看過


屍の体液の処理を終え、今度は先ほどの認定試験での個々に対する評価をまとめた報告書を書くために塾へ戻ってくると、エントランスから声が聞こえてきた。

険悪な雰囲気を感じ、気配を殺し、物陰に隠れて様子を伺う。

少し離れたところでネイガウスと……背中に隠れてはっきり見えないが、おそらく声からして奥村だ。

何を喋っているかはわからないが、大方認定試験に置けるネイガウスの逸脱した行動についてだろう。

事前に警戒しろと言ったが、まさか本人に問いただすとは思ってもいなかった。

奥村燐のことになると、コイツは本当行動的だな。

そのとき一層奥村の雰囲気が刺々しいものに変わった。

話し終えた、というよりは終わらせたネイガウスがこちらに向かってくる。

数日前、メフィストの部屋ですれ違った時と同じようにこちらを一瞥して彼は去っていった。

全く、いいように利用されているな。

いや、あの悪魔のもとにいる限り、どんなやつであろうと悪魔の遊戯の駒にされてしまう。

ネイガウス然り、奥村燐然り、奥村然り――。

と、奥村のほうを見ると頭に手を当てながら壁に寄りかかっていた。


「奥村」


普通に声をかけたつもりだったが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「そんなに驚くことないだろう?」

「すみません、綴さんでしたか。こちらに戻ってこられたということは後始末終えたところですか?」

「そうだ。これから報告書の作成だ」


「そんなもの提出したところで結局はメフィストの気分次第で合否が決まるのだから無駄な行為だ」と愚痴を零せば、「そうですね」と苦笑いで返してきた。


「これから徹夜だと思うと気が重たいさ。奥村はさらに進路相談もあるのだろう?」

「ええ。ちょうど今から行こうかと」

「申し訳ない。こればかりは手伝おうにも私はあくまで講師補佐だからな」

「いえ、気にしないでください。ようやくこの前報告書を書いてくださった借りを返せるのですから」

「報告書一枚と進路相談、どちらが労を要するかなんて比べるまでもないのだがな」

「綴さんに頼ってばかりでは申し訳ないので」


申し訳なさそうに奥村は眉を寄せ、曖昧に笑った。

ずっと一人で戦ってきた彼にとって誰かに頼る、寄りかかるということに抵抗がある。

ひとりで何でもできるようになろうとする志は自身の成長には大切で尊いものだが、彼の場合過剰で当然のことだと身に染みすぎている。

彼が七歳の頃からずっと一緒にいるが、その頃から何も変わらない。

逆に年月を重ねるにつれ、悪化しているように思える。

彼を見ていると、どうしようもなく居た堪れなくなって怒鳴り散らしてしまいたい。

でもそれは彼の性格を建前にして八つ当たりしたいだけなのだろうな。


「綴さん? どうかしました?」


心配したように奥村が覗いてくる。


「今日は何時に寝れるかと考えていただけだ」


そして話を変えるように敢えて触れてはいけない話題を出した。


「そういえばいまそこでネイガウス、先生とすれ違ったぞ」


ぴくりと僅かに奥村の眉が上がったのを見逃さなかった。

わかりきっているのに何も知らないようにこんなことを言う私はタチが悪い。


「そうですか。きっと報告書を提出されに行ったのでしょうね」


完全には隠しきれていない動揺が伝わってくる。

それでも一般人にはわからないだろうし、最も近いところにいる奥村燐でさえわからないかもしれない。

私が話を逸らしたように奥村も「それじゃあ僕はこの辺で」と言った去り際、


「奥村」

「どうかしました……?」

「この一件が終わったら私の部屋に来ないか? いい豆が手に入ったのだが、ひとりで味わうには寂しくてな」


またもポカンとする奥村だったが、


「是非。それじゃあ手土産にチーズケーキお持ちしますね」


と、屈託のない笑顔を向け、今度こそ去っていった。

彼の足音が完全に聞こえなくなるまで動くことはなかった。

知った上で何もできない私は本当に卑怯で、臆病者だ。


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