳内に蘇る忌まわしい記憶。 そうだ。あの時から、怖くなった。変な実を食べて、スッゴいマズくて。えづいてたら、ジョーが来たんだ。今のことを言おうと思って、駆け寄ろうとした。今ね!、踏みだそうとした手?足?は、手じゃなくて…。 ――キャアアアアッ。こっち来ないで!! ―(ジョー!! 私だよッ私だってばッ) ――キャーッ! ――此処にトラが居たんだ! ――友達も居なくてッ。あのトラがッ。 ――なあ海兵さん、×××を助けてッ ―(私なのッ。ねえッなんでッ気付いてよ!) ――麻酔弾だ、シッカリ眠れよ。パンッ ―ギャンッ(痛いッ痛いッ) ――中尉!! それは実弾では? ブルブルと体が震えた。だって、あの時みたいに、白いマントを羽織った人が、一杯、ジョージ細い、肩越し、後ろから駆けてきたから。 キョロキョロと辺りを見回す。銃。 ジョージが腰の後ろで手を組み、にこにこと笑う様子が、なんだか異様に見えた。 ファルが、焦ったように私を呼んだ。 「? ×××!! シャキッとしろ!! シャチッ、クルーを集めろ」 挙動不審のまま、視線だけを向けると、白いつなぎの男たちが彼の周りに増えている。マントの人を迎え撃つようにそれぞれ武器を持っていた。 「もうしてんよッ船長ッ」 スウ、と息を吸う男。呆れた様な声は、駆け寄る彼らが掻き分ける草葉の音にかき消されて、かろうじて聞こえた。 「ねェ、×××さん。そこの彼にも、また、裏切られるんですよ?」 「×××、クソじじィの言うことは真に受けんじゃねェ。お前は騙されてんだよ。何でおれたちのこと忘れちまったんだ?」 ファルの声がすかさず聞こえた。でも、それも、私達を囲むマントの人に遮られる。 白い、白い、服を着た。マントを羽織った。沢山の屈強な男達が集結し、その中の数人にその集まりの外側にグイグイと押しやられる。私の暴れて抵抗する様子なんか知ったこっちゃないらしい。ヤメテッ、叫んだ言葉は落ち着いてと荒々しく返される。落ち着いてなんかられるか! ファル達の内の誰かが叫んだ。キャスケット帽がかたつむりに向かって怒鳴る。海軍が来ちまった!引き上げろッ!って、緊迫した場面。丁度その時、私は逃げ出したくても、白い奴らに掴まれ、輪の外に押し出されそうになっていた。怖い。 キリリと整った容貌の女性がハキハキと高らかに喋った。 「トラファルガー・ロー!! 海賊行為及び島の住人への傷害、またはそれに値する接触により逮捕する!」 「チッ、」 ファルは何時の間にかベポが持っていた長細いそれを持っていた。長い刀で、鞘から抜くと、シャンと音を立てた。 ザワリと周りの海軍に動揺が広がる。カチャカチャとなる音は海軍が銃を構える音だった。 サァ、と血が引いたのは、それの内のどれかは知らない。動く口は別物のように感じた。 「ファル、海賊なの?」 ファルはイラッとした表情で舌打ちした。遠くて、本当に見えた訳じゃないけど。 「そうだ」 ルーム、とファルが力強く唱えた。ビクッと身が震えた。何時かの、何時かの?言葉と一緒だった。 「海賊に騙されていたんですねェお可愛そうに。×××さん、彼らでなくても、じいが居ますよ」 撫でられる頭。フワフワの白い帽子は、…ファルのなのに。呆然と、彼らを眺めながら、ジョージの言葉に思わず首を縦に振った。 「トラファルガー、覚悟!」 「ッにゃろっ、――シャチ!」 「後ペンギンだけッ」 「正義」と掲げた白いマントがはためいた。何て書いてあるのかは読めない。雄叫びを上げながら交差する白銀の煌めき、発砲音。女の人は腕を広げて、ファル達に向かって走った。ファルの腕が力強くしなった。 「クッソッ、ポチ!! テメッ飼い主忘れんじゃねェ!!」 飛び退き、追ってくる黒い腕に向かって大太刀を振り下ろす直前に、彼が叫んだ。 「――え、」 ズキン、と頭の中心が痛くなった。 また、脳内に洪水のように溢れる記憶。グワリと燃えるように熱くなり、目を閉じた瞼の裏から炎を見た。 白いマントから逃げた私は、良く分からない船に乗った。丁度、積み荷をしているところで、幸運なことに、誰にも見られず、その船に乗り込む。でも、乗った後、船の持ち主に見付かったんだ。 ――なんだコリャ!おーいお頭! ―(ヒッ、誰だよ。イダッヤメッ、! 私はッ) ――トラかァ、…調教すりゃなんとか。若いしな。 ―(見世物になんかッ、イッヅッ、ッ!) ――ほら、言うこと聞けば痛くないだろ? 笑って、私を叩くような奴だった。 ―(…、分かったから…。もう叩かないで…) ――もう5年か、そろそろ引退だな×××××。 ――良い市場に出してやるよ。高く売られてェもんな。 ―(私は商品じゃない! 私はッ…!!) ソイツ等から逃げ降りる時にやっと気付いた。私はただの…!私が散々鞭でひっぱたかれ、無理やり動かされて、最後は…。 「―…う゛ッイ゛ッ! ってー!!も゛っゥッアアアあうっ」 違う、こんな記憶を見たいんじゃ無い。ギリギリと万力で締め付けられるような痛みに頭を抱えてうずくまる。熱い。 ―いい子だ。 声がスッゴく優しくて、思わず顔を上げた。相変わらず意地悪そうな顔だったけど。 ――仕方ねェなァ、 何時も簡単にバシバシ叩くのに、同じ手が、ゆるゆると撫で上げるんだ。 ―みんなテメェを歓迎してるって ニコリと裏表の無い笑み。殆ど見ないそれの背中を嬉々として追い掛けた。 ―…ポチ。 ブワリと蘇る記憶。 「ファル?」 霞む視界に何時か見た、意地悪そうな男の顔。相変わらず濃い隈をこさえた私似の目が驚きに目を見開いている。 「! お前、…そーいうことかよ」 「あ、う、」 手を伸ばした。…手を。船から落ちた時、同じ様な事をした。その時も、ファルは、私を見ていないんだ。今回は目の前の端麗な女性に阻まれて。 「黒檻屋ッ邪魔だどけ」 「私のロックから逃げられると思っているだなんて、ヒナ心外」 「うっせえよ、おい、ポチ――?」 「も、ぅうう゛ッ」 「悪魔の実ッ、まさか、6年前の…」 酷い頭痛に身を縮こまらせる。頭が燃えるように痛い。バキバキと体内で何かが外れる音。口を開けば呻き声しか出ない。痛い、痛いと叫びたい。 のた打つ私を、心配そうに、少し乱暴に肩を抱く。ダレ? シワシワの手は、老人の力ではなく、私の肩に骨っぽい指が食い込んだ。ジョー、ジ。 「大丈夫ですか?」キラリと輝く緑。――ジェシカ…。 ――彼女、ジェシカは出来損ないの孫でしてねェ… 「いやッ」 ――×して、×べてしまいましたよ。可愛らしい女の子が欲しかった。 「やだ、離して」 ――ちょうど、アナタみたいな。 ――…"忘れましょう"? 「×××さん?」 「ヤダアアアッ!! ファル!!」 ガオーッ!と遠吠えが聞こえた。 「シャンブルズ!!」 次の瞬間には、ほんのりと暖かい人肌に抱かれていた。ギュウと細いのが、私の艶やかな毛並みを巻き込んで締め付ける。 「一般市民を放しなさい!」 ファルに対峙していた女はさっきまで私が居たところに佇んでいた。いまにも向かって来そうな気迫に、無意識に突っ張っていた腕の力を無くし、ギュッとそれに腕を巻き付ける。 答えるように、私を抱き寄せる腕が強くなる。すがりついていた人物を見上げると、鼻につく高い鼻。隈を覗けば精悍な顔が伺えた。 ファル。彼の瞳が私を映し出した。強いシアンブルーの瞳に、半獣が映る。私だった。無表情にも見える顔を見つめながら、私の体がブルブル震えた。ナニを見てるの?ねェ、ファルッ、アイツ等だけは嫌だ。殺されちゃうよ。ファル。 防寒帽の白いつなぎの男がパン!と銃弾を放つ。白いマントの人々を牽制した行為だが、私の心臓がキュッと縮んだ。 「あッ、イヤ、嫌だよ…、ファル、捨てないで」 スッと外された視線。ブルリと震える体がフワリと持ち上がり、またギュッと抱きかかえられる。細いが、しっかりとした二本の腕だった。 「海兵諸君、ご覧の通り我が家のペットは貴殿等に手渡されるのを嫌がっている。おれとしても? 可愛いペットの手綱、安易に手放してたまるかよ。」 そこでファルがクルリと、海軍に背を向けた。スウと息を吸い込み、ニヤリと笑って咆哮した。 「野郎共! 出航だ!」 そこから、つなぎの男共が一丸となって走り出すのを背中に感じた。ファルが、彼らを追いかけるように、私を抱えながら駆けた。苦痛は無いのか、動作は軽やかである。短くなった、しかし項(うなじ)から首や背中を覆う毛並みが出来た風に流れた。 パパパンッ。防寒帽の男、…ペンギンの銃が吠えた。逃げ出す私達と、海軍の間に弾丸の膜が張られる。 ファルの肩口から見えた白いマントと海兵たち。小さな背丈の老人。川を下るように走っていくにつれて、どんどん離れていく。老人の悲痛な叫びが寒気となって背筋を這い上がってくる。その度にファルの薄い手に宥められた。 河口付近、入江になったところに、派手な黄色の潜水艦が全容を表した。 船に乗り込み、私はポイッとファルに放り出される。あっと言う間にテキパキと船の指示を出し始めた彼に、私は呆然として、懐かしい板張りの甲板に座り込み、憮然としているしか無かった。緩く船が進み始めた頃、追い付いた海軍の怒声が聞こえてきた。 「トラファルガー! 人質を解放しろ!」 キリリとした美女が叫んだ。するかバーカと小さな嘲りが周囲から漏れたが、ファルの口から直接出た言葉ではない。 ファルが私の頭に手を置いた。手すりから微かに身を乗り出した私を押し込めた。 「…ああ言ってるが? ポチ、テメェが答えろ」高圧的な態度。 ムッと唇と尖らして、直ぐに叫んだ。 「、私は人質じゃない!! 私はっ、私は! ×××さまだ!!」 「ばか、ちげェ、が、今は多めに見てやる」 頭に乗っていた白い帽子がファルの頭に帰った。ファサリと広がった髪が収まってきた頃、下から覗いた彼に、やっぱりその白がしっくりきたのだった。 遠ざかる海軍。潜水体制に入るから、と船室に呼ばれるのを無視したファルは、濃い海を見つめながら何かを呟いた。 「宝探しみてェだ、つったろうが」 フ、と微笑したファルを見上げた。精悍とは言い難い隈のある涙袋が微かに膨れた。 「何か言った?」 「言ってねェ。ほら、行くぞポチ」 「×××さまだっつーの!」 呼び方なんざどうでもいいだろうが、と最後にまたしつこく取り付けはれたポチの言葉に、私はまたいきり立ってファルに飛びかかるのだった。 過去のお話-10- 2011/12/14 <-- --> 戻る |