謝られました。 今日の放課後は識は美術部へ見学に行くということで別行動することになった。 有梨は部活に入るつもりはないので、そのまま足早に帰ろうと教室を出た。 ところがよくよく考えたところで有梨は帰り道がうろ覚えなことに気がつく。 十中八九、行き先を間違えて迷子になる。 思えば転校初日に切原との勝負の前に一度帰宅できたのは、実はものすごい奇跡だったりする。 「さすがに街中で迷子はなあ……」 「マジでシャレにならない」と呟く。 だからといって識が終わるまでの間、学校で暇を潰したいが、そんな宛がある訳もなく……。 どうしようかと迷った挙句、「遠く見るだけなら迷惑もかからないし」とテニス部の様子でも見に行くかと言う結論に落ち着いた。 もちろん男子テニス部の方である。 やっぱり全国二連覇と聞けば興味を惹かないわけがない。 男子と女子では体格から違うが、多少の参考にはなるだろう。 そうして誰もいなくなった教室を出た。 ○ 「歪みないわーホント歪みないわーオレ」 己の才能に感心し、呆れ、そして諦めた。 「迷子の才能ありすぎて怖いわー」 なんて冗談めかしく言っているが、有梨の笑みはぎこちなく、引きつっていた。 「自分がここまで方向音痴だとは……」と顔に手を当て絶望する。 これで転校初日の迷子騒ぎは有梨のせいであったと証明された。 「識が知ったら最低3日は馬鹿にされるだろうな」 有梨の頭で人を馬鹿にしたような笑顔の識が浮かぶ。 想像に難くない。 なけなしのプライドが傷つく。 しかしここで立ち尽くしていたところで現状が好転するわけでもない。 「こうなったら」と現状を打開すべく、有梨は行動に出た。 「すみませーん」 とりあえず目に付いた生徒に声をかけてみた。 こういう時は人に聞くのが一番だ。 ところが―― 「なんだ」 振り向いたのは制服を着たオッサンだった。 「(う、うわーとんでもない人引き当てちゃったアアアアア!?)」 有梨の心の表情が見事崩壊した瞬間だった。 ここ(学校)にいて制服を着ている時点で生徒であることは間違いないのだが、どうみても中学生には見えない。 中学生とは思えない貫禄がある、と言えば聞こえはいいが、ただの老け顔だ。 目を逸らせないでいると、 「……俺の顔に何かついているか?」 「あ、いえ。ナンデモナイデス」 思わず片言。 「ところで何か用か?」 自分から話しかけておいて「やっぱいいです」とは言えない有梨。 かと言ってほかの言葉もが出てくるわけでもない。 居心地悪そうにもごもごしていると、彼が背負ってるバッグが目に付いた。 「あ、それ」 「む?」 「もしかしてテニス部、ですか?」 見た目から三年だろうと敬語で話す。 これで同い年、もしくは年下だったらもう詐欺としか考えられない、なんて思ったが当人には内緒だ。 「ああ、そうだ。それがどうかしたか?」 これ幸いと言わんばかりに有梨は彼にテニスコートまで案内をお願いした。 「何か用事か? それなら俺が引き受けるが――」 「いやー、別に何か用があるわけじゃないんですけど。ここのテニス部が全国一だって聞いてどんなものかなーと興味があるもんで」 やっぱ練習の邪魔になるか、と諦めかけたが、彼は見た目に関わらず、快諾してくれた。 半歩あけながら歩く。 「テニスに興味があるのか?」 歩きながら彼が言う。 「まあ一応やってますんで」 「それなら女子テニス部のほうがいいのでは?」 「別に部活に入るつもりじゃなくて。性別は違っても高いレベルのものが見たいんです。少しは参考になるだろうし。それにしても昨日のわかめの試合は大変だったなー」 「ははははー」と昨日のことを思い出す。 その瞬間、彼の表情が固まった。 「んー? 道間違えでもしたんすか? ――あっ……」 そのとき有梨は己の失態に気がついた。 つい数十秒前に聞いたのに、彼がテニス部の人間なのをすっかり忘れていた。 しかし気づいたときには時、既に遅し。 有梨は全身から血が引いていくのを強く感じた。 「……貴様が赤也の相手だったのだな?」 帽子の影のせいで彼の表情は見えない。 だが、先ほどの声音よりかなり低い。 「あ、いや、えっと……そう、デス」 きっと切原から部を侮辱したことも耳に入っているだろう。 「……」 「(あ、俺終わったわ)」 と、明日の朝日は見れないことを覚悟した。 ところが、 「すまなかった」 逆に謝られた。 しかもご丁寧に帽子を外し、きっちり角度45度の礼で。 「えっ、はっ? ちょっ、えっ!?」 「元はといえば、こちらのせいだ。あいつがああなってしまったのは俺の指導力不足でもある。あいつの先輩、強いては部の代表として謝罪する」 「すまなかった」ともう一度謝る。 180度違う対応にパニックに陥る有梨は慌ててフォローを出す。 「いやいやいや!! オレも色々悪いこと言ったし、それに勝手にコート使わせてもらったし、オレのほうこそすみませんでした!! そういうことなんで頭上げてくださいいいいい!! なんか心痛い!! 誰か助けてえええええ!」 思わず後半には心の声が出てしまった。 その後、お互い様という形でなんとか片が付いた。 「それにしてもあの赤也に勝つとはな」 再びテニスコートに向かいながら言う。 「ちょいちょいヒヤッとするところもありましたけどねー」 「差別するつもりはないが、女子に負けるとは情けない!! 精市たちと練習メニューを再検討する余地があるな」 普段どんな練習しているかは知らないが、たぶん想像を絶するようなものなんだろうなあ。 まあ所詮他人事だし。 有梨は心の中で黙祷を捧げた。 「して、名はなんと言うのだ?」 「は?」 「あの赤也を負かせる程なら女子の方に疎い俺でも名前ぐらいは聞いたことあるかもしれん」 「あー。いや、知らないと思いますよー。オレ、公式試合とか大会出たことないんで」 と、あっけからんと言うと、彼は目を丸くした。 その反応に慣れているのか、さらに補足する。 「オレ、前の学校で部活入ってなかったんで」 「何故?」 「大勢他人と競い合うのもいいと思うんですけど、生憎そういうのはオレの性格に合わないみたいで。それならそれでオレはオレなりのやり方で自由にテニスを続けていこうと思ったんですよ」 「……そうか」 どこか寂しそうな表情をする彼に有梨は「でも、」と自然と次の言葉を紡いだ。 「あいつとの試合は楽しかった。あと、あいつみたいに周りから気にかけてもらうっていうのもちょっと羨ましいっす」 久しぶりに本気の試合をして、勝ったことは嬉しかった。 だが、負けて悔し涙を流してる彼と彼の先輩たちを見てどこか負けたような気持ちになった。 こんなこと柄じゃないってことはわかってるけど、本当に羨ましかったんだ、と付け加える。 「まあ、オレにもめちゃくちゃお節介なやつらがいるから寂しくないんで」 それからしばらくしてテニスコートに着いた。 「ありがとうございましたー」 「気にするな。お礼を言われるようなことは何もしていない」 別れるとき、彼がなにか思い出したように振り返った。 「俺の名は真田弦一郎という」 そういえば、名前の話だったのにいつのまにか脱線していたな。 「七森有梨っす」 「七森か。貴様さえよければ、またここに来るといい。赤也を倒す程の腕前、一度手合わせしてみたいものだ」 「あはは……まあ考えておきます」 フッと小さく笑って真田先輩は今度こそ背中を向けて去っていった。 back |