喧嘩しました。 識が40人近くの視線に緊張し、盛大に噛んだ自己紹介から数時間後(後に識は黒歴史だと語る)。 ようやく昼休みがやってきた。 短い休み時間には転校生、しかも中途半端な時期ということもあり、多くの生徒から質問攻めにあうはめに。 心中休みたいと思っていた二人だが、さすがに最初からクラスメイトの評価を落とすほど人が悪いわけでもないので、つかず離れずの距離を保って対応した。 昼休みは各々用事があるようで、そのとき二人はようやく解放されたと同じことを思った。 「あー……だるー」 「転校生ってこんなに厄介だったとは……」 机にしがみつく有梨。 その後ろでは識が生気のない目で空を見上げている。 たぶん黒歴史で自己嫌悪しているのだろう。 「……お腹減ったなー」 「ん? あんたがお腹減るなんて珍しいね」 「そりゃあオレだってお腹減ることはあるよ。人間だもの」 「今日はお弁当作ってないから購買にでも買いに行きますか」 「うーい」 二人は重たい腰を上げ、購買へ向かった。 ○ 人ごみを避けるように少し遅れていったが、それでも購買はまだたくさんの生徒がいた。 あまりの多さに、 「……わたし、明日からちゃんと弁当作るわ」 「よろしくお願いします識さん」 というやり取りが真顔であった。 溢れかえる人の間を縫って何とか一番前まで行く。 ピークが終わったとはいえ、そこにはまだたくさんのパンが残されていた。 「どれも美味しそうねー」 「すみませーん。メロンパンと焼きそばパンひとつくださーい」 と、識がどれにしようかと悩んでいる間に有梨はさっさと注文する。 「悪いねえ、焼きそばパンもう売り切れなのよ」 購買のおばさんが申し訳なさそうな笑みを浮かべながら言った。 「マジっすか。やっぱり人気者は残ってねえよなあ……じゃあカレーパンください」 お金を渡し、パンを受け取る。 識はチョココロネひとつだけを頼んだ。 「相変わらずの少食だな」 「別にいいじゃない。低燃費なのよ」 「お前の場合、低燃費なんて言葉じゃすまないけど」 まだ押し寄せてくる生徒を避けて教室へ戻ろうとしたところ、すぐ隣で声が聞こえた。 「ええ!? カレーパン売り切れたァ!?」 「おしいねえ。今さっき売り切れたばかりよ」 「うわマジかよ!? ついてねえええ!」 大げさに頭を抱える男子生徒に有梨はちらりと識にアイコンタクトを送った。 「さっさと帰ろう」 「余計な火の粉が降りかかる前にね」 有梨はカレーパンを隠しながらその場を去ろうとしたが、 「あ、ちょっと! カレーパン最後に買ったそこの子! お釣り忘れてるよ!!」 その場にいた全員が有梨の方に視線が注がれる。 有梨は心の中で悲鳴を上げた。 しかし、購買の人に否はない。 ただ、タイミングが悪かっただけの話だ。 むしろお釣りの存在を忘れていた有梨が悪いと言える。 「てめえか、人の昼飯盗ったの」 どうやら元より機嫌が悪いのか、男子生徒は八つ当たりと言わんばかりに有梨に突っかかってきた。 鋭い眼光に何故か有梨も負けじと対抗する。 「盗った? 人聞きの悪い。こういうのは早いもん勝ちだろ」 「転校生の癖に粋がってんじゃねえよ」 ぶっちゃけ転校生だからというのは言いがかりにも程があると識は心の中で突っ込んだ。 「てめえ、俺が誰だか知っての態度か?」 「知るか。転校してきてお前のこと知ってたらむしろ怖いわ。黙れわかめ頭」 「わかめじゃねえ!! テニス部エース舐めんなよ!?」 有梨の挑発的な態度に彼の怒りゲージはみるみるうちに上がっていく。 面倒だと言っていた有梨だったが、いつの間にか相手のペースに巻き込まれるように加熱していった。 お互い一歩も譲らない喧嘩に識はそっと有梨の傍を離れ、見物人に紛れる。 わたしは関係ありませんという顔だ。 「ハッ! 全国レベルとか言ってるけど、こんなやつがエースとかここのテニス部のレベルがたかが知れるぜ」 「……っ! てめえ、今言っちゃいけねえこと言ったな」 その一言でついに彼のゲージが振り切った。 「あの人たちを馬鹿にすることだけは許さねえ!!」 彼が有梨の胸ぐらを掴み、右手を振りかぶった時、 「あーもう、はい、もうそこまでねー」 識がため息をつきながら後ろから彼の右手を掴んだ。 「んだよ、てめえは」 ギラギラと射抜かんばかりの視線に識は一瞬心臓が跳ねたが、平静を装って言う。 「……うちの連れが悪かったわね。さっきの言葉、わたしが代わりに謝罪する。何も知らないのにあなたの部活のことを侮辱してごめんなさい」 虚をつかれたように瞠目する彼に識は「でも、」と続ける 「いくらカッと来たからといって暴力で解決しようとするのはよくないと思う。それに購買では早いモノ勝ちというのは暗黙の了解でしょう? 知らないわけないよね? いくら目当てのものが手に入らなかったからと言ってその人に八つ当たりするのはお門違いよ」 正論で返され、男子生徒はぐっと黙り込む。 それを見た有梨が勝ち誇った笑みを浮かべるが、 「有梨、あんたもあんたよ。面倒くさいこと嫌なくせに何でわざわざ挑発するようなこと言うわけ? 彼が悪いといって部活そのものを一概に悪いと評価するのは早計で適切とは言えない」 識の説教に苦虫を潰したような表情を浮かべた。 お互い自分にも非があるとわかっているが、どうも認めたくないようである。 それを見かねた識は包み隠さずため息を吐くと静かに行った。 「1ゲーム3セットマッチ」 「は?」 有梨と彼の声が揃う。 「そんなに決着をつけたいならテニスで決めればいいじゃない」 「え、ちょっ、識さーん……?」 「これなら安全且つ正々堂々できるし」 「てめえ何言って――」 「同じ土俵上なら何をされても文句は言えないわよね?」 識が凄みのある笑顔を浮かべれば、彼はまた言葉を飲み込む。 「さあどうする?」という識の視線に彼は「いいぜ」と答えた。 「その勝負乗ってやるよ!」 それから彼は一方的に場所と時間を指定して、そしてちゃっかり別のパンを買って去っていった。 ひと段落ついたところで周りの野次馬も散り散りに。 残された識は再び深いため息をついた。 「本っ当に初日からやってくれるわね……」 「オレのせいじゃねえよ!」 「まだ言うか? ああ?」 先ほどと同じ笑みを見せれば、有梨は言葉に代わりに舌打ちをする。 「……そういうお前だって余計なことしてんじゃん」 「わたしはあくまで提示しただけで、やれとは言ってないけど?」 「よく言うぜ。初めからそのつもりだったくせに」 「さてなんのことやら。で?」 「何が?」と聞けば「決闘よ、決闘」と返す 「もちろん。売られた喧嘩は買わないと相手に失礼だろ」 back |