笑われました。 「見学だけだったのに結構長居しちゃったなあ」 4月下旬とはいえ、6時半近くともなれば暗く、風も冷たい。 寒さに身体を竦めながら識は昨日行ったばかりのテニスコートに向かっていた。 本当なら玄関で有梨と合流し、そのまま帰る予定だった。 ところが思った以上に時間がかかることを有梨に伝えると、「テニスコートで適当に見学してるから終わったらそっちが来いよ」と言われた。 「まあ待たせてる身だし、仕方ないよねえ」 はあとため息を一つ。 するとその拍子に足が何かに躓く。 「あ、ちょっ待っ――!」 完全に気が緩んでいたことと元々の身体能力の低さからそのままバランスが崩れる。 じゃりっと地面が鳴った。 「いった……!」 どうやら派手に転んでしまったようで右膝からはじんじんと痛みを訴えながら血が滲んでいる。 とりあえず止血しようとテッシュを探すも午前ですべて使い切っており、ハンカチは別れる前の放課後、有梨がトイレに行くと貸したままだった。 「最っ悪」 擦り切れた傷口からじわじわとさらに血が広がっていくが、垂れてくるほどの量ではないだろうと何もしないことにした。 それよりも、と待たせている有梨のもとへ向かうため制服に付いた土埃を払い、立ち上がる。 そこでようやく転んだ原因となったものを見ると、 「……テニスボール」 躓いたのは自己主張の激しい蛍光緑のボール。 大方誰かがテニスで場外ホームランしたのだろう。 「……」 無言で拾い上げると、行き場のなかった怒りをぶつけるために思いっきり地面に叩きつけた。 ところが新品且つコントロールが悪かったのか、バウンドしたボールは見事識の額に返ってきた。 「……死ねばいいのに」 本当にツイていないと思いながら額を押さえていると、どこからか殺しきれていない笑い声が聞こえてきた。 思わずキッとその方向を見れば、真っ赤な髪と夕焼けのような眩しい橙色のジャージを着た男子がお腹を抱えて笑っていた。 「……なんですか」 「ふっふっふっ!! あ、悪ぃ。つい面白くってよ、ぐふふふっ!!」 識と視線が合うと、隠す必要性を感じなくなったのか、声を上げて笑い続ける。 人に見られていたという恥ずかしさよりも怒りを覚える識。 おそらく彼が有梨だったら一発二発拳が飛んでいただろう。 「ひゃっひゃっひゃひゃっ!! ふふっ!!」 相当ツボに入ったのか、なかなか笑い止まない赤髪の彼を無視して識はテニスコートに向かう。 一連の出来事とそれを見られていたという事実を一刻も早く忘れるように彼から離れようとする足は早くなる。 だが、 「……なんでついてくるんですか」 「なんでって。だって俺、テニス部だし?」 そういえば昨日のわかめ君も同じジャージを着ていたなと思い出す。 「は〜ようやく落ち着いたぜ。笑って悪かったな」 「……」 「なあ、俺が悪かったって」 「……」 「なあってば」 妙に話しかけてくるのを全部無視して歩き続ける。 行く方向が一緒だからついてくるのは仕方ないが、識としてはこれ以上掘り返されてくなかった。 そんな彼女の思いを知ってか知らずか、埒があかないと思ったようで識の前に回り込むと「悪かった!! この通り!!」と両手を合わせながら頭を下げてきた。 さすがに前に回り込まれてしまえば、止まらざる負えない。 「だからさ、これ使えよ」 パッと割れた手の中から現れたのは絆創膏だった。 「これくらい大丈夫です」 「そう言うなって! ほら!!」 これ以上ないくらい嫌悪丸出しの声音で言ったはずだったのに、赤髪の彼は問答無用でしゃがみこむ。 そしてポケットから出したポケットティッシュでまだ乾ききっていない血だけ拭き取ると、絆創膏を慣れた手つきで傷口に貼り付けた。 「よし完璧!! さすが俺!! どう天才的ぃ?」 実に誇らしげで清々しいほど子供っぽい彼の表情に識は何だか笑われて苛立っていたことがほんの少しどうでもよく思えてきた。 「……」 「な、なんだよぃ?」 「……別に」 そのとき識を呼ぶ声がどこからか飛んできた。 二人して声のした方向を見ると、遠くに見覚えのある人影が見えた。 「お迎えのようだな」 「さーてそろそろ俺も戻んねえとな」と立ち上がった。 「あ、ちょっと」 「んん?」 「手当ありがとうございました」 そういうと彼はまた眩しい表情を浮かべ、「おう! どういたしまして!!」と手を振りながら走っていった。 それから彼と入れ替わるように有梨が来た。 「今の人誰? 知り合い?」 有梨がちらっと視線を後ろに向ける。 「まさか。全然知らない人」 「その割にはさっきの人、手振ってたけど」 「悪い人じゃないと思う。人のこと散々笑ってたけど」 「おい、それってどうなんだよ」 「どうなんだろうね」 back |