すぐ会えると思っていたファルたちはパッタリ姿を見せなくなった。ジョージに頼まれたお使いの途中、大きな白クマの頭が、行き交う住民の上をヒョコヒョコ飛び出て見えた。それだけだ。 一瞬ジョージから言いつかったお使いも忘れて、追い掛けて声を上げた。何事かと私から離れて道を作る住民を縫って走った。…もう、見えなくなっていた。 とても気分が落ち込んだ。なんで避けられたのか分からなかった。――聞こえなかった?でも、相手は白クマだ。耳は普通の人間より良いはずだった。そしたら、やっぱり…。しょぼくれて帰った私を、ジョージは親身になって慰めてくれた。 だからか分からないけれど、もう海岸に行くことはなくなった。初めてファルに出会ったそこで待っているよりも、小さな島だ、私が自分で歩いて探した方が彼らに出会える確率も高い。そう思うと何だか気持ちが晴れた。向こうは、トラを探してて、アチコチを歩き回り、私は彼ら、彼ら?――ベポかな!ベポを探してアチコチを歩き回った。今日はジョージが出掛けると言うので、その通りにした。 これは最近彼に聞いた事だが、一週間に一度、昼は外食にするらしい。その一度目に私はレストランに連れてかれた。平日の昼間の通りは人で賑わっていた。何時か見た、白いマントの人らが、通りにバラケて闊歩していた。だけど、私は前に感じた嫌な感じを思い出すことは無かった。 昼食後は、彼が私の用事に付き合ってくれた。といっても彼にとっては散歩みたいなものだ。私が話した事を思い出したのか、ジョージが口を開いた。私の泳ぐ視線が彼に戻る。 「何かを求めて一生懸命になるのは良いですねェ、しかし、疲れたでしょう?天気も宜しいようで、…アイスでも食べましょうか」 チラリ、また周囲を見回して、様々な被り物をした4、5人の男たちを捉えた。しかし、彼の言葉を理解し、そちらに引かれる。 「アイス? アイスクリーム!? うん、食べたいッ。冷たくて美味しいよねーッ。私、何味にしようかな〜、イチゴも、チョコもいーし、あ、やっぱりバニラかな〜」 「ホッホッホ、そうですねェ」 「ジョージ、幾つまでオッケー? 二個でもいい?」 「ではじいと半分こしましょうか、あまり食べてはお腹が冷えてしまいますから」 「そっか、じゃ、ジョージはバニラね! 私はチョコにするから、」 フフフと笑うジョージは快く承諾した。表のオープンテラスに彼と向かい合って座り、コーンの上に乗ったチョコレートを舌で掬う。フニャリと舌に乗ったそれを口の中に隠せば、直ぐふわりと溶けてしまう。キューと気分が舞い上がった。 「おいしー」 だから、私の直ぐ後ろで、キリリと整った顔の美女が、遜った二人の海兵を叱り飛ばしていたことに気付かなかった。それが、遠くに見えたあの時の嫌な記憶と重なることも、無かったんだ。 ギイギイと軋む船室。防寒帽を被った白いつなぎの男が板張りの部屋を仰いだ。朗々と続けた平坦なイントネーションの言葉だけが部屋に流れてた。 「え、船長それマジで?」 おれが驚くのも無理は無い。我らが船長であるトラファルガー・ローは、話の中で、すでに彼らの探し物が見つかったと言うのだ。じゃ、今までのおれたちの苦労は?なんて言えない。ここ数日、島を回っても正直通りの店を物色していただけなのだから。おニューじゃねェけど、自慢じゃねェけど、今被ってるキャスケット帽はこの島で手に入れた。いい感じで気に入ってる。 おっと、そうじゃない…。船長はフカフカのソファに悠々と座り、おれたちを見据えていた。薄く引いた唇は確かに笑みを浮かべてご機嫌だ。 しかし、騒動もなく、どうやって? おれの心の声は音になっていたらしい。シャチ…と呆れたように呟くペンギンをちらりと見た。船長も、さっき話しただろうが、と呆れ気味だ。 「…おれに向かって馬鹿なことを言う世間知らずはうちのペットしか居ねェだろ?」 だって、ビックリだ。船長がポチを人間のように話すなんて「人間だから」、へー、ふーん。え、人間なんだ。いや聞いてたけどさ、船長はそう確かに言ってた。ポチは×××になっていた。 船長は、ちゃんとポチだって、分かったらしい。でも、それまでにも不可解な事はあったそう。ベポの鼻が効かないのも、人間とトラの体臭を考えれば頷けた。やっぱり決め手は帽子の出所らしいけど。ふうん。 船長の機嫌がずっと良かったのもそういうこと、にしても人間なんだって分かったのにこの人は… 「でも、今それを言うとちょっと犯罪チック…」 だよなあ。でも周りはそんな風に思わなかったらしい。ザワザワと静寂が乱れる。 お前…、締まンねェから黙ってろとあちこちから言われる。…おれだって好きでアホなこと言ってるわけじゃねーよ! 船長がフフフと愉快気に笑った。ふっと吐いて、怖いくらい真面目な顔になる。やっぱ、カッケーよ。船長。 「犯罪者なんて今更だ。大体おれたちは海賊だ。欲しいモノは、」 ああ、とニヤリと笑う男共。おうよ、モチロンおれもニヤリと笑う。あー、だから止めらんねー。結局おれも立派な海賊って事だ。宝を奪う前、これから起こることへの期待と興奮が入り混じる。ローが凶悪に笑う。 「力で奪え、だろ?」何重にも唱えられた言葉は力強く部屋に響いた。 「ああ、情けは無用だ。首根っこ引っ付かんで連れて帰る」 「世話の焼ける奴ですね」 ペンギンがニヤニヤ笑った。 「…まったくだ。ハウスを覚えさせねェとな…ヘヘ」 一変して柔らかい表情。おれは思わず止まった。ポカンとした。ロー、てこんな顔するっけ。 部屋に収まっていた男たちはそれぞれ驚きに一瞬止まる。 ペンギンが心の中で呟いた。×××も苦労するな、と。俯き、隠したその表情も楽しそうに口端がつり上がっているのか見えるのだから、結局は喜んでいるのだった。 じゃあ、と話の最後にローがゆらりと立ち上がった。 「結論だ。ポチを胡散臭ェじじィから奪い返す。黒檻屋はまだ目を光らせてるだろうから、諜報部員…、ヒトデ、常に黒電伝虫を耳に引っさげてろ。子電伝虫はシャチとだ。連絡は欠かすな」 事務的に話す様子は、先ほどの真っ白になった雰囲気を根刮ぎ取っ払った。年長のヒトデは分かっているように一度頷いた。 「オーケイ、船長」 それを皮切りに、だんだんと意識を取り戻していく。ピタリと定まる彼への視線。ローが白い帽子を被り直した。 「…決行は白昼。ヤツらの隙を突く。コッチは潜水艦だ。潜れば見つからねェ。明日でもう残り5日だ。グランドラインの海域に出るのは約1日半から2日、出来れば2日は海で奴らから姿を眩ませたい。決行日まで、周りの穴を埋めろ。奴らに見つかるな」 「爺さんは」一人が声を上げた。 スッ、と滑る彼の瞳は冷たく、深海を思わせた。ピリピリと肌を刺すような緊張感が訪ねた男にのしかかる。 「…。黒檻屋にブチ当たる時はおれが居る時だ。じじィは、抵抗すれば消せ」 「アイアイ」 静かだった。無言で頷き、シン、となる船室に、ベポの明るい返事だけが違和感を残して溶けた。 「では解散。…良く休めよ」 「キャプテンがな」 薄く笑う船員に、ローは微かに頷いた。 「ああ、――ベポ!」 「アイアイ!」 「一緒に寝るか」 「アイアイ、キャプテン!」 どすどすと足音を鳴らし、フラフラと歩くローの背中を追う白クマ。少し前までは灰色のトラに取って代わっていた位置だった。 彼らが計画を決行する前夜、ローは密かに×××の家を訪れていた。コツン、とカーテンの閉まった扉に小石をぶつける。これで三日目だった。暫く反応を待ち、音沙汰も無ければ船に戻るを繰り返していた。 カタリ、と微かな物音に、ローは急いで欠伸をかみ殺した。 「×××、」 「ファルッ」 窓から覗いた顔は、久しく会っていない×××だった。ローの口が薄く引き伸ばされる。彼女は小さく喚声を上げ、直ぐに頭を引っ込めた。また暫くして、彼女がドアから飛び出してくる。物音を立てないよう努力した割には夜の空には大きく聞こえた。 駆け寄ってきた彼女の細い手首を掴んだ。驚いてたたらを踏む×××をそのまま、家からは窺えない近くの海辺へ連れて行く。砂浜に座らせると、余裕が出来たのか、×××はぶうぶうと文句を垂らした。ローが×××の口元を細く、長い指で押さえた。 「シッ。良いから聞け」 ローの、暗がりでも分かる強い眼差しに、×××は、眉根を寄せながら渋々頷く。 ――夜、窓に何かが当たる音で目が覚めた。窓を静かに開けてみると、ここしばらく見ていないファルがいた。突然のことで、今まで私を避けていた怒りより、驚きが勝る。驚きの延長で、パジャマの上から軽く羽織れるカーディガンを掴んで家から飛び出した。静かに閉めたはずの扉は、音を立てて私の耳に残る。 それで、奴にクッと手首を掴まれて、砂浜に大人しく座った頃、やっと何時もの調子を取り戻した私はファルにあれやこれや文句を募ったが、奴は怯んだ様子も無く、真剣な表情で私の口を閉ざした。それで言うのだ。 「いいか、おれたちはもう海に出る。そんなに時間はねェ。明日、――昼間だ。」 「えッ、…どうして」 正直、こんな夜に彼が直接私を訪れたのも驚いたが、その内容の方が私に衝撃を与えた。急、すぎじゃないか?どうして、と心の声が筒抜けになって彼に届く。 「おれたちはもともと海から来たしな。つまり、探しモンが見つかった。もうここに止まる理由もねェ」 どうしても、彼の言葉は私が彼にとってとるに足らない存在だと告げられているようで、顔に吹き付ける風が急に冷たく感じられた。同じ色の瞳をしているはずなのに、ファルの瞳は凍てつくように冷えて、私を見据える。 「へェ…。…そう」 なんだか、捨てられた気分になった。 ファルなんて、他人なのに。そう言う勇気は既に削がれて欠落していた。 「見送りに来いよ。おれが直々に誘ってんだ、ベポもそれを望んでる。来てくれるか?」 スッ、と伸ばされた手の平を無心で見つめる。スルリと頬を撫でられ、冷たそうな彼の手は暖かい事を知った。 ×××、と呼ぶ彼の声が切実だったからなのか、私は気付けば首を縦に振っていた。 「うん」 「場所を言う。覚えろ」 添えられる手に緩く頬を押し付けた。細めた目から、うっすらと笑った彼が見えた気がした。 彼の声はじんわりと、暖かい手の平から浸透していくようにすんなりと入ってくる。 「島の裏、南西の森を川沿いに歩け、入江にある潜水艦がおれたちの船だ。いいか、真っ昼間だからな、丁度島のビックツリーに太陽が昇る頃には間に合うように来い。それ以降はもういないと思え」 暗い海の波間の音が戻ってくる。ザンと定期的に打ち寄せる波は子守歌みたいだった。穏やかな心持ちのまま、最後の言葉が突き刺さる。 「は、」 そうだよ。もう、いなくなっちゃうんだ。…初めて出来た友達なのに。 目を開くと、やっぱり強い意志を持った奴の視線とかち合う。 「今の保護者に言ってもいいが、言わないことを推奨する」 グイと、親指の付け根で私の頬を乱暴に撫で、パッと離れた。スルリと向かい合って座っていた体勢を崩したファルは、私を残して立ち上がる。私の顔が彼を追って上を仰いだ。 「なんで」 そこでファルが初めてニヤリと、海賊であることがよく分かる、残忍な笑みを浮かべた。 徐に突き出された、刺青がビッシリと書き込まれた腕。砂浜に座り込む私に向けられてゆらゆらと揺れた。 「絶対反対するからだ」 「…」 フン、と鼻で笑い、彼は一向に手を差し出さない私の手を取って無理やり立たせる。お尻の砂をパシパシと叩き落としてくれるのは良いけど、子供扱いか。バカ。 「じゃ、明日だ。よく寝ろよ、…×××」 これはテメェに預ける、とマフモフの帽子を私に被せ、その上からグシャグシャ、と撫でつけたファルは、また私の返事も待たずに背を向けて歩き出してしまった。 …今更返されても、困るよ。ファルの―― 「バーカ!」 細身の男は、後ろ手を軽く上げただけだった。 過去のお話-9- 2011/12/12 <-- --> 戻る |