水葬 | ナノ

カタールは内陸国ではないため、折り入って海に憧れる理由や筋合いは特に思いつかなかった。
彼がこの、俗に言うところの入水自殺を提案した理由は当事者であるはずの俺も知らなかった。特に海が好きだの、思い入れがあるだのという話は聞いたとがない。聞いてみようとは思わないないが。
昼間は春夏秋冬関係なく人があつまるビーチも、流石に晩冬の夜中に訪れる者は居ないだろう。穏やかな波浪が足元を飲み込んでは撤退していく様子を傍観していると、彼が口を開いた。
「とある日本の文学者に興味があってだな」
日本、日本ニホン。彼はジャパニーズカルチャーに刮目していた。対して俺はあまり興味が湧かない。どこが魅力的なのか一度問うてみたことがあったが、「子供にはわかるまい」と馬鹿にされたことがあった。同い年だっつーの。
「その文学者は、二度も自殺未遂を起こしたらしい」
彼の発言に対して妥当な返事が思い付かず、緘黙。どちらも目線を足元に落としていた。
「彼は、両方とも入水自殺を図ろうとした。愛人と一緒に」
成る程。用意されたこのシチュエーションの意味をようやく理解することが出来た。俺達は決して比翼連理などという間柄ではないが、心中を実行出来るような仲までは出来上がっていた。……む。どちらかと言えばしかしレベルが逆かもしれない。いや、絶対に逆だ。色々とすっ飛ばしてこの行為に至ったのだが、正直俺自身も何故このような事態に陥ったのかはよくわからない。易々と賛成しまったのはつまり、そのような欲望が少なからずとも自分の中にあったのだろう。若しくは、ビヨンからその話を聞いて初めて芽生えた欲だったのかもしれない。
「……三度目は、成功したらしい」
その日本の文学者も相当恵まれなかったんだな。三度……三度?
「その、文学者と心中を図ったのは全員同じヤツなのか?」
「……、いや。全員別人だ」
ビヨンが肩を震わせたのは、俺がいきなり喋ったからなのか。そのとある文学者が、自殺を図ろうとする毎に恋人をくら替えしていたのか。はたまた愛別離苦を経験したのか。さして気にはとめなかった。
「……そろそろ、行くか」
お互いの手を握って、海と空の境界線を目指して波の中を進んでいった。ざばざばと大きな音が、二人の中の静寂を掻き消す。最後に、ビヨンに尋ねてみた。
「なんで入水なのさ」
「どうせなら、静かに死にたい」
静かに死ぬ方法なんて他にも腐る程あるじゃないか。
「それと、自分への戒めのため。溺死は一番苦しい死に方らしいからな。来世で反省出来るように」
来世で反省ってお前……。
それよか、溺死が一番苦しいだって? 俺のこと全ッ然考えてないじゃないか。
「じゃあ、なんで自殺するのさ」
「んん……。なんでだろうな」
瞬間、唇に生暖かい感触。


「お前以外、全部いらないからかな」


それが最後に聞いた彼の声だった。
まだ夜の静けさが残る砂浜で、月光により艶めかしく照らされている彼の死体を眺めていた。もちろんお子様である俺には、死体を犯すような趣味どころか発想すらなかった。慮ったりすることなく、ただ、何も考えずに観照しているだけ。
溺死体は至極醜いと誰かが言っていた。それは嘘だということが、今なら証明できる。むしろ、死体としてはこの上なく美しいではないか。
別に、一緒に溺れても構わなかった。最後の最後でしかし、とある欲望と感情がいきなり全身を支配したのだった。
俺は一人、彼の横で自分の心臓へナイフを向ける。





彼と同じ死に方だなんて、痴がましいにも程がある。それに俺は、彼の死体を見たい欲望に駆られてしまったんだ。可笑しくはないだろ?







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