『だから、僕はその手は取れない』

血の乾いた、錆のような臭いと湿った黴の臭いが鼻につき目が覚めた。目を開いたのにもかかわらず広がる闇を不思議に思い、記憶の糸を辿る。ああ、そういえば目隠しされているのだった。



「(誰も…いない、な……)」



ぐっと体に力を込めて俯せだった体勢を仰向けに変えた。後ろ手に縛られた手が少し痛いが、これで呼吸がしやすくなった。そして、そのまま手首の力だけで体をおこす。背中を預けるため壁まで体をずらした。

再度、誰もいない事を確認して大きく息をはいた。
少しばかりの暴力や拷問は覚悟していたつもりだったが、まさか目隠しまでされてここまで本格的にするとは思わなかった。あーあ、口の中切れてら。





「ふふっ、気分はいかが?」





突然現れた人の気配に、身体は自然と身構えた。きっとこの声は五年生の忍たまの…ああ、椿さんだ。そんなに殺気を出しているということは、僕の事を殺しにでも来たんだろうか。



「傷だらけで小汚くてあなたにお似合いね」


「どぉも」


「本当の事を言うと私の予定では、ここにいるのはあの天女様のはずなんだけど…まぁいいわ」



どうもこの椿さんの考えは読めない。結局この人は何が言いたいんだろう…。





「それより、私あなたにお話があって来たのよ」


「……話?」


「そう、あなた私の側に来ない?」

「……!?」


「私、あのあとあなたの事をちょっと観察していたんだけれどあなた"忍たま"やそういう知識ゼロなのね。だから竹谷や喜八郎はんの疑いもなく近寄っていくんだわ」


「…僕には、よくわからないや」


「それに、あの馬鹿な天女と違ってあなたはずぅっと賢い。だから、あなたに私の手伝いをさせてあげる」


「手伝い?」


「そう、忍術学園の平和を私が取り戻す手伝い」





椿さんは僕の両頬に手を添えるとそっと目隠しを外した。
薄暗い中、椿さんの微笑む姿だけが僕の視界に映る。



「勿論タダでとは言わないわ。あの天女様を天へ還したら貴方も元の時代へ返してあげる」


「……えっ、」


「私はね、この忍たまの世界では竹谷が1番のお気に入りなの。それに貴方側の子達は私が欲しかった子達ばかり。貴方も顔はそれなりにいいし、側に置いておいても損はない。私は貴方が来てくれればすごく助かるし、貴方は元の時代に帰れる…どう?」


「………」





例えば、

僕がここでYESと言ったとしたら、椿さんはすぐにこの縄を外してこの牢から解放してくれるのだろう。ついでに保健室まで運んでくれるのかもしれない。僕を助けた救済者として。
きっとそれを目撃した人達は椿さんへの見方を変えるだろうし、そこで僕が彼女について敬意や感謝の言葉を言えば、みんな椿さんを好きになるんだろう。その大勢力で天女さんを殺すなりなんなりして椿さんの言う"平和"が戻ってきてみんなハッピーエンド。僕は元の時代に帰れてめでたしめでたし…

……まあ、そんなに上手くいく訳ないな。


どうやって天女さんにお帰り願うのか解らないけど、最終的にはサックリと殺っちゃうんだろう。
僕だって、利用されるだけ利用されてポイッかな。

……別に、ここで嬲り殺されようがほんのちょっと長生きして殺られようが僕としては変わらないしなぁ。死ぬ事自体はどーでもいい。



「どうするの?」


「…今ね、ちょっと想像してみたんだ。選択肢の先の事を」


一緒に遊んだ一年は組の皆、僕の為にこの世界の事を教えてくれた富松作兵衛くんのことや最近仲良くなった綾部喜八郎くん。僕が怪我をしたら悲しんでくれた保健委員の皆、それに…

左京以外に、初めて僕を必要だと言ってくれた竹谷…八左衛門くん


「彼らを悲しませる結末だけは嫌だなあって思ったんだ」







「だから、僕はその手は取れない」






一変、


「がふっ、!」


「そう、ならもういいわ。ここで野垂れ死にでもしなさい」





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