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 次の日の朝、ヒヨリは申し訳なく想いながらも遥の荷物の中から服を取り出していた。
「……おい、まだか。」
「だってアンタ、その格好で囮は無いわよ。 だっさ」
「あのな、この服はアイツと一緒な上に元は遥が考えたデザインでだな……」
「遥さんはゲームのキャラとしてデザインしたらしいじゃない。 そんな服を現実で着ればどう見えるかなんてわかってることでしょう?」
 そんなヒヨリのもっともな言葉にクロハは言葉を返せなかった。
「……。」
「よし、これとこれとこれね。早く着替えて。 私は扉の外で待ってるから。」
「はいはい。」
 諦めたように服を受け取ったクロハを見届けたヒヨリは満足そうに部屋を出て行った。
 数分後、遥の服に着替えて出てきたクロハを下から見上げていくヒヨリは満足そうに笑う。
「うん、やっぱり元の素材がいいのね。」
「素材ってお前な……」
「遥さんの服ぴったりで良かった。」
「まあ元は一緒だろうしな。」
「それもそうね。 ……皆もう一階のロビーで待ってる。 行くわよ、クロハ。」
「ああ。」
 短く返事を返したクロハはヒヨリの後をついていった。


 その後、クロハを含める女子達は再び山を登っていた。
 天気は生憎の雨、であり憂鬱になりながらも山を登る道中、クロハがどういう作戦で行くかを知らされた皆は、驚きつつもそれしか方法は無いと聞くとそれに大人しく頷いて、見えてきた趣味の悪い館を睨みつける。
「よし、ここからは各自動いてくれ。」
 クロハの言葉に黙って頷いた皆は、互いに顔を見合わせる。 キドが能力を発動し、クロハ以外の皆の存在感を薄くするとクロハはそれに合わせて洋館の扉をノックした。
 出てきた吸血鬼の女はクロハのことを下から舐め回すように見ると微笑んで扉を大きく開く。
「あら、こんな場所でどうされたの?」
「すいません、友人とともに山に登っていたのですがはぐれて迷ってしまって……」
「それは大変ね……。 天気も悪いし少し館で休んで行ったらどう?」
「でも、ご迷惑じゃないですか?」
「いいのよ別に、雨で退屈していたの。」
「……では、遠慮無く。」
 遥の記憶が少しある分、演技は容易かった。 後ろにいるヒヨリが笑っているようだがもうそんなことにかまっている暇はない。
 此処から先は気が抜けないからだ。
 自分はコノハのように馬鹿力なわけではなく、吸血鬼に抵抗する術は自分の中にすこしある人外の力のみなのだから。
 暗い雰囲気の洋館を歩いてく中、隣を歩く吸血鬼の女は人の良さそうな笑みで笑う。
「私一人で此処に住んでいるから、退屈なのよ。 ごちそう作るからぜひ食べていってくださらない?」
「良いのですか?」
「ええ、もちろんよ。 むしろ食べていってくれるととても嬉しいわ。」
「ありがとうございます、是非。」
 遥を意識した笑みを浮かべると、ころりと吸血鬼の女は騙されてくれた。 こんな呆気無く騙せるものかとほくそ笑みながら俺は洋館の中をざっと見回してみる。 蜘蛛の巣とかは無く、綺麗に掃除はされているようだが纏う雰囲気はお化け屋敷のそれだ。 歩いていく内に、妙に暗い雰囲気の廊下が見えると吸血鬼の女にさとられないようににやりと笑う。
 後ろを歩いてるであろう女性陣達に合図すると、立ち止まる。
「どうされたの?」
「――物音がしたような気がしたもので。 何かペットでも?」
 そう吸血鬼の女に問いかけると得意気に笑った彼女は口を開いた。
「ええ、最近一人じゃ寂しいので飼い始めましたのよ。」
「犬、かなんかですか?」
「犬……そうね、とても賢くて、私のいうことには何一つ逆らわないとてもかわいい犬、ですわ。」
「へぇ、躾が行き届いているんですね。」
「ええ、今とても幸せなんです。 ――じゃあ行きましょうか、クロハさん。」
「そうですね。」
 人の良さそうな表情を浮かべる女に、同じく人の良さそうな表情を浮かべるクロハは笑って頷いた。 こういう時遥の記憶が少しでもあってよかったとクロハは心底思ったという。
「じゃあ私は食事を作ってくるわね。 此処でくつろいで居て?」
「ええ、わかりました。」
 返事をすると吸血鬼の女は笑いかけて厨房に入っていった。 大きなため息を吐いてクロハは辺りを見回す。 相変わらず趣味の悪い館だ。 少し明るめのお化け屋敷のような雰囲気である。
「……。」
 ヘタに口を開く事はしない。 開けばそこから本音が漏れていきそうだからだ。 今は吸血鬼の女にバレる訳にはいかない。
 あの吸血鬼の女が戻ってきたのは1時間ほど立ってからだった。 どうやら吸血鬼の女は料理を作ることが趣味らしく、お腹が空くような豪華な食事が目の前に広がる。
「どうぞ召し上がれ。 安心してくださいな、妙なものは入れておりませんわ。 これでも私、料理にはプライドがありますの。」
「では遠慮なくいただきます。」
 女の言葉通り、食事はとても美味しく柄にもなくテンションが上ってしまった。 食事が食べ終わり女は満足そうに食器を片付けている。
「――聞いても、良いですか?」
「なにを?」
「貴方のことを。」
「何が知りたいのです?」
 そう言って女は怪しく笑った。 俺は表情変えにやりとしながら女に告げた。
「アンタももう、俺がただの人間じゃないということがわかっているはずだ。 お互い、演技は辞めにしようぜ。 疲れた。」
「あら、私はもともとこういう性格ですわ? お淑やかに嫋やかに、可憐に。」
「自画自賛もほどほどにしとけよクソババァ。」
「……躾がなっていない犬ね。」
「犬、ね。 残念、俺は犬じゃねぇよ。 言うなら、蛇さ。」
「どれでもいいわ。 貴方も私の虜にしてあげる。 私のこの牙で。」
「出来るものならやってみろよ。 ――おいお前ら!」
 にやりと笑ってクロハは叫ぶ。 瞬間、女吸血鬼の前に現れたのはこの間追い返したアヤノたちだ。
「なっ――!」
「俺一人でこんな場所来ると思うか? 俺はな、ただの囮にしか過ぎないのさ。」
 にやりと笑うクロハを遮るようにヒヨリが言う。
「クロハ、無駄口はそこまで。 皆の居る場所に検討は着いたけれど、扉に鍵がかかっていて開かないわ。」
「恐らくこの女が持ってんだろうぜ。」
「なら、それを取り返すまでだわ。」
 そういうヒヨリに女吸血鬼が笑い出す。 その笑いを見てどすの聞いた声で言う。
「何がおかしいの。」
「あら、失礼。 だって鍵を取り戻したくらいで私の坊やたちを取り返せるとでも? ――あの子たちは、」
「アンタの配下にある、って言いたいんだろう? アンタの命令がなければ起きることもできない状態。」
「――へぇ、物知りな蛇さんなのね。 それを知っておきながらあの女の子達に協力するなんて、案外バカね?」
「年増の変態吸血鬼に言われたかねぇな、クソババァ。」
「あら、言ってくれるわね。 私はグルメなだけよ? 可愛い子が苦しむ姿にとても興奮するの。 痛がる姿、怖がる姿、全てが私にとっては美味しいごちそうなんだから。」
 そう言ってちらりと食堂の奥の立派な扉に目をやる吸血鬼の女。 恐らく、あの扉の奥にシンタローはいるのだろう。
「へえ、あそこにいるのか。」
「目ざといのね。 でも、渡さないわ。 あの子だけは絶対に。」
「偉くお気に入りなんだな。」
「あんな美味しい子、生まれて初めて出会ったんですもの当たり前の反応だわ。」
 そう言って、女吸血鬼は扉に近づかせないために魔法を放とうとする。 怖気づくアヤノ達の前に立ちはだかってクロハは笑う。
「ったく俺もヤキが回ったもんだな。 なんでお前ら護るために命かけてんだ……良いか女ども、よく聴け。 あの吸血鬼のアバズレの奥に見える豪勢な扉の奥に如月伸太郎が居るはずだ。 ――だが、あの扉は他の扉同様あの女が施錠しているはず。 俺が隙を稼ぐから、あんたらお得意の連携でアイツを固めて鍵を奪うんだ。」
 吸血鬼に聞こえない声量でクロハは言う。 アヤノがハッとしてモモとマリーに目を向けると頷く。
 それに答えモモとマリーは顔を見合わせて頷き合う。
「――行くよ、マリーちゃん。」
「うん! モモちゃん!」
 クロハが吸血鬼の気を引き、マリーとモモはキドの能力で存在感を薄くして彼女に近づいていく。
「今だ!」
 女の猛攻を避けながらクロハは叫ぶ。 モモはキドに合図をして吸血鬼の前に姿を見せて叫んだ。
「はーぁい!ちゅうもーく!」
 モモの声が響き渡り能力に寄って惹きつけられた視線、それに割り込む小さな影はニヤリと笑って瞳を赤くした。
「許さないから。」
「――っ」
 吸血鬼は知っていた。 彼女たちの持つ赤い色の正体を。 そうして彼が言った蛇の意味、それを思い出して目を見開く。 それと同時に意識は遠のいていった。
 クロハが固まった吸血鬼の女の服を弄って鍵を見つけ出し近くに居たマリーに投げ渡す。 マリーはそれを受け取り扉へ駆け寄ってつかむそばから鍵を刺していった。 ようやく開いた豪勢な重い扉をアヤノと貴音が二人がかりで開くと、その先に見えたのは豪勢な天蓋付きのベッドだった。
 そのベッドに駆け寄るアヤノは見えた光景に息を呑む。
「ひどい……」
 よほどシンタローを手放したくなかったのだろう。 天蓋付きのベッドの下、ふかふかなベッドの上に横たわる彼は苦しそうに息を荒くしていた。 その彼が動くのを拒むようにギチギチにベッドにベルトで固定されているのだ。 目元を黒いレースの布で隠されて、まるで、囚人のような。
「……アヤノちゃん、とりあえずシンタローを拘束してるベルトを外しましょう。」
「あ、はい!」
 二人がかりでベルドを外していく。 ようやく取れた頃能力が解けた吸血鬼が発狂する勢いで伸太郎は渡さないとアヤノ達に近づいていく。 しかし、寸前でクロハが足を引っ掛け転ばせた。
「渡さないっ絶対に渡さないわ! 坊や達!」
 そう言って指を鳴らす。 クロハは舌打ち視線を後ろへずらす。 そこには、血のような赤い色を灯したセトたちの姿があった。
「……面倒なことになったな。 あいつらをどう止めるか。」
「クロハ、私達に任せてなんとか止めてみる。 だから、あの女をマリーさんと一緒にどうにかしてちょうだい。」
 溜息をつくクロハの横に立ってヒヨリが言うと皆の方を振り向いた。 全員がヒヨリを見てクロハの方へ視線を移し頷いて男子たちに向かっていくと、それに続いてヒヨリも向かっていった。
「ねぇクロハ。 私は一体どうすればいい?」
「覚えてるかマリー。 俺が言ったアイツの弱点のこと。」
「え、ええと……同性の血……だっけ?」
「ああ。 純血種の吸血鬼を倒すには同性の血が有効だ。 それに加えてマリーには人間じゃない血も少しは流れてっから更に威力は増す。 俺がなんとかしてあの女を抑えこむから何とかしてアイツの口元に一滴でもいい血を垂らせ。 それであの女は倒せるはずだ。」
「分かった!」
 マリーが頷いたのを確認しクロハはまた吸血鬼の女に向かっていく。 マリーは皆の無事を祈りつつ、密かに持ってきていたナイフを片手に行く末を見守る。
「セト…………。」
 アヤノが必死に言葉をかけるセトの血のような瞳と凍てついた表情を見て拳を握る。 セトのあんな表情は初めて見たから、そんな表情をさせている吸血鬼に怒りが湧いてくるのだ。
 首元に巻かれたレースのリボン、その下にはきっと傷があるのだろう。 そして、きっと心にも。
「……絶対に助けてみせるんだから。」
 セトにはいっぱい助けてもらったから、だから今度は私が彼を助ける番だ。 しかし、そう簡単にはいかない。
「くっそ、おいっヒヨリ! 避けろ!」
 力及ばずすり抜けていった女吸血鬼が狙ったのはヒヨリ――いや、ヒビヤだ。 間一髪で避けたヒヨリははっとしてヒビヤの方を向く。 ヒヨリが手を伸ばすけれど時既に遅く、吸血鬼の女はヒビヤを押し倒している。
「なっ、ヒビヤから離れなさいよ!」
 必死にヒヨリが吸血鬼の女とヒビヤを話そうとするが力が及ばない。
「うるさいわよ小娘っ私は今忙しいの!」
 そう言い吸血鬼の女はヒヨリを突き飛ばす。
「ヒヨリっ大丈夫か!」
 クロハがそう叫んで駆け寄ると、ヒヨリは悔しそうな表情をしながら押し倒されて血を飲まれるヒビヤを見ている。
「クロハっ、お願いヒビヤを助けて!」
「あ、ああ!」
 ヒヨリの言葉に慌てて頷き、女吸血鬼に向かっていく。 女吸血鬼はクロハのほうを向いてにやりと笑う。
「私は負けない。 坊や達は絶対に渡さないんだから! 死ねぇええ!」
 吸血鬼の女が繰り出した攻撃を間一髪で避けたクロハは冷や汗をかきながら、ちらりとヒビヤの方をみる。
 先ほどの攻撃を仕掛けたことで注意がヒビヤからそれたのか、ヒヨリはヒビヤを一生懸命に抱えて壁際へと退避させていた。 ふぅ……と、安堵の溜息を吐いて立ち上がる。
「このクソアマ……人が受け身に回ってりゃつけ上がりやがって……」
「私は気高い純血種の吸血鬼よ。 たかが蛇如きに倒されてたまるもんですか!」
「気高いだぁ? 変態の間違いだろうが。 てめぇみたいな……人間を食料としか思ってねぇクソ変態になんか俺は負けねぇんだよ!」
 自分で言っていてブーメラン加減がひどいと思ったがそれは今突っ込むのはナシの方向で頼む――と、誰かに言い訳しつつ、近くにあった椅子を吸血鬼の女に向かって投げた。
「案外原始的な方法で攻撃するのね、貴方。 それともそういう攻撃しかできないのかしら?」
「魔法なんざに頼ってるアンタに言われたかねぇな。」
「あら、使えるものは使う――それの何がイケナイの?」
「使うのは良いが、弾切れになっても知らねぇぜ? 魔法は無限の力じゃねぇことくらい知ってるし、それは血をのむという行為じゃどうにもならねえんだろう?」
「――っ」
 息を飲んだ吸血鬼の女にニヤリとして、間合いを一瞬で詰めて押し倒し彼女の身体を押さえつけながらクロハは叫んだ。
「マリー!」
「うん!」
 必死にクロハが女吸血鬼を抑えアゴを力強く押して強制的に口を開かせている。 このチャンスを逃す手はない。 マリーは必死にナイフを片手に走ると、女吸血鬼の顔を見てニヤリと笑った後ナイフで左手の指先を切った。
 クロハを振り切ろうと暴れるけれど、彼の力は予想以上に強かったのだろう振り払えずに恐怖に歪む吸血鬼の女に私は驚くほど同情といった類の感情が湧いてこない。
 口の中に入っていくマリーの血。 完全に飲み込んだのを確認したクロハはやっと吸血鬼の女を離す。
 苦しむ吸血鬼の女は吐血しながら、マリーを睨んだ。
「まだっ、まだよ! あの子の、伸太郎の血さえ、あればっ!」


 苦しい。 まるで血の中をウジ虫が這い回っているような感じさえする。 なるほど、こうして同僚たちは死んでいったのだろうか。 苦しいはずだ。
 でも、このまま死ぬ訳にはいかない。 私が、この誇り高き純血種の吸血鬼がこんな餓鬼共に、こんなあっさりと負けるなんてことあっていいはずがない。
「そう、そうよ――っ、どうせ私はもう死ぬことになる……なら、殺さないようになんて配慮いらないわよねぇ?」
「おい、てめぇ何考えてやがるっ!」
「――如月伸太郎、自害しなさい。 ナイフで喉を切り裂き、その血を私にささげなさい。」
 そう言って吸血鬼は隠し持っていたナイフをシンタローに向かって投げる。 
それをシンタローは受け取り、止めようとするアヤノを突き飛ばしてナイフを首に当てた。
「なっ、ふざけっ……」
「――クロハ、シンタローを絶対に止めて。 後は私がなんとかする。」
 いつもより声のトーンが低いマリーの様子に、はっとしたクロハは頷いてシンタローの方へと向かった。 マリーはそれを見送って、ふらふらな様子の吸血鬼の女に近づいていく。
「いい加減にしろ。」
 そう言うと、女の髪の毛を掴んで持ち上げて自分と向き合わせる。 はっとして、目を瞑ろうとするがもう遅い。 マリーの瞳が赤くひかり、吸血鬼が固まるまで一秒もいらないからだ。
「そんなに血が欲しいならあげる。 血が、欲しいんでしょう? のみなさいよ、ほら。」
 そういって、マリーは再びナイフで指の先に傷を付ける。 今度は先程よりも少し大きい傷だ。 固まってしまった吸血鬼はそれを拒むことはできない。 無常にも口の中に入っていくマリーの血に、能力が解けた吸血鬼は目を見開いて咳き込む。 しかし、入ってしまったものはもうどうにもできない。
「い、いやっ、死にたく、ない、死にたく……な、」
「今までさんざん命を弄んでおいて、自分は死にたくないんだ? まあ、そうだよね。 でもね、誰もアンタを助けてなんてくれないよ? だって、アンタがそうなったのは他の誰でもないアンタのせい。 そう、自業自得――だからね?」
 そう言って笑うマリーに、血を吐いてしまった吸血鬼は初めて恐怖という感情を覚えた。
「私達の大切な人を狙ったのが運の尽きだったね。 サヨウナラ、吸血鬼さん。」
「か、ゆ、かゆい、かゆいい!!」
 体中をウジ虫が這い回っているような感覚。 全身が痒くて、痒くて、ソレハもう痒さを通り越して痛みそのものだった。
「いやああああああああああああああああ!」
 ひときわ大きい声が響き渡り、目を見開いた吸血鬼の身体はひび割れていく。 やがて、動かなくなった吸血鬼の身体は形を失ったように灰となって崩れ落ちた。
 それが合図となったように操られていた男子たちの動きがピタリと止まる。
 そして、彼らの首元や目元に巻かれていた黒いレースのリボンも消えていく。 それを見届けたクロハは安堵の溜息を着いて、倒れたシンタロー達に目を向ける。 彼女の魔力が消え、リボンも失った彼らの首元からはぽたりと血が滴ってはいたが、あの調子ならばすぐに止まるだろう。 どうやら彼女が死んだから毒素も無効化されたらしい。
「あとはあいつらをどう下まで運ぶか……俺が運べるのは精々二人だぜ? でけぇの二人は勘弁な。」
「……うーん、ヒビヤくんなら私達でも運べそうだけど遥さんやシンタローは流石に私達じゃ……。」
 そう言って溜息をつくアヤノを尻目に、何かの物音を聞いた貴音は立ち上がって玄関の方へとかけていった。 玄関を開けた先にはシンタローたちを見てくれていた医者とあと二人の男性が立っている。
「よかった、無事だったんだね!」
 安堵したように溜息をつく医者にポカーンとしてしまっていた貴音ははっとして医者に言う。
「むこうに遥達がいるの!お願い、助けて!」
「あ、ああ! じゃあみなさんお願いします!」
 医者が後ろにいた男性二人に向かって頷くと走って洋館の中へと入っていった。 貴音は医者の後ろを追いかけながらなぜ此処へ来たのかと医者へ問いかけている。
「町民達に話を聞いているうちに、君たちのことが心配になってね。 あんな状態の男の子達が山を自力で降りれるとは思えないし、だから力のある友人を連れて此処へやってきたんだ。 吸血鬼はどうなった……?」
「吸血鬼の女はなんとか倒せました……」
「そうか、それはひとまず安心だな。 あとは我々医者の仕事だ。任せておきなさい。」
「はい!」
 処置道具を持ってきていた医者は、素早く男子たちへ駆け寄り順番に処置をしていく。 ある程度の処置が終わり、一息ついた一行はやっと山を降りる準備を始めた。


 それから数時間後、なんとか無事に山を降りられた一行はひとまず宿へ寄るとそこには島の漁師の方が申し訳無さそうに待っていた。 どうやら彼は吸血鬼についての話を知っていて黙っていたのだそうだ。
 漁師の方の持つ漁船に皆して、付き添いの医師とともに乗り込むと船の操縦をしながら真実を話してくれた。

 どうやらあの島に住んでいた吸血鬼は昔死にかけた状態で島に流れ着いたのを当時住んでいた人が助けたことから放置されていた山の上の洋館に住み着いたようだ。
 住み始めた当初は島の住人たちも”吸血鬼”だとは知らず、ただの人だとおもっていたが、時が経つに連れて彼女の容姿が何一つ変わらないままだったことに疑問を持った住人たちは彼女に問うたそうだ。 一体何者なのだと。 そうして彼女は自信満々にこう、答えた。
「――吸血鬼、よ。」
 そういって笑う彼女の歯は牙がついていて、瞳も赤く毒々しい色となっていた。 そんな彼女に恐怖した住人たちは彼女を殺そうと何度も何度も襲ったがその度に軽くあしらわれてしまったのだそうだ。
 彼女はその日以降、村に住んでいた若者たちを襲い次々に殺していって、村の人達に要求した。 食事が足りないと。 村の人達をこれ以上襲わわせたくなければ、貴方達が外部から連れてくればいいと。
 そうして村の住人たちは定期的に何処かの街に福引の一等賞としてこの島への無料のチケットを差し出した。 そうしてやってきた旅人を生け贄に捧げることで住人たちは自分の身を守ってきたのだろう。
 今まで襲われた人たちは殆どの場合、一回で血を飲み干されてしまい干からびたような状態で発見されたそうだ。

 漁師の方が喋り終わると、一行は黙りこくってしまう。 あの優しい島の住人たちは、全て分かっていた上で私達に優しくしていたのだと、知ってしまったから。
 広めの部屋を用意されていたのも、異常なほど豪勢な食事も、すべてがその答えなのだ。 自分たちが助かる為に来てくれたのだから誠心誠意饗そうとでも思っていたのだろうか。
 だとしたなら、私達はあの住人たちに対して声を大にして叫ぶだろう。 ”ふざけるな”と。

「なによそれ、人の命を何だと思ってんのっ!」
 ヒヨリが起こったように拳を自分の膝に叩き込む。 鈍い痛みが広がる中、優しかった島の人達を思い出して舌打ちをした。
「――言い返す言葉がないよ。」
 そう言う漁師の方は、心底申し訳無さそうにただ黙って船を操縦している。
「あの島の人達、信じてくれなかったね……吸血鬼はもういないって……」
 マリーが遠ざかっていく島を見ながら悲しそうに呟いた。 それを聞いた貴音は少し怒りのこもった声で言い放つ。
「ほっとけばいいわあんな島のあんな人たちのことなんか。 もう二度と行くこともないでしょうし。」
「……もういないのに、彼らは吸血鬼におびえて暮らすんだね。」
「あんな年寄りだらけの島じゃ、山の上までは登っていけないだろうから恐らくそうなんだろうな……。」
 無表情でそう呟くアヤノに、答えるキドもまた遠ざかっていく島を眺めていた。 ふと視線を今だ目を覚まさない彼らを見つめた。



 その後大きい病院に運ばれたシンタロー達は、輸血のおかげもあり回復に向かっている。 運ばれてから2日後、最初に目が覚めたのはカノだった。
「うう、気持ち悪い……」
 目覚めてからというもの、カノは貧血らしく血が足りないとベッドに突っ伏している。
「大丈夫か?」
 心配そうに背中をさすってあげるキドに小さくお礼を言いながらもカノは弱々しく言う。
「だいじょばない……気持ち悪い……」
「――ねぇ、修哉。 聞いても、いい……?」
 そんな気持ち悪そうにしているカノにアヤノは近づいて真面目な表情でカノを射抜いた。 そんな瞳を受けたカノはあ目を伏せて口を開いた。
「正直、あまり覚えてないんだよね。 ……最後に覚えてるのは、宿で襲われた時の事かな。 それ以降の記憶はあまり……。 ……なんか、一回起きたような気がするんだけど曖昧なんだよ……。」
「そっか……。 とりあえず、無事でよかったよ……本当。」
「助けてくれてありがとう、皆。」
 そう言って笑うカノに少し違和感を持ったキドとアヤノは顔を見合わせる。
「とりあえず、さ。 細かいことは落ち着いたら話すから、今はそっとしておいてくれない? 皆まだ目覚めてないみたいだし。」
「……そうだな、カノも気分悪いみたいだから今日のところはゆっくりと安め。」
 そう言ってフォローを入れるキドに、曖昧に笑うカノを見たアヤノは何かを察したように口を開いた。
「今日のところはホテルに帰ろうか。」
 笑うアヤノに皆は頷いて立ち上がり、帰る準備を始める。 帰り際、カノのいるベッドの端にいたキドが立ち上がると口を開いた。
「そうだな、じゃあカノ俺たちは帰るから。」
 そういって立ち上がって出口へと歩き出そうとしたその時の事、キドは上着を後ろから誰かに控えめに引っ張られていることに気がついて立ち止まり振り返る。 そこには前髪で表情は見えなかったけど、確かに自分の服の裾をつかむカノの姿があった。
「……俺はもう少し残る。 だから皆は先に帰っていてくれ。」
 その輝度の言葉にアヤノは頷いて、黙って部屋を出て行った。 残された俺は、近くにどかしていた椅子を寄せてそこに座る。 互いに黙りこくってしまう中、最初に口を開いたのはカノだった。
「ごめん、帰るとこだったのに。」
「いや、別に良いさ。 ホテルはこの病院の反対側だし、帰るにもそんなに時間はかからん。」
「……ねぇ、キド。」
「なんだ。」
「ちょっと手、握ってくれない?」
「……ああ。」
 短く返事をしたキドは黙ってカノの手をにぎる。 不安からか、カノの手はとても冷たくて少し震えていた。
 互いに何も言わない、ただ手を取り合うだけの時間が過ぎていく。 物音一つたたない中、キドはようやく口を開いた。
「――なぁ、カノ。」
「…………なに?」
「もうちょっと素直になったらどうだ?」
「……。」
 キドの言葉にカノは黙る。 それを見たキドは付け足すように言葉を紡いだ。
「今なら俺しか聞いてないぞ。」
「……今はちょっとさ、人肌が恋しいっていうか。 ずっと冷たいところに居たような気がして……一人になるのが今はすごく怖いんだよね。」
カノはそう言ってキドの手をぎゅっと握り返す。
「……そうか。 俺で良ければ気が済むまでそばに居てやるさ。 ゆっくりすればいい。」
「本当、キドのそういう所イケメンだよね。」
「嬉しくない。」
「あはは。 ……キド。」
「なんだ?」
「あのね、ずっと冷たい場所に居たってさっき言ったでしょ? その時に聞こえてきた気がするんだよね。 キドの声。」
「……。」
「その声があったから、またこうしていられるんだって、そう思うんだ。」
「届いたなら良かったさ。 必死に呼んだからな、お前の名前。」
「……敵わないなぁキドには。 いつもそんなキドに救われてた。 きっと今も。 ……だから、ありがとう。」
「もっと頼ってくれていいんだ、兄妹なんだからな。」
「……そうだね。」
 そう言って笑うカノの顔は先程よりも明るい気がした。 そんな様子の彼に安堵して、キドは飲み物に手を付ける。
「首の傷、痛くないか?」
「え? ああ、これ……まあ、痛くは無いよ。 傷自体はもうふさがりつつあるんじゃないかな。」
 首に巻かれた包帯に手を掛けながらカノはそう無表情で答える。
「……痛くないならいい。」
 そうとしか口から出て行かない。 無力な自分を呪いつつキドはもう片方の手をカノの手に載せると、日が暮れつつある空を見上げた。


 一方、ホテルに帰ったアヤノ達はとある疑問をヒヨリにぶつけた。
「ねぇ、クロハはどうしたの?」
「そういえば見当たらないね。」
 アヤノの問にマリーは辺りを見回しながらクロハを探すが、彼は見当たらない。
「目が覚めて自分が居たらびっくりするだろうって言ってたからそこら辺ぶらついてんじゃない?」
「まぁ、確かに……。」
 貴音が心底納得したように笑う。 つられて皆も笑うと、辺りは和やかなムードが広がった。 しかし、その和やかなムードも長くは続かずに皆はまだ目覚めていない皆のことを心配して黙りこくってしまったからだ。
「修哉……大丈夫かなぁ。」
 弟のことが心配なアヤノが窓から見える病院を見つめて呟く。 そんなアヤノの隣に静かに立って肩に手を置いた貴音はアヤノと同じ方向を見つめて口を開いた。
「大丈夫、キドが残ってるんだしどうにかなるわ。」
「そうですね……。 ちゃんと、本音を出せたらいいんだけど……。」
 本音をいつも隠してしまう。 たった一人で悩んで傷ついてしまう、そんな弟の心配をするアヤノに貴音は微笑んだ。
「アヤノちゃんそれ人のこと言える?」
「えっ!? な、なんでですか!?」
「いっつもニコニコして、本音隠して、カノはそういう奴だけど、アヤノちゃんだってそれは同じだってこと。 本当、似たもの同士よねぇ。」
 ニヤリとした貴音に目を丸くしたアヤノはまじめに考えこんでしまった。
「そ、それは初めて言われました……えっ、私と修哉って似た者同士……!?」
「……まぁ、それはアイツにも言えるけどね。」
 そう言って貴音は目を細めて、とある日のことを思い出していた。 エネの時にも打ち明けなかった本音をアイツが初めて白状した時のことだ。 一緒に過ごした時間はそれなりに長かったはずなのに私は知らなかった。 やはり本音は言葉にしないと相手には伝わらないのだ。
「……そうさせてしまったのは私のせいですねきっと。 シンタローは、本音を打ち明けられるような相手があまりいなかったですから。」
「そうね、その本音を打ち明けられるような相手が私達で、それを失ったアイツは本音を言うという行為自体ができなくなった……」
「だから、私はシンタローがもうそういう苦しみを抱かなくていいようにそばに居たいんです。」
 アヤノがそう呟いた時のこと、彼女のスマートフォンが音を立てた。 慌てて画面を確認すると、どうやらキドからの着信のようで、慌ててアヤノは電話に出る。
「もしもし、つぼみ? どうしたの? ……え? 幸助が目を覚ました?! 分かった、今からまた病院行く!」
 どういう電話なのかはアヤノの言葉を聴けば分かるが、どうやらセトが目を覚ましたらしい。 その言葉を聞いたマリーは素早く準備を始めた。

 それからすぐにホテルを飛び出して再び病院に言ったアヤノ達は、目が覚めたセトと対面することができていた。 しかし、カノ同様すごく気持ち悪いらしく、顔色はよくない。
「セト……大丈夫……?」
 マリーが心配そう表情を歪めながらセトの顔を覗き込む。 セトはそんな彼女に手を伸ばそうとして、手をあげるが何を思ったのか彼女を触る事無くその手は再び降ろされてしまった。 そんな彼をみて、マリーは微笑みながらその手をとって自分の頬に当てる。
「セト、無事でよかった。」
「マリー……。」
「今は無理せずにゆっくり休んでね。」
「……。」
「いつもどおりじゃなくていい。 辛いなら私が側にいるし、話したくないなら話さなくてもいいから……でも、独りで溜め込むのはやめて。 壊れちゃうよ。」
 いつも奥手のマリーがセトの心情を察して積極的にセトに絡みに行っている。 こういうことを察せて行動に移せるマリーはつくづく年長者だと思い知らされるようだ。
「ありがとうマリー。」
 ようやく笑ったセトに安堵したように笑うマリーに、アヤノはようやく彼に近寄っていく。
「幸助、平気?」
「まあ、体調は万全じゃないっすけど、大丈夫っす。」
「そっか。 よかった……。 心も身体もゆっくり休めてね。」
「そーするっす……。 そういえばこの様子じゃ、カノ以外はまだ……?」
 アヤノの言葉に答えながら病室内を見渡すセトは心配そうに表情を歪めた。 因みに今カノは寝ているらしくベッドの周りをカーテンで仕切りながら熟睡しているようだ。
「そうなの……。 ヒビヤくんと遥さんとシンタローはまだ……。」
「そーっすか……心配っすね……。 特に、シンタローさんは……。」
「……ねぇ、幸助もしかして少し……記憶ある……?」
 アヤノが悪いとは思いながらも問いかける。 するとセトは目を見開いたあとに、そっと目をそらした。
「まぁ、それなりに。 ……あの屋敷に監禁されていた間のこともすこし、分かるっす。 多分、言わないだけで……カノも、皆も。 ……でも、言葉に出そうとすると、怖くなって、それで、」
「セト、もういい。」
 手が震えてきたセトに抱きついて首を横に振るマリーに、セトは縋るように顔を寄せる。
「――ごめんね、セト。 私達が無知なばっかりに……。」
 そのマリーの言葉にセトは首を横に振るとマリーだけに聞こえる音量でぼそっと言う。
「助けてくれてありがとう。」
 しっかりとしたその声に、マリーは少し安堵しながら頷く。


 その後、セトは気分が悪いのかカノ同様眠りについてしまった。 そんな彼を見守るマリーはふと心配そうにシンタローの方を向く。
「……。」
 彼女のそんな様子に気がついた貴音は近寄ってマリーの肩に手を置いた。
「どうしたの?」
「……私のせいで、シンタロー苦しめたんだなって。」
 私が彼に上げた能力のせいで彼は夜な夜な夢でうなされて、そして今度の事件も元はといえば私のせいで彼は目をつけられたのだ。
「クロハも言ったけど、シンタロー自身が望んだことよ。 マリーのせいじゃない。 それに、今回の事件はアンタだけのせいじゃないの。」
「……それでも、すこし思っちゃうんだ。 ずっとずっとシンタローに苦しみを背負わせていた。 私は全て忘れて、シンタローにだけ押し付けていたんだなって。」
「……シンタロー以外は皆ループの間の記憶はないものね、私達だってそう思うわ。」
「分け合えたらなんて思うけど、きっとそれはシンタローが許さないんだよね。 優しいから。」
「…………そう、だね。 シンタローってすごく優しいんだよね。」
 会話を聞いていたアヤノが拳を握りしめて呟く。
「シンタローだけじゃない、修哉も、幸助も、遥さんも、ヒビヤくんも、皆優しすぎるから、絶対に私達のせいだって言わないんだ。 今回の事件、あの時私達がもっとつよく言い聞かせて止めていたら、もっと変わって居たかもしれないのに。」
 あの時、きっと気分が悪かったはずなのに山を登らせたのは私達の罪。 あの時はもう意識はあの吸血鬼の配下にあって強制的に身体を動かされてる状態にあった彼らをもう少し強く言い聞かせて止めていたら、もっと私達がちゃんとしていたら。
「はいはい、この話は終わり。 私達が元気をなくしてたら起きた遥達に心配をかけるでしょ。」
 貴音が気分を入れ替えようとそう控えめの声で言うと、マリーもアヤノも頷いた。

 次の日、再びお見舞いに訪れた私達を迎えたのは目が覚めた遥だった。 彼は今日の朝早くに目が覚めたらしく医者に一通りの処置をされた後私達が来るだろうとふんで待っていたらしい。
「……ヒビヤくんは、まだ……?」
 最初に気にしたのはヒビヤのことだ。 恐らく、あの時守れなかったことを悔やんでいるのだろう。
「ヒビヤはまだ目が覚めてない。 ……でもきっと、大丈夫。 もうすぐ目が覚めるだろうってお医者さんも言ってるし。」
「シンタロー君は……?」
「……シンタローはいつ目が覚めるかお医者さんも分からないって言ってる。」
「そっか……。」
 遥の顔色はすぐれない。 気分が悪いのもあるだろうけれど、きっと二人のことが心配だからだろう。
「……ねぇ、遥。」
「どうしたの?」
「私ね、あの時遥の声が聞こえたんだ。 私の名前を呼ぶ、遥の声。 なのに私、遥を助けられなくて、ごめん。」
「……そっか、届いてたんだ僕の声。」
「遥、お願い。 お願いだから、本音を隠して笑うのはやめて。 私に本音を見せて欲しい。 苦しいなら苦しいって言って欲しいんだ。 もう、遥の嘘の笑顔なんてみたくないの。」
「……守らなきゃって思ってたんだ。 もう僕しかヒビヤくんを守れる人は居ないからちゃんと守らないとって……でも僕なんかじゃ全然。 まったく刃が立たなかったよ。 それが一番悔しい。」
「……そっか。」
「貴音、あのさ一つだけお願いがあるんだ。」
「なに?」
「―――――もいい?」
「……うん。」
「ありがとう。」
 そういって笑う遥は貴音にそっと手を伸ばした。


 いい雰囲気の二人を見守りながらアヤノはシンタローの手をぎゅっと握る。 もうしばらくシンタローの声を聞いていない気がして、必死に彼の声を思い出そうとしていた。
 そんな時、遥の声が隣から聞こえてきた。
「……ねぇ、クロハ此処に呼んでくれる? 大丈夫、みんなわかってるから。」
「アヤノちゃん、聞いてた?」
「はい、聞こえました。」
「事の顛末、しっかり話さないとね。」
「……そうですね。」
 真実を話すことはできればしたくなかった。 しかし、本人たちが望むのであれば話さなくては行けないだろう。 カノとセトも同じ意見らしく、彼に会わせて欲しいと口をそろえていった。 なぜクロハが助けてくれたとわかっているのだろう。
 その問に答えたのはカノだった。
「……うろ覚えなんだけど、助けてくれたっていう記憶があるんだよ。 まぁ、僕としたら本当に不本意なんだけど、助けてくれたんだからお礼言わないとね。 本当に不本意なんだけど。」
 本当にお礼を言うのは嫌なのだろう、しかし、カノは貸しを作るのがいやらしくお礼はちゃんと言っておきたいらしい。 相手が誰であれ。
「まぁ、シンタローさんとヒビヤくんが目が覚める前に真実は聞いておきたいってのはあるんすよねー。 うろ覚えだった時のこと。」
「……大丈夫?」
「大丈夫っすよ。」
「ムリだけはしないでね……?」
 セトに釘を差すようにマリーは手を握って言う。 そんな彼女に笑いかけて頷くセトをみたヒヨリは頷いて部屋を出て行った。
 数十分後、ヒヨリはクロハを連れて病院へと戻ってきていた。 なかなか病室へ入りたがらないクロハにしびれを切らしたのか、ヒヨリがクロハの足を蹴っ飛ばして入るように促す。
「早く入りなさいよ、じれったいわね。」
「う、うっせぇな。」
「入れ。」
「……はい。」
 諦めたのかやっと扉を開けて入っていくクロハをみて満足したのか、ヒヨリはその後を続いて入っていく。
 一斉にクロハに集まる視線、クロハは冷や汗をかいて目を盛大にそらしている。
「お、おう、久し振り……?」
「なんでアンタどもってんのよ。」
 貴音が突っ込みを入れると、遥達はくすっと笑う。 そんな彼らの様子に安心したのかクロハはため息を吐いて口を開いた。
「……とりあえず、お前らは一体どこまで覚えてるんだ?」
「あの島に来てから襲われるまでの記憶と、それと屋敷に居た時の記憶がすこし。 あとはまぁ……察して。」
 最後の方は少し小さめの声で、カノが答える。
「なるほどな……。 まあ、お前らもだいたい察しはついているだろうが、お前らは自分の足で館に行ったんだ。」
「まぁ、そうだろうねぇ。 あの吸血鬼さんは独りだったし流石にこの人数を攫うのはムリがあるし。」
「おい、鹿野修哉お前一回館で起きたんだろ?」
「え、ああ。まあ……。」
「俺それ一部始終見てたぞ。」
「え……っ、はっ!? ちょ、わ、忘れろ!!! 絶対に忘れろ!!」
 赤面しながら睨みつけるカノにニヤリとしたクロハは得意気に口を開く。
「どうすっかなーっ」
「くっそ、お前まじ死ね!」
「おもしれぇやってみろよ!」
 言い合いのようになってきたカノとクロハの間に割って入り睨みつけたのはヒヨリだ。 彼女はたった一言、名前を呼んだ。
「クロハ。」
「――はい。」
「いいかげんにしろ。」
「すいません。」
 一瞬にして静かになったクロハに目を見開きつつ、カノは信じられないものを見るような目でヒヨリを見つめる。 そんなカノにヒヨリは向き直って口を開いた。
「カノさんも、ここは病院です。 その発言は不謹慎すぎます。」
「す、すいません……。」
 ヒヨリのオーラに思わずカノは謝ってしまう。 数秒静寂が続いてはっとした様子のカノがヒヨリとクロハを交互に見て口を開いた。
「まって、なに、二人はどういう関係なの? っていうか、気持ち悪いんだけどなんでアイツあんなスンナリいうこと聞いてんの?」
「飼い主とペット。」
「その言い方やめようぜいい加減……」
「なんか文句あるの?」
「いいえ。」
「なら良し。」
 セトとカノと遥がすごく不思議な様子で見つめているのが分かると慌ててヒヨリが口を開いた。
「私の能力は冴える。 ――あとは気合でなんとか復活させた感じです。 それでなんか恩義を感じているらしくて私の命令には絶対に逆らわないんですよ。 まぁ、あれです。私のペットで雑用係でセコムですね。」
「へ、へぇ……」
「なんかヒヨリさん最強っすね……」
「た、確かに……。」
 冷や汗をかきながらカノとセトと遥が盛大にヒヨリから目をそらす。
「とりあえず、そういうことでこれからクロハをよろしくお願いします。 どうぞこき使ってやってくださいね。」
「ちょ、お前なに余計なことをっ」
「――アンタが何をしてきたかに比べればこのくらい安いものよ。 でしょう?」
「……。」
 ヒヨリの言葉に言い返す事ができないクロハに、カノは吹き出した。 そんなカノを睨みつけるクロハを見てキドは思う。

 なんやかんやでこの二人は仲良くなれるんじゃないのかと。
 まぁ、本人たちは絶対に認めないんだろうけど。
「キド、どうかした?」
 そういって首をかしげるカノに微笑みながら口を開いた。
「いや、なんでも。」
「へんなの。」
 少しずつ元気になってきた皆に安堵を覚えつつ、まだ起きていない二人のことを考える。 あと二人が目覚めてくれたらきっと全てが元に戻るような気がするのに、と。
「まぁ、焦る必要はないか。」
 きっと時間ならあるのだから、焦る必要はなにもないのだ。 時間をかけて取り戻していこう、全てを。

 その日はお見舞いもそこそこにホテルへと帰った。 そして夜もふけった頃、アヤノのスマートフォンが音を立てる。 その電話に出たアヤノは目を見開かせて何やら返事をして電話を切ると、ヒヨリをみて笑う。
「ヒビヤくん、目が覚めたって。」
「本当?!」
「うん! だからヒヨリちゃん、病院へ行こう。 私が付き合うから。 皆は休んでて!」
 アヤノの言葉に貴音は頷いた。 それを確認したアヤノはヒヨリとともに部屋を後にする。

 数十分後、再び病院へやってきていたアヤノとヒヨリは病室の前で立ち止まって息を整えていた。
「ヒヨリちゃん、大丈夫?」
「うん、ちょっと緊張するだけ……。」
 そんな様子のヒヨリに微笑みながらアヤノはぽんと背中を押す。 すると、ヒヨリはそんなアヤノに頷いて、扉の取っ手に手を伸ばす。
 ゆっくりと開かれた扉、今の時間他の皆はもう休んでいるようで部屋は静かだった。 そんな室内で一箇所だけ明かりの灯されたベッドがある。 ヒヨリはそのベッドにゆっくりと近づいて行くと、カーテンを静かに開けた。
「……。」
 その先に見えた光景に途方も無い安堵を覚えたヒヨリは涙ぐみながらも笑う。
「ヒヨリ……」
「よかった、目が覚めて……。 ずっと心配してたんだから!」
 耐えられなくなったのかヒヨリはヒビヤに抱きついて、涙を流してしばらくそのまま動かなかった。
「ごめん、ごめんねヒビヤ……私、ヒビヤのこと護るっていったのに……。」
「そんな、こと……ヒヨリは十分僕達を守ろうとしてくれてたよ……。 ただ、相手が悪かっただけ……。」
 抱きついたまま涙声でそういうヒヨリに、ヒビヤは戸惑いがちに彼女の背に手を回して擦るように動かすと、口を開いた。 そんな彼の言葉にヒヨリはすこし力を入れて抱きしめて彼にだけ聞こえる音量で言う。
「そうだとしても、でも、悔しい。 あんな、小汚い女に………。 ごめんね、怖い思いしたよね。」
「怖かった、けど……でもね、暗い世界の中でさ迷ってた時ヒヨリの声が聞こえたんだ。 僕にとってはそれは太陽みたいなもので、その声があったから迷わずにいられた。 ありがとう、ヒヨリ。 助けてくれて、嬉しかった。」
「……私もう、あんな思いするのは嫌。 だから、アイツの言う通り素直になってやるわ。 ――ヒビヤ、今から言うことは一回しか言わないからよく聞いて。 私は貴方が好き。 ずっとずっと言おうと思ってた。 ずっと気になってた。 でもね、私意固地になって素直になれなくて、ずっとヒビヤに嘘を吐いていたんだ。 でも、もう終わり。 あの事件があって目が覚めた。 やっぱり言葉にしないと伝わらない。」
 私のつよがりでヒビヤを散々傷つけただろう、しかし、それでもヒビヤは私の為にいつも行動してくれてた。 ヒビヤはいつも私を一番に思ってくれていたのだ。 それが、堪らなく嬉しかった。
「……僕も、ずっとずっとヒヨリが好きだよ。 僕の中の一番はいつも君だった。 モチロン、今も。」
「知ってる。」
 そう、ヒビヤはいつも私に好きだと言ってくれてた。 素直じゃない私はそれが嬉しかったのに答えてあげられなかったんだ。
「ねぇ、ヒヨリ。 一つだけお願い聞いてくれる?」
「……なに?」
「――あのね、退院できたら改めて君に告白してもいい? この状況じゃカッコ付かないし、それにね、この休みに告白しようとおもって準備もしてた。 だから、それ、最後までやらせて?」
「……分かった。 待ってる。」
「ありがとう。」
 そう言うとヒヨリは頬を赤らめながら可愛く笑う。 いつもとは違う彼女の素直にな笑みに、ヒビヤは顔を赤らめてしまった。

 初々しい様子の二人を尻目に、アヤノは静かにシンタローの寝ているベッドに近づいていく。 未だに目覚めない彼の手を握ってアヤノは祈るように呟いた。
「シンタロー、お願い、お願いだから……早く、帰ってきて……私を、一人にしないでよ……。」
 寂しい、辛い。 他の皆の様子を見るたびにどうしようもない想いがこみ上げてくる。 もうずっと君の声を聞いていない。 もうずっと、君の不器用な笑みを見られていない。
「どうして、どうしてよ……やっと、シンタローと二人で楽しく居られるって思ったのに、なんで、奪うの……。」
 もう耐えられない。 こんな痛みを彼はずっと耐えてきたのだろうか。 耐えられなくなって、自分を傷つけながらも辛うじて生きてきたのだろうか。
「……。」
 こんな想いにずっと耐えていたのだとしたら、私はどうしようもない愚か者だ。 彼にこんな想いを長年背負わせておいて私はこんな短い期間でも耐えられていないんだから。
「ごめんね、シンタロー。 もう、間違えないから、君の傍を離れたりなんてしないから、だから、早く……。」
 そう言ってまた涙した時のこと、カタンと音を立てて私の背後に立って優しく肩に手をおいた存在が居た。 ばっと振り返るとそこには彼の妹のモモちゃんがいて、はっとして慌てて涙を拭う。
「アヤノさんにそんなに思われて、お兄ちゃんも幸せですね。」
「……どうして、」
「だってアヤノさん、ずっと笑ってたから心配で……。」
「モモちゃん……。」
「アヤノさん、私達も頼ってくれていいんですよ。 私一人じゃ微力だけど、皆が居るんだから。 一人で悩まなくてもいいんです。」
 モモが笑いかけて、アヤノを抱き寄せた。 彼女の暖かさに涙ぐみながら縋るようにアヤノはすすり泣く。
 そうして互いにすすり泣くこと数分、やっと落ち着いたアヤノはそっとモモから離れて笑う。
「ありがとう、モモちゃん。 スッキリした。」
「いえ、こちらこそありがとうございます。 ――お兄ちゃんならきっと大丈夫です。 時間は掛かってもきちんと私達の元へ帰ってきてくれる。 私はそう信じてる。」
 そういうモモにアヤノは輝く太陽のような強さを感じた。 想えば彼女はいつも笑顔を絶やさずに、私達の側に居たんだ。 皆が辛くて、泣きたくなった時でもただ一人強い意志でみんなを笑顔にしてきた子。
「……モモちゃんは強いね。」
「そりゃまあ、アイドルですから。」
 皆を笑顔にするのが私の仕事で、生きがいだ。 私の笑顔で皆が救われるのなら私は笑顔でいようと、そう決めたんだ。 あの時、メカクシ団に助けられてから。
「……帰ろうか。」
 アヤノがそう言って荷物を持つとモモも同様に帰り支度を始めた。 病室をでる前、一度だけシンタローの方を振り返ったアヤノは声に出さずに口の動きだけで、シンタローに伝える。
「また、明日くるからね。」
 目を覚ますまで、なんども彼の元へと足を運ぼう。 私が諦めちゃだめだ。 シンタローを信じて、私は彼の帰りを待っていなくちゃならない。 いつ目が覚めても良いように、笑顔でいよう。

「待ってる、ずっと。」


 それから少し時は経ち、ヒビヤが目覚めてから4日が経とうとしていた頃
唐突にそれは起こった。 スマートフォンへ連絡が入り急いで病院へ向かった私達は、病室へ着くなりシンタローの寝ているはずのベッドへと目を向ける。 するとそこに居たのは目元は前髪で隠れて見えないけれどしっかりと医者の言う言葉に受け答えをするシンタローの姿があったのだ。
「ではシンタローさん、何かあったらナースコールで呼んでくださいね。」
 そう良い医者は去っていく。
 少しの静寂が漂う中、窓際に佇んでシンタローの様子をじっとみていたクロハはチッと舌打ちをしてシンタローへ近づいていった。
「おい。」
 クロハの少しイラッとしたような声が響いて、私たちはビクッと肩を震わせた。
「……クロハ?」
「ヒヨリ、スマンが少し黙っててくれ。 俺はコイツにようがある。」
「で、でもシンタローさんは病み上がりだし……。」
「乱暴はしねぇよそれに、」
 その次にクロハの口から発せられた言葉に病室がしんと静まり返った。 ヒヨリが慌てて口を開く。
「え、それ、どういう事……? クロハ、一体何をいってるの!?」
「――そのまんまだよ。 今のコイツは如月伸太郎じゃねぇ。 ったく、クセェんだよ! 同族の匂いがプンプンしやがる。」
 そんなクロハの攻めるような言葉に答えたのは良く知ったシンタローの声、しかし、いつもとは少し違う彼の声。
「まったく、野蛮だなぁ。 ここが病院の、しかも病室であるってこと忘れてないかい君。」
「……おい、どういうつもりだてめぇ。 なんで表に出てきてやがる。 ちゃんと説明しろ、焼き付ける!」
「……ああもう分かった、ちゃんと一から説明するから襟をつかむのはやめてくれよ仮にもこの体は病み上がりなんだから。 それに周りが全く話についてきてないだろう?」
 はっとして周りを見回すクロハは一つ咳払いをして落ち着くと手短にあった椅子に腰掛けた。
「そうだねまずは自己紹介から……僕は如月伸太郎を主とする蛇、目に焼き付けるさ。 今は主が表に出ているとすごくめんどくさいことになるから暫定的に僕が表に出ているだけ。 理由は、そうだねすごく完結に言うと如月伸太郎は記憶喪失だから。」
「……へ?」
 間抜けな声を上げたのは誰だったか、それを確認している余裕は無く焼き付けるから聞いた言葉の意味を必死に理解しようとしていた。
「皆主の能力がどういうものか知っているだろう? 見たもの全てを記憶する力、さ。 そして誰か見ているだろう? 館での主の瞳がずっと赤い色だった、ってことを。」
 その言葉をきいてアヤノが立ち上がって呟く。
「ま、まさか、シンタローは全部、覚えて……」
「そう、如月伸太郎は無意識に発動していた能力によって館での出来事を全て把握している。 そう、全てをね。 だからこそその記憶に耐えられなくなって記憶を能力で封じてしまった。」
「……なるほどな。 だからてめぇが表に出てきてたってわけか。」
「その通り。 能力による記憶喪失だから医者ではどうにもならないのさ。 だからめんどくさいことにならないように僕が出てきてたってわけ。 今の主は自分の名前さえも分からない状態だからね。」
「そんな……。」
 アヤノが力を失ったように椅子に座り込んで顔を覆う。 そんな彼女をみて、慌てて焼き付けるが口を開いた。
「でも、このままでは居られない。 だから、僕がゆっくりとだけど時間をかけて主の記憶の扉を開けていくから……だから気長に待っていて上げてくれないかい? 主が全てを思い出す日を……。 僕も頑張るから。」
 そう言って笑う焼き付けるにシンタローの面影を感じて、アヤノは涙を流しながらも笑って頷いた。
「主が全てを思い出して、笑ってくれる日まできっと君たちには迷惑ばかりかけてしまうんだろうけど、でも、お願いだ、主を支えてあげてくれないかい? そればかりは僕じゃできないから。」
 その焼き付けるの言葉にマリーは立ち上がって焼き付けるの瞳をじっと見つめて確かに頷いて、口を開いた。
「――焼き付ける、お願いね、シンタローのことを。」
「ああ、任せてくれ女王。 じゃあ、少し僕は寝るとしよう。 次に起きる時は僕じゃなくて主だから、皆、よろしくね。」
 その言葉にみんなが頷いたのを確認した焼き付けるはベッドに横になって目を閉じた。 数分もしないうちに規則正しい、寝息が聞こえてきたのを確認したアヤノは毛布をちゃんとかけてあげる。
「……私達が悲しそうな顔をしてちゃ、駄目だよね。 シンタローを不安にさせないようにしないと。」
「そうですね、お兄ちゃんはきっといつか全部思い出してくれる。 なにも不安はない、だって、生きてるんだもん。 それだけで、もう私は何も怖くないよ。」
「いつか全てが元に戻るように、私達がシンタローを、いやシンタローだけじゃない、みんなを私達が支えていかないと。」
「――ああ、そうだな! しばらくは思うように動けないと思うが、安心していいぞ。 なんてったって俺達がいるんだからな。」
「まずは、アジトに皆揃って帰る事を目標にしないとね!」
「そうよ、どうせもう連休明けになんて間に合いっこないんだからこうなったら開き直って行こうじゃない。」
 アヤノにモモ、マリーやキド、そして貴音とヒヨリが笑って男子たちを見つめる。 そんな彼女達をみて釣られて笑う男子たちの表情に安堵しつつ、アヤノは眠ったままのシンタローの手を握った。

 それは、どこまでも暖かく広がる体温。
 この愛しい彼の体温を忘れないために、失わないために彼が目覚めたら真っ先に教えてあげよう。

 私の名前と、皆の名前と、そして君の名前――そして、私達は君のどういう存在か、を。


 その直後、シンタローの目は覚めた。 焼き付けるが言った通りシンタローはなにも覚えては居ない。 目が覚めての第一声は、いつもの彼からはとても想像できないものだった。
「……え、ええとあの、僕は一体誰なんでしょう……? 貴方は一体……? 此処はどこなんですか……?」
 不安で仕方ないのだろう、辺りをキョロキョロ見回しながらシンタローは震える手でシーツを握りしめていた。 そんな彼を目の当たりにしてアヤノは深呼吸で自分を落ち着かせながら笑顔を持ってシンタローに話しかける。
「――君の名前は如月伸太郎っていうんだよ。 はじめまして、かな。 私は楯山文乃っていうんだ。 アヤノって呼んでほしいな。」
「シンタロー……それが、僕の名前……。 君は、アヤノ……?」
「そう、そして私の隣りにいる子が君の妹のモモちゃんだよ!」
「私が妹のモモだよ! お兄ちゃん!」
 あくまでも笑顔で、彼を不安にさせないように。
「モモ……?」
「うん! その調子だよお兄ちゃん。」
 ふっと彼は笑った。 そんな彼をみて、アヤノは安心しながら皆の方を振り向くと、頷く。 皆はそれに答えて順番に自己紹介を済ませていった。

 それを見ながらアヤノは心でシンタローへ語りかける。

 ねぇ、シンタロー。
 聞こえてる?
 私ね、ずっとずっと君に言おうと思っていたことがあったんだよ。 誰よりも優しく、誰よりも繊細で、誰よりも仲間を大切に思う君が、私は大好きなんだって。
 あの日、辺りも暗くなってきた教室で寝てしまった私、そして忘れ物を取りに来た君。 そうして私たちは出会ったんだよね。
 あの時情けなく怖がって悲鳴を上げた君も、あの日夕暮れの教室に迎えに来たヒーローのような君も、全ての君が大好きなんだ。

 いつか君が全てを思い出したならば、真っ先に伝えるよ。 だからね、シンタロー、待ってる。

 いつまでも君を、待っているから。
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