「霧野?」
白い空間にいるのは、桃色のおさげを微かに揺らしている、霧野。誰かと喋っているようだが、誰かというのが見えない。
「霧野、霧野、」
何度呼びかけても彼は一向にこちらを振り向いてくれない。いつもならおさげが踊るように見えるほど、勢いよく振り向くのに。何かが、違う。オレはもう一度、大きな声で彼の名を呼んだ。「霧野!!」
やっと振り向いてから、気付いた。霧野と喋っていたのは、この前霧野にラブレターを、オレを介して渡して来た、あの子だ。
「神童、ちょうど良かった。紹介するよ」
そう言って霧野はその子の肩を抱いて、
「オレの彼女!」と自信満々に言った。オレは情けない「え?」という呟きを口からもらした。
「だからこれからは、神童のこと慰められない。彼女がいるしな。あ、あと弁当も一緒に食べられないから。じゃあな」
早口でまくしたてると、霧野は彼女と足早に去ろうとしていた。待て、行くな。そう言おうと思っても、口は声を発させてはくれない。追いかけようにも、足全体がそのまま足になってしまったかのように、動かない。涙で視界が滲む。思わず目をつむった。
待て、行くなよ。
「待ってくれ!!」
目を開けると、ただただびっくりしている霧野が、目の前にいた。
「…待ってる、けど?」
あれ?周りを見回すと、白い空間のかけらも無い、オレらがいつも居る教室だった。…夢、だったのか?
そういえば今日はテスト期間中で部活が無く、霧野と帰るはずだった。しかし、霧野が先生に呼ばれてしまい、オレは教室で待っていた。そこまでは思い出せるが、その先は記憶が無い。…つまり、寝ていたということか。
「…すまん…寝ていたみたいだ。起こしてくれれば良かったのに」
「んーよく寝てたから起こすのもどうかなって。それよりどんな夢見てたんだよ…なんかうなされてたけど」
霧野が彼女を作ってオレの前から去ってしまって、泣いてしまう夢。…なんて当たり前だけど、言えない。オレは「べ、別にっ」とはぐらかした。
「そ、それよりさ、お前この前告白されてたよな?どうすんの?」
「あー…あれね。うん…」
煮えきらない態度に、どきりとした。いつもなら「断るけど?」と言うのに。まさか、告白を受けて、付き合うのだろうか。もしそうなったら、あれは正夢になってしまう。そしたらきっと霧野は、
「えっ、な、なんで泣くんだよ?」
霧野に言われて気付いた。頬には、見慣れてしまった己の液体が流れていた。オレは拭ったけど、あの夢がフラッシュバックして、かえってより溢れかえってしまった。
「ちょ、神童?」
「…っ、ごめん!」
オレは勢いよく立ち上がって、教室を出た。後ろから、霧野の声が聞こえた。
しばらく走ると正面玄関に着いた。荒くなった息を整えて、オレは下駄箱のそばにうずくまった。こうしているといつもなら、霧野が駆け寄って来る。そして、優しい声でこういうんだ。
「おい、どうしたんだよ?」
そう、いつもこうやって…ん?
「目腫れてるけど、また泣いたのかよ?」
顔を上げると、南沢先輩が心配そうな顔でオレを覗き込んでいた。
「ど、どうしたんですか?」
「こっちのセリフだよ。どうしたんだよ?」
南沢先輩はガラにもなく、優しい声色でオレに問いかける。いつもなら何でもないです、そう言うのにオレは口を開いてこれまでのことを話し出していた。
「ふーん、そりゃお前霧野のことが好きなんじゃねえの?」
「はっ!?な、なななにを」
「泣くほど嫌なんだろ?好き以外何でもないと思うけどな」
「で、でも男同士ですよ?ヘ、ヘンじゃないですか?」
「ヘンでもいいんじゃねえの?」
南沢先輩はあっさりと、ばっさりと、とんでもないことを言い渡した。しかし残念ながらオレはそうやって吹っ切れるやつではない。
「試しに霧野に好きって言ってみればいいじゃねえか。相手も好きかもしれねえぞ」
「な、なにいって」
るんですか、と言おうとした瞬間、「神童!」オレのことを呼ぶ声がした。もちろん誰かはわかる。
「じゃあな」と言って南沢先輩はさっさと帰ってしまった。待ってくださいのマの字も言えないくらい、風のように素早く帰って行った。オレが呆気にとられていると、「神童、」また呼ばれた。
「なあ、どうしたんだ?逃げ出すことはないだろ」
霧野は眉尻を下げてそう言った。ごめん、と一言謝った。
改めて顔を見据える。オレは、霧野のことが好きなのだろうか。オレは、霧野のことが、
「好きかも、しれない」
思わず口をついて出た言葉。「え?」と霧野は目をまんまるにして呟いた。やって、しまった。言うはずなかったのに、何故口に出してしまったんだ。
「ごめん、やっぱ今のなし!」
そう言おうとしたのに、霧野があまりにも顔を真っ赤にしてて、見たこともないくらい真っ赤にしてて、
オレも顔を染めて、口をつぐんだ。