Side Extra | ナノ

誰も報われない話


「奥村……まさかこんなことになろうとはな」
「……ええ、そうですね」
「残念だ」
「僕もです」
「我々は一体どこで違えたのだろうか」
「……」
「なあ、奥村。もう終わりにしよう。これ以上は――」
「残念ですけど、僕は引く気なんてさらさらありませんよ」
「奥村っ!」
「あなただってそのつもりでここにいるのでしょう?」
「だが! 私は……」
「僕にだって譲れないものがあるんです」
「……どうしてもか」
「ええ」
「……わかった。そういう頑固なところは変わらないな」
「そのセリフそっくりそのままあなたにお返ししますよ」
「こんな形でお前に剣を向けるとはな」
「……僕はいつかこうなるんじゃないかと思ってましたけどね」

 彼女の鋒が、
 彼の銃口が、

 目の前の人物に向けられる。

「本当、残念でならないよ」





「っだああああああああ!! わけわかんねえええええ!!」

 しばらく眉間に深いシワを作っていた燐だったが、ちゃぶ台返しよろしく教科書を放り投げた。

「ダメだ。全っ然わかんねえ全っ然覚えらんねえ!!」
「燐ー覚えられないって気持ちはわかるけど、教科書投げてそんなに頭掻いても頭に入らないよ……」

 その隣では燐ほどではないものの、げっそりした奏が弱々しく諭す。しかし覇気がないのは奏に限ったものではなかった。
 燐や奏はもちろん、子猫丸やこのクラスのトップを争う神木や勝呂までもが厳しい表情を浮かべながら教科書と睨めっこしていた。その目はまるで親の敵のようだ。ちなみに志摩に至ってはキャパシティオーバーにオーバーヒートが重なり、完全に廃人とかしている。しえみも然り。

 完全にお葬式状態のクラスの原因は皆が手にする教科書――もとい悪魔薬学のそれが関係していた。

 要するに悪魔薬学の小テストがこの数分後に待ち構えているのだ。

 それだけなら常日頃授業をまじめに聞いている神木、勝呂、子猫丸、奏はさしたる問題ではなかった。
 しかしテスト期間且つ模試・及び度重なる塾での実践授業によりその誰もが今のいままで小テストの存在を忘れていた。
 思い出したツートップは己の未熟さに怒りを覚えたが、今はそれどころではないと必死に教科書に齧り付きながらペンと口を動かし、薬草の名前と効能、使用例を頭に叩き込む。「あのトサカ(麻呂眉)だけには絶対負けたくない」という競争心が二人を動かしている。

「……ふふっ、あと2分で休み時間が終わる」
「立花さん、諦めたらあかんよ!」

 すーっと目から光が消えてく奏に子猫丸が必死にフォローを入れる。ちなみに奏の左隣二つには色すら失った燐としえみが突っ伏していた。

 そして死刑宣告にも似たチャイムが鳴った。
 燐と志摩以外は教科書類を片付け、体制を整える。

「……あれ?」

 ところが教室の扉は開かない。
 始業3分前、遅くても始業開始と同時にやってくる講師が来ない。いままでにない講師の遅刻に全員頭にハテナを浮かべる。

「雪ちゃんと最條先生どうかしたのかな?」
「任務とか?」
「いや、それでも必ずどちからがいるでしょ」
「それもそうか」

 女子三人があれやこれやと話してると、いままで一言も喋らなった志摩が覚醒する。

「これはもしや休講フラグちゃう!?」

 志摩の言葉に全員が反応した。

「マジか!? やったぜ!!」
「阿呆! 何抜かしとるんや!!」
「だってあの時間厳守の若先生らが来ないっちゅーことは休講以外考えられませんえ!」

「それに休講なら小テストは次回持ち越しでその分ちゃあんと勉強できまっせ?」という甘言に勝呂はそれ以上なにも言えなくなる。口には出さないものの神木や子猫丸、奏も勝呂と同じだ。
 そのとき、ガラリと開いた扉に全員の体が大きくはねた。

「あ、よかった。全員いるね」
「佐藤先生?」

 顔を出したのは雪男や綴ではなく、情報部の佐藤だった。

「奥村先生と最條先生は諸用で来れなくなったから授業はないよ」
「っしゃあああああ!!」

 待ち望んだ言葉に惜しみなくガッツポーズを取る燐と志摩。他も表立って喜ぶことはしなかったが、それぞれ心の中では安堵の息を漏らした。

「でも後日ちゃんと振替があるからそれまでにはちゃんと勉強しておくんだよ」

 「結局やるのかよ!」と燐は悪態をつくが、ほか真面目組は勉強する時間があるだけ十分と前向きだ。

「でも先生二人共いなかったら授業どうするんですか?」

 奏のそれに佐藤はよくぞ聞いてくれましたと表情を明るくする。

「今日の薬学は急遽変更して、みんなには実戦見学をしてもらいます」





「はァッ!!」

 金属同士が打ち鳴らす甲高い音が二人の纏う凍てついた空気を、二人の鼓膜を震わす。
 力任せに押し切ろうとする綴の双剣を咄嗟に右の銃で受け止めた。
 受け止めた右手を通して全身にその重みが伝播する。
 日々の鍛錬の賜物で成人男性顔負けの力の持ち主とはいえ異性とは思えないそれに雪男は心の中で思わず悪態を付く。純粋な力だけ比べるとしたら軍配は雪男に上がるだろうが、両手と片手ではある程度拮抗まで持ち込めるだろうが、結果は目に見えていた。
 辛うじて数発残っている左銃のグリップを握り直すと、彼女の足元目掛けて撃つ。
 彼女は顔色一つ変えることなくたんっと小さな体で飛び上がると、そのまま雪男の頭上を越え、背後に回ろうとする。
 解放された右手を左脇から狙い撃つ。
 当たらずとも綴を引かせるには十分効果があった。

 両者大きく距離を取り、体制を立て直す。

「どうしました綴さん。太刀筋がぶれてますよ」
「抜かすな。お前こそ銃口がぶれてるぞ」

 荒い呼吸を整える。

「綴さん、おとなしく引いてはくれませんか? 本当はあなたに銃口何か向けたくありません」
「それについてはさっきも言っただろう。奥村がそうであるように、私も、譲れないんだ」
「そう言う割にはこうして再装填する時間をくれるんですね」
「お前こそ私のここを狙わないんだな」

 とんとんと綴が自身の心臓を指す。

「足元ばかり狙って。お前の腕ならいくらでも撃ち抜く隙があっただろう」
「買いかぶり過ぎですよ」
「この期に及んで謙遜などなんの意味もないぞ」

 こうして向き合って軽口を叩く機会もだいぶ短いインターバルで増えてきた。
 どちらも相当消耗しているのは明らかだった。

 ――おそらく次が最後になる。

 ここが正念場だと柄を、グリップを握り直す。

「勝っても負けてもそれきりだからな?」
「ええ、言われなくとも」

 綴は重心を落とし、雪男は二丁の標準を迷うことなく彼女に合わせた。
 再び突き刺すようなプレッシャーに包まれる。

 相手とシンクロしたかのように同時に息を止めた瞬間、綴が動いた。

 最終局面の火蓋は切られた。

 破裂音が等間隔に鳴り響く。
 向かってくる弾幕をふた振りで薙ぎ払い、それでも掻い潜ってきたものを寸でのところで体を捻って避ける。
 第二波、第三波と立て続けに放たれる弾幕。

 状況が状況であれ、あの奥村が弾を浪費するとは思えない。

 いくつもの弾幕をくぐり抜けながら綴は相手の思考を汲み取ろうとする。竜騎士に置いて最大の弱点は言わずもがな弾切れである。そして戦場に置いてそれは死と同義でもある。
 
 出し惜しみなし、ということか。
 
 先ほど雪男が言ったとおり、この戦いはどう見ても綴が圧倒的優勢で、彼女が弾切れ――たとえそれが全弾でなくとも、一瞬の装填でも――を狙うことなど造作もないことだ。
 だが、綴はそうしなかった。

何故と問うだけ無駄だと雪男は思った。

 彼女がそういう人間であるからだ。

 迫り来る綴から雪男も彼女の間合いに入らまいと一定の距離を保つ。しかし、悔しいかな、徐々に追い詰められていく。

 むしろここまでよく耐えたものだと、綴は心の中で彼に称賛の言葉を贈る。

 雪男の視線が一瞬、右手にいく。
 残弾がなくなったわけではない。ジャムだ。雪男の連射に空薬莢の排出が追いつかずに詰まったのだ。
 もうずいぶんの数の戦場をくぐり抜けてきた相棒を読み間違えることがあるだろうか。
 綴は珍しいこともあるのだなと思うが、そんな絶好のチャンスを逃すわけもない。
 一気に間合いに体をねじ込むと、力任せに振り上げるように残弾のある左を狙う。渾身の斬撃は雪男の左頬の薄皮を一線の跡を残しながら銃を弾き飛ばした。

 綴の勝利はつまり雪男の完全無力化である。
 
 ――終わりだ。
 
 ふっと雪男が笑った。

 パキンッ。

 「っ!?」

 魔法弾か、と思う頃にはもう遅く、左肩から手首にかけて凍りついていく。ジャムだと思わせ、綴の意識を左に集中させた一瞬を突いたある種、捨て身の技。
 そして今の一発で残弾がなくなった銃のグリップを彼女の右手の甲を容赦なく叩きつける。

「ぐっ」

 雪男は一瞬怯んだ綴の右手から剣を奪い取った。

「竜騎士(僕)に剣は扱えないと思いましたか」

 現役の騎士も目を張るような太刀筋で一閃。
 間一髪受け流す。しかし左一本、しかも剣を握る手首ごと凍っており、ほぼ動かせない状態では分が悪すぎる。受け流すだけで精一杯であり、鍔迫り合いになれば勝機はないに等しい。次から次へと繰り出される剣戟。このままだと鍔迫り合いに持ち込まれる前に勝負がつく。

 叩き込む!

「おくっ――雪男っ!!」

 振り下ろそうとした剣がぴたりと止まった。雪男自身何故止まってしまったのかわからず、我に帰った時には視界は煙幕で白く霞み、鳩尾あたりに鈍い一撃を食らう。ぐっと足腰に力を入れ踏みとどまると、すっかり火照った頭を冷やす。
 視界不良の中、頼りになるのはお互い知った行動パターンとその気配。全神経を集中させて周囲を探る。
 煙幕を使ったのは体制を整えるためであろう。すぐに何か仕掛けてくる可能性は低い。しかし魔法弾の氷はそう簡単に溶けるものではない。時間が経てばある程度自由が利くようになるが、それでは煙幕が晴れるのが先になり、正面衝突となれば綴に勝機はない。
 背後の空気がわずかに揺れた。
 綴の刃は左向きにほぼ固定されているので来るとしたら右側から。それを見越して振り返り剣を振るう。

 残念、とでも言うように綴だと思ったのは彼女の剣と祓魔師のコートの囮だった。
 一度ならず二度までもやられた瞬間だった。

 それからはあっという間で隙だらけの雪男を地面に叩きつけ、馬乗りになる。

「チェックメイトだ、奥村」

 綴が握っていたのは馴染んだ剣ではなく、黒光りする雪男の銃だった。

「太刀筋といい、踏み込み、立ち回り見事だ。何故騎士の称号を取ってないのか不思議なぐらいだ」
「それを言うならあなたもでしょう」
「そういえば、そうだったな」

 陽気に声を上げて笑うが、その銃口は雪男から外れない。

「先ほど『剣が使えないと思ったか?』と言ったな。あいにくお前と違って私は銃の扱いは慣れてない」

 ひと呼吸おいてからゆっくりと味わうように続けた。

「だが、この距離からなら外さんぞ」

 にたりと満足げに笑った。

「……卑怯ですよ。今まで一度たりとも名前で呼んだことないくせに」

 見られたくないとでも言うように左腕で目を隠す。

「奥の手は取っておくものだろう。……まあ、まさかあそこまで反応するとは思わなかったがな」
「ずるい人ですね」
「知らなかったか?」
「いいえ。知ってましたよ、随分前から」

 我ながら何と弱々しい声なんだろうと小さな笑いが漏れる。
 たかが名前を呼ばれただけであれ程動揺するなんて誰が予想できただろうか。そしてなんと女々しいことだろうか。お互い譲れないものを賭けた決闘だったと言うのに名前を呼ばれて嬉しいと思ってしまった。

「“惚れた弱み”ってこういうことを言うんでしょうね」
「そうかもしれないな」

 本当、なんて厄介な人に惚れてしまったのだろうか。

「さて。名残惜しいが、そろそろ終わりにしようか」

 グリップを握り直し、安全装置を解除する。そしてしなやかな動作で引き金に指を掛ける。

「さよならだ」

 腕の隙間から垣間見た彼女の瞳はガラスのように透き通っていた。

――――

「湯ノ川先生」
「あいよ」

 サングラス越しにスコープを覗く湯ノ川の目が綴の首筋を捉えた。パシュッとスナイパーライフルと酷似した銃から一直線に飛び出したのは髪の毛ほどの針。それは引き金を引く直前だった綴の首筋へ吸い寄せられるように刺さった。

「い゛っ」

 一瞬顔をしかめた綴はそのまま目を閉じると、糸が切れたように力なく雪男の上に崩れ落ちた。

「目標鎮圧確認。任務完了です」

 湯ノ川の隣で指示を出していた佐藤が肉眼で確認すると、湯ノ川は深いため息をついた。

「あ〜死ぬかと思った〜。前線より緊張するわ」
「お疲れ様です」

 湯ノ川はすっかり凝り固まった肩を解す。彼の代わりに佐藤が狙撃用の麻酔銃を慣れた手つきで片付けていく。

「あ、えっと、これは……」

 今の今まで全く空気だった塾生を代表して奏が口を開いた。
 いきなり訓練場に連れてこられたかと思えば、なんと本来の授業で来るはずだった二人が手合わせしているではないか。いや、手合わせなんて生易しいものではない。使っているのは訓練用の剣や銃弾だったが、二人の目は本気だった。遠く離れているのにも関わらず息が詰まるような殺気に誰もがぞっとした。
 もちろん燐や奏が止めに入ろうとしたが、佐藤が制止する。奏はともかく燐は力づくでも二人の間に割って入ろうとすると、彼らと少し離れたところにいたネイガウスが言った。

「止めたければ、止めればいい。だが、貴様が悪魔とは言え、只では済まんぞ」

 授業時よりもワントーン低い声に踏みとどまる燐。

「……先生」

 奏が縋るように佐藤に涙目を向ければ、大丈夫といつもの笑みが返ってきた。

「何も二人は本気で殺そうとしてるわけじゃない」

 ただの痴話喧嘩だよ。

 それから事のあらましを聞いた奏たちは酷い頭痛に襲われた。




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