「ああ、雨が降らない」
雨が降らなくなって一体どれだけ経っただろうか
元々地の主がいないのだ
いくらソレ以上のモノが奇跡をもたらそうとそれがただのその場しのぎなのは明白だった
蓄えも尽き始め、飢えがつのった人々が集めたのはとても良くないモノ達
はやく新しい主を見つけてくるかこの土地を離れるかしなければ取り返しのつかない事になる
――だから、早々にこの集落を去ろうと巫女達に言った
「白澤様がいらっしゃるんだから何もかも上手くいきますよ」
もう、何を言っても無駄だった
人とは一度高見を見てしまえばよほどの事がない限りそれよりそれより下には行けない生き物
彼女達も例外ではなかった
…そう、ただそれだけのこと
「泣いているんですか」
人が簡単には立ち入ることが出来ない場所にある湖の辺
そんな場所で暫く思考に耽っていたせいか、突如響いた声に反応するのに時差が生じた
声の持ち主は意外にも目の前にいて、反応の無い私を不審に思ったのか更に覗き込んで来るものだから二度驚くことになった
「な、んだ、丁か。びっくりしたあ」
「人の顔を見るなりなんですか、帰りますよ」
「全く可愛くないなあ」
ほら、と言って供物の中からくすねてきた果物を渡すと「おのこなので必要の無いものです」と言いながら素直に受け取る
丁はこの村の子供だ。“みなしご”というだけで村の召使としてぞんざいな扱いを受けていた
丁は隣に座りしゃくりしゃくりと食べ始めたもんだから、その小さな頭を撫でていると汚れますよ、とやんわり手を退かされてしまった
「私は化け物だから大丈夫だよ」
「何を馬鹿げた事言っているんですか?」
「えっ」
「貴女は人と多少違うだけで私達と同じ“人”ですよ」
煌びやかな異国の衣に身を包み目元に朱の化粧をあしらったその人のは、木々の隙間から木漏れた月の光を浴び、より一層美しさを増していた
そばにある湖は夜空の星ぼしをその湖面に映し、昼間とはまた違った雰囲気を醸し出していた
息をつくのも忘れて見蕩れていると、その視線に気づいたのかその瞳と視線が交わった
「在るべき場所に帰るんですか、」
その人が言葉を発する前にそう問えば、白澤様は困ったように眉を下げ曖昧に微笑んだ
私はこの人を困らせたいわけではなかった
それでも避けては通れない道だから、だからせめて後悔のないよう目を逸らさないと決めた
「どうしてそう思ったの?」
「だって、白澤様はこの地の主になったわけではないから」
「…君は本当に賢いね」
私は視てきた
白澤様が来る前も来た後も
今は亡きあの人はこの湖の小さな神様だった
それでもここの土地を統べる主だからか、いつもの様に話せば「ならば努力してみよう」と言った
それほど力があるわけではないのに
その人はとても優しかった
私が利用しているとわかっていながら『千夜は賢い子だ』『優しい子だ』と優しく頭を撫でてくださった
悪意のない、純粋な優しさを向けられたのは初めてだった
―きっと、私が化物なんかに生まれなければ父様や母様はこんなふうに接してくれたんだろうか―
あの人が消え、朽ちていく土地を見続け胸の奥に黒いモヤが広がっていくのを感じた
それがなんなのか結局わからなかったけれど巫女達を騙してまでこの土地を見届けようと決意するぐらいの力は秘めていた
そんな時に白澤様が来られた
はじめは新たな神が来たのかと思ったが、緩やかだけれど確実に朽ちゆく土地を確認してどこかほっとしたのを覚えている
白澤様はおかしな人だった
神様にしては今まで出会ってきたどんな神よりもそれらしくはなかったし、供物や生贄を欲っさなかった
誰にでも優しかったし、決して贔屓をする人ではなかった
だけど、時折見せるその表情はどこか寂しそうで、白澤様のそんな顔が見たくなくて、そんな時は笑顔で隣に座り、妖達に聞いた面白おかしい話を聞いてもらっていた
白澤様はお薬に関してすごく詳しかった
薬事の話をするときはまるで子供の様な笑顔を綻ばせて話される
白澤様のそんな顔が好きで私はますます話しかけるようになった
すると今度は白澤様がいつか帰って行ってしまうことが恐ろしくなった
これでは巫女達と同じではないか
あの黒いモヤがまた顔を出し始めた
「僕はね、君に会う為に来たんだよ」
予想にもしなかった答えに驚いていると、いつの間に移動したのか目の前に白澤様がいた
どこまでも澄んだ黒い瞳に見つめられ、心の奥の奥、自分の自覚していないところまで覗き込まれるような気がして一歩後ずさると今度は腕を掴まれた
「君のことはね、僕らの中でも結構有名なんだよ『神を利用する巫女の集団』がいるってね」
「……、」
「で、一体どんな美女が惑わしてるのか気になってね」
「うん、真面目に聞いてて損した」
「ま、もうちょっと聞いてよ。正直僕だってびっくりしたんだよ?楽しみに来てみればまだ子供じゃないか、それに…」
言い淀んだ白澤様はどこか遠くの方を見るように視線を外した
「…そう、まだ子供だったから何か術でも使っているのかとも思った、けどそれも違った
神を利用しようとしている割りには君はあまりにも優しかった」
「や、めて、くださいよ…私、」
「優しいよ君は。現に君は村人達のことは話すけど君自身の要求は一度も口に出したことはなかった。誰に対しても。これまでの所でだって君が周りの妖怪達に協力を仰いでた事も“奇跡”の要因に含まれているんだろ?」
「……………っ、」
どうやらこの神獣・白澤様には全てお見通しの様だった
言い返すことの出来ない悔しさに俯いて頭を下げれば、慈しむようにそっと手を乗せられた
「僕は君の事が知りたいんだ」
「嘘、だって白澤様にはすべてお見通しなんでしょう…?」
「人の“心”まではわからないよ
君が今まで押し殺してきた分の気持ち、君の事を僕に教えてくれないかな」
今まで無意識に抑えてきた何もかもが堰を切って溢れ出し、ポロポロと涙を零しながらぽつりぽつりと言葉を発した
「……私そこまでお綺麗な人間じゃないんです、妖怪や妖達に頼んだのだって自分が生活していくためだし神様達に自分の事を話さなかったのだってへんに呪われたら困るからだし、私は彼らが苦しんでるのだって見て見ぬ振りをしてきた…
でも、苦しむあの人たちを見るのは辛くて、でも私には出来ることなんて少なく、て」
「うん」
「どうにかしたかったけれど、今更みんなと離れることなんて、で、きなくて…、でも、みんな、信じてはくれなくて、でも、どんどん悪い方向に進むばかりで…」
「うん」
「ただ、あの人に出会って、白澤様に出逢って…もう、目を逸らし続けるのはやめようとおもったんです…」
「ならば、僕も隣に立って共に見よう
ちゃんと向き合おう、君が今まで目を逸していた事もこれからの事も
だから、共に生きよう」
「…駄目です、だって私は化物だから、」
「そんなことないよ、君はとても美しいよ」
「………っ、」
白澤様は私が泣き止むまで抱きしめていてくれた
やっと落ち着きを取り戻した後、これからの事を話し合った。私なりにしっかりと“けじめ”をつけたいと言ったら『待つ』と言ってくれた
何やら白澤様も何かに報告しなければいけないと言い、その間に済ませておいでと言われた。今は巫女達のもとへ行くため社に向かっている途中だった
今思えば言葉遣いも酷かったし白澤様の衣装も涙で汚してしまったし、ああ、もう恥ずかしい
「このままではここも終わりだ」
「巫女達は一体何をしているんだ…?」
聞こえてきた人の声に慌てて身を隠すと、まだ夜だというのにそこには村の男達が数人何かを話し合っている様だった
「そもそもあの巫女達はよそ者だ。信用しない方がいい」
「ならばどうしようか」
「主様に供物を捧げよう」
「それでは今までと何ら変わらない」
「ならば生贄を」
「そうだ丁がいる」
「丁にしよう、あいつはみなしごだからな」
「そうしよう」
まるで時が止まった様に頭が真っ白になり、私の足は凍りついた様に動かなかった
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