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 深い微睡みからふわりと思考回路を浮上させた。 目に入ったのは知らない天井。 頭が痛く、どこかぼーっとしてしまう中、そっと起き上がる。
「……あれ、えっ? ここ、」
 辺りをキョロキョロと見回して、違和感に気が付く。
「え、なに此処すごく趣味悪いんだけど……」
「あら、失礼ね。」
 いきなり声が聞こえびっくりしながら振り返ればそこには金髪の女性が立っていた。
「ここ、アンタの……」
「ええ、そうよ。 いらっしゃい、修哉君。」
「み、皆は……」
「他の皆はまた別室にいるわよ? まあ、目は覚まさないでしょうけどね。」
「……え?」
「あら、勘違いしないで頂戴。 死んでなんか居ないわ。 そうしたらもう飲めなくなっちゃうもの。 死人の血は美味しくないから嫌いなのよね。」
「じゃあ、なんで……」
「だって他の子、ちょっと血飲み過ぎちゃったんだもの。 君は逆にちょっと少なすぎたってところかな。 だからちょっと頂きに来たのよ。 少しお腹すいちゃったからね。」
「お、お断りだね。」
 そう言って後ずさろうとするが、うまく力が入らず崩れ落ちる。 手も、足もまるで生まれたての子鹿にでもなったかのように言うことを聞かなかった。
「……っ」
「あら、この期に及んでまだ逃げようなんて……無駄なことよ?」
 吸血鬼はそう言うと、カノの手を片手で押さえつけた。お腹でも蹴りつけてやろうかと思ったが、それさえも力が入らずにできない。 できたのは唇を噛むことくらいである。 しかし、それさえも余った方の手で華麗に阻止された。
 吸血鬼の手がカノの顎を掴んで離さない。 目をそらそうとしてもうまく行かずに、吸血鬼の眼光を甘んじて受けるしかできなかった。
「男の恐怖に歪んだ顔、すごく好きなの。 だって、とっても美味しそうなんだもの。 もっともっと、頂戴。 君の、美味しそうなトコロ、全部食べてあげるから。」
「悪趣味だね、おばさん。」
 そう強がって入るものの、無様に声は震えていた。 正直言えば、めちゃくちゃ怖いし、可能ならば逃げたいし、悪趣味すぎる眼の前の吸血鬼なんて追い払ってやりたいしいろいろやりたいことはあるけれど、どれも今となっては不可能なことだ。 身体が思うように動かない上に、両手も、顔すらも満足に動かせないのだから。
「まったく、こんな美女をおばさんと呼ぶなんてはしたない子ねぇ。 まあいいわ、そういう子の方が私好きよ。」
 そう言うと吸血鬼は問答無用とでも言いたげに唇を近づける。 唇と唇が触れるか触れないかの距離。 吸血鬼の甘いにおいが、漂っている中で鋭い眼光がカノを貫いた。
 まるで蛇に睨まれた蛙にでもなったかのようで。
「――本当は怖いんでしょう? 分かるわよ?」
「な、にを……」
「声、震えてる。」
「う、うるさいっ」
 虚勢張ることくらいしかもう出来ることが何もなかった。 こんな奴あいてに本音を暴露してしまうのも嫌だったし、きっとそれは僕の性格故だったのだろうけど。 正直いってしまえば、そこで負けな気がしたんだ。
 負けない。 どんな不利な状況でも、きっと心だけは自由なはずだから。
「――もう誰も助けになんてこないわ。 あの女の子達が来たとしても、私相手に何が出来るっていうのかしらねぇ。 力のないただの非力な女子達に。」
「……。」
「さっさと堕ちちゃえば、楽になれるわよ?」
「お断り、だね。 僕は諦めたりしない。 きっと、皆も諦めてなんかないはずだから。」
「まあ、せいぜい足掻が良いわ。 ――じゃあ、いただきます。」
 唇と唇が重なって、力が抜けていく。 一回経験したとはいえ、こればかりは慣れることはない。 意識はちゃんとあるけれど、でも白くモヤが掛かったかのように曖昧で、でも気を失うことは許されない、まるで、夢のなかにいるかのような微睡みだった。
 息苦しくなり、吸血鬼の片手に拘束されていた両手はいつの間にか開放されていて、押し返そうとしたその手は虚しく縋るように吸血鬼の服を掴んでいるだけ。
 やっと唇が離れていくと、咳き込むように息を吸った。 しかし、これで終わりではないことを知っている身としては、震えだしそうな身体を抑えることで精一杯で。
 首筋に感じたちくっとした痛み、身体は正直とはよく言ったものだと思う。 本当に嫌だし、気持ち悪いし、やめてほしいのに、素直に快楽が身体を支配しつつある。 そんな自分が惨めで、抑えきれない涙が頬を伝っていった。





 館の側に生える巨木の影から館の内部を除く黒い影、金色の瞳を輝かせるその”人”は気配を悟らせないように心がけながらよく知る人物が襲われているのを見ていた。
 本音を言えばどうでもいいとは思っていたけれど、絶滅寸前の吸血鬼なんざにくれてやる命なんてあるはずはなく、実に面白くないような顔で見つめる。
「あのアバズレ……本当、趣味ワリィ館に住んでやがんな……」
 そんなどうでもいいことをつぶやきながら、クロハは血を飲み終わった吸血鬼がポケットから何かを取り出したのを目撃する。
「……レースのリボンなんざ何に使うんだ?」
 ニヤリとしている辺り、ろくなシロモンじゃないことは分かる。 何かの力を込めた物であることもなんとなくだが感じ取れた。 吸血鬼はその黒いリボンを気を失って首から血を流すカノの傷を隠すように巻きつけてリボン結びにすると満足したように頷く。
「……。」
 思い至ったのは、吸血鬼の血の持つ力の癒やし効果を込めてあるものかもしれないということ。 吸血鬼の唾液には傷を塞ぐのを妨害する物質が含まれているが、吸血鬼の血には何故かそれが含まれておらず、むしろその逆で傷を癒やす効果があるというもの。 それを込めて編み上げたリボンを傷口を塞ぐように巻くことで、弱った彼を気遣っているのか。
 ここからは想像だが、吸血鬼が気遣いの為だけにあれを作るとは思えない。 きっとあれは洗脳促進効果が付与されていて、恐らくだが、自分では外せない仕様なのではないだろうか。 何でそう思うのかって、俺が吸血鬼ならそうするからだ。 アイツらは魔法も使いこなす身なのだからこれくらい造作も無いはず。
「……畜生、面倒だな。」
 これといった打破の方法が思いつかない。
 何をとっても吸血鬼の方が分が上であり、こちらが不利な状況であることには変わりないからだ。 その上、こちらには時間が残されていない。
 あの男子共の命もそうだが、あいつらがあとどれだけ洗脳からあがいていられるのかが分からないからだ。 吸血鬼共の洗脳の力は強く、そして精神的な攻撃も得意な種族だと聞いていたので本当に時間の猶予はない。
「やっぱり俺が囮やるしかないか……あーめんどくせぇ……」
 盛大にため息を吐いて、クロハは木の上から音を立てずに飛び降りて宿へと帰っていく。

 この際使えるものは全て使うべきだろう。 あんな奴らの為に動くなんざ勘弁願いたいが、だからといってあのアバズレにあいつらを渡すのも癪だ。
「はー……」
 男子たちが寝泊まりしていた部屋に入ってきたクロハが盛大にため息を吐いていると、部屋には先客が居たようだ。
「あら、クロハ戻ってたの。」
「ヒヨリ、やっぱりあの手で行くしかなさそうだ。」
「そう。 私は大いに構わないのだけど?」
「お前ほんっと人使い荒いよな。」
「きらいじゃないくせに。」
「おい人をドMみたいに言うのやめろ。」
「あら、違うの? 別に私に付き従わなくても消えたりしないってわかってるでしょう? 今の貴方は限りなく人間に近い存在何だから消えたりするなんてありえないのに。 私の傍に居なくたって、自由に生きればいいのよ。」
 そんなヒヨリの言葉にクロハは面白くなさそうに答える。
「うるせぇ。 誰に従うかは俺が決める。 俺はお前に恩義があるんだ。」
「別に私は従ってくれなくてもいいの。 貴方が貴方らしく生きていてくれれば、ね?」
「ふん、よく言うぜ。 女王様が板についてたぜ、ヒヨリ。」
「まあ、ヒビヤがいるし慣れてるからね。」
「それにしちゃあ、あの時私の男とか言ってたじゃねーか。 素直じゃねーなあ。」
「う、うっさいわね。 ついよ、つい。」
 そう言いながらそっぽを向くヒヨリの頬が赤いことをクロハは見逃さない。 ふっと笑って再び口を開いた。
「素直にならねぇとお前が泣くはめになるぞ、いい加減。」
「アンタに言われたく無いわね。 ……まぁでも、それはわかってるつもりよ。 だからこそ、ヒビヤ達をたすけないといけないんじゃない。」
「……そうだな。 まあ、精一杯やってやるよ。」
「ありがとう。 クロハ、これだけは誓って。」
「……なんだ。」
「皆無事に連れ戻すの。 ――モチロン、貴方も無事に、ね。 自分を犠牲になんて愚かな考えは捨てて。 良いわね?」
「おおせのままに。」
 にやりと笑ってそう言うと満足そうにヒヨリは笑った。



ふと、目が覚めた。 頭に白いもやがかかっているようで、なぜかすっきりしない中最初に目に入ったのは蜘蛛の巣が怪しい雰囲気を醸し出す天井。
「……あれ?」
 自分が何故この場所にいるかが分からない。 自分は一体何をしてたんだっけ。
「目が覚めたのね、遥君。」
「え……あ、貴方は……え、じゃあ此処は貴方の……っ」
 だんだんと頭が冴えてきた遥はようやく自分の陥っている状況に気がついた。
「じゃ、じゃあひ、ヒビヤくんはっ……皆は……!?」
「他の部屋で眠ってもらっているわ。 少しお腹がすいたから来たのよ。」
「……貴方は一体僕達をどうするつもりなんですか? なんで、今まで目覚めることを許可しなかったのに。」
 だからこそ僕は、いや僕らは今まで夢の世界を彷徨う羽目になった。 その夢の世界は心地よくなんてないただの地獄そのものだ。
「寝ている相手から血をもらっても面白くないもの。 それに従順な相手からもらっても面白く無いわ。 嫌だと、こんなの屈辱だと悔しがる貴方達の表情や感情を感じて血を頂くことが至高の喜びなの。」
 そう言い彼女は怪しく笑うと、遥を押し倒して首元に巻かれている黒いレースのリボンに手をかけた。 感情を隠すのは得意だ。 こんな人に自分の本音を悟らせたくはない。 だって、僕がいつだって本音を漏らすのは大切に想う存在だけなんだから。
「……貴方、おりこうサンなのね。 初めて見た時は小生意気な子だと思っていたけれど、理性を持って本音を押し殺すとでも言えばいいのかしら。 いくら私でも本音を覗く力は持ち合わせていないもの。 ――貴方が今何を考えているのか私には全く理解できないわ。 でも、そんなのは関係ないの。 もう気づいているだろけれど、私は貴方達の逃げるという行為を禁じている……身体が思うように動かないのはそのせい。」
「……命令一つで僕達の意識を闇に沈めることが出来る貴方ならそのくらいは容易いでしょうね。」
「ええ、すごく簡単よ。 貴方達の意識が自由なのは私がそれを許可しているから。 人形から血をもらう趣味はないもの。」
 そう言うと吸血鬼の女は押し倒した遥に身体を密着させた。 一瞬ドキッとしながらもすぐに持ち直した遥に吸血鬼の女は言う。
「……聞こえる? 私の鼓動の音。 貴方達と同じようにリズムを刻むこの命の音が。 私だって生きてるのよ。 バケモノ――だけどね。 生きているからこそ、食事が必要なの。 貴方にもわかるでしょう?」
 耳元で囁くように吸血鬼の女は身体をそっと遥から話して、唇を遥の唇に寄せていく。
「貴方、好きな娘とかいるの? あの時途中で遮っちゃったけれど、アレは名前でしょう?」
「……それを貴方に教える義理はありません。」
「それもそうね。 ――じゃあ、いただきます。」
 唇が合わさって、力が身体から抜けていく。 必死に本音を押し殺す遥は、身体から力が奪われても尚、悔しそうにスーツを握りしめる手を緩めようとはしない。
 唇を離した吸血鬼の女は、遥の首元の傷をぺろりと舐めてにやりと笑う。
「やっぱり貴方達は美味しいわ。」
「嬉しくないです。」
「口の減らない子ね。 まあ良いわ。」
 そう言って牙をむく女吸血鬼を視界に入れたくなくて遥は目をつぶる。 襲い来る快感から出る言葉は唇を強く噛むことで制す。 やがて唇が切れて血が流れても、痛くても、遥は唇を噛むことをやめない。



 闇に解ける意識の中、遥はふと思い出した貴音の笑顔に向かって遥は手を伸ばしていた。

 貴音、ごめんね。
 ずっとずっと、そばに居た君に僕は隠していたことが合ったんだ。 僕がまだ病気で入院していた頃、食べ物の味がわからなくて、貴音の作ってきてくれた料理の味も分からなくて、君に心配をかけたくない一心で感じても居ない料理の味の感想を言ってしまった。
 そう、アレは嘘だ。 きっと美味しくないということはなかったんだろうけど、嘘を着いたことには変わりないから。
 僕はずっとそれを後悔してきた。 君に全てを話すべきだったのかもしれないけれど、でも、でもね貴音。 僕は君の言ってくれた言葉がとても嬉しかったから。

「ねぇ、遥。 私ね、遥が食べている姿を見るのが好きなんだ。 だって遥はとても美味しそうに食べるから。」

 そう言って微笑んだ君のあの表情がね、とても愛おしかったからあの表情を曇らせたくはなかったから。 だから僕は君の笑顔のそばに在りたくて嘘をついたんだ。

 こんな事になるなら、もっと早く君に言うべきだった。 ずっとずっと態度で示していたと思ったけどやっぱり言葉にしないと伝わらないのだ。

 君が、ずっとずっと大好きだったんだって。 今までも、きっとこれからも君以外は目に入らないんだって。

 ねぇ、会いたいよ。 貴音。

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