椿の瞳孔
私はともかくあの廃病院の前を通るのが嫌で嫌で仕方がなかった。とにかく妙な噂が絶えないからだ(女の霊がでるとか赤ん坊の泣き声がするだとか)。いつもならその病院を避けた道を通って帰るのだが、生憎の雨。しかも激しいときた。私の住むぼろアパートまでの最短の道はあの病院の前を通ることだ。
仕方がない。病院が近くなったらうんと走ろう。うんと走ってそのままアパートの自室まで帰ろう。
そう走りながら考えた。ああ、もうすぐそこが病院だ。やはり気味が悪い。走っていると後ろから複数の足音と呻き声のようなものが聞こえた。なんてことだ!私はともかく走った。速く、速く!
「あ゛っ!!!!!」
叫び声にも満たない声に動揺して足が縺れて転けてしまった。このときの私の行動を恨む。怖いもの見たさで私は振り返ってしまった。そこには倒れた女性とスーツを着た数人の男。手に持つものは拳銃じゃないだろうか。私はとんでもない場面を目撃してしまった。
「ねぇ」
雨といっしょに降ってきたのは鈴の声だった。視線をあげると美しい女が私を見下ろしていた。暗がりでもわかるアメジストの目が私を釘付けにした。
「見たでしょ?」
「あ、」
私の額には風穴が出来た。女が開けたのだ。
「そのまま走り抜けてしまえばこんなことにはならなかったのに。運が無かったのね。」
どうやら見てはいけなかったらしい。この女もあの男たちもマフィアか何かだろう。私のこの後は臓器荒らしにバラバラにされて売られていくのだろうか。いや、そんなことはどうでもいいのだ。私はもう死んでいるのだから。
「Alphard」
「ええ。」
「その人はどうします?」
「オマワリに人が倒れてるって通報しとくか?」
「そこの水路に棄ててきて。」
「こいつは運がなかったなぁ。」
「仕方がないんじゃないですか?だって」
見ちゃったんでしょ?
嗚呼、ともう吐けない溜息を吐いた。
バシャンッ
嗚呼、冷たい。
とある死人の考察120726
死人目線の話