その日、街にはしとしとと雨が降り注いでいた。
いつものように学校に行って、いつものように皆と話をして――そんなありふれた日。 しかし、一つだけ違和感があるとしたら。
「ねぇ、なんか今日シンタロー君の様子おかしくなかった?」
ふと遥がそういえば、貴音とアヤノは同意して首を傾げる。 話しかけてもそっけないし、一人で先に帰ってしまうし……一体何があったのだろう。
「……まあ、でも明日には元通りになってるんじゃない? 心配することはないでしょ。」
貴音のいうことも分かるけど、少し引っかかるものがあった。 しかし、何があったのかも分からない今は何も出来なくて。
「今日のところは帰りましょうか。 明日シンタローの様子がおかしかったら、聞いてみましょう皆で!」
アヤノの笑顔に安心して其の日は帰宅した。
相変わらず止まない雨に、貴音は髪の毛を抑えながらため息をつく。
「あーもう、髪の毛広がる……」
「湿気でぼわんっってなりますよねー……」
貴音の言葉にアヤノが頷いてため息をついた。 そんな女性陣二人の様子を遥は微笑みながら見守る。
「雨、止まないですね……」
ふと、アヤノが立ち止まって空を見上げて呟いた。 鈍色の空からは雨が降り注いでいてまだまだ止む気配はない。 そんなアヤノの言葉に遥もまた雨が早く上がればいいのにと思いながら足を進める。
連絡があったのは、午後7時過ぎ。 アヤノの携帯に、妹のモモちゃんからの切羽詰った声が響いた。
「アヤノさん! お兄ちゃんが、帰ってこないんです…… どこに行ったか心当たりありませんか?」
シンタローは帰りが遅くなる時は必ず家に連絡を入れていた。 だから、何も言わずに、こんな時間帯まで出歩くなんて事今までになかったのだ。 アヤノはそこで初めて、事の重大さに気がついた。
あの時シンタローに話しかけていたら、なんて後悔する暇もなく貴音と遥にも連絡を入れる。 直ぐに駅に集まって、3人で手分けをして街を探しまわる事になり、アヤノはシンタローの携帯に連絡を入れながら走る。
「シンタロー!!」
アヤノの声が街に木霊して雨合羽が翻った。
一方、貴音もまた雨合羽を着ながら街を疾走している。
思い出すのは、帰り際のアイツの表情。 無表情だったけれど、何処か悲しそうで、つらそうで。
でも私は明日になればいつものアイツに戻るって、思ってた。
だからそれほど心配しなかったし、きっと其れは遥とアヤノちゃんも同じだろう。 そんな私達の勝手な思い込みで、今こういう状態になってしまったのだ。
本当は話しかけるべきだったのだろう。 何があったのと、聞いて上げるべきだったのだろう。 そしたら、きっとこうなることだって無かった。
「くっそ、アイツどこにいんのよ!」
こんな雨の中、一体どこに居るのだろう。 きっと傘もささずに居るに違いないのだ。
「シンタロー!」
糞生意気な後輩だけど、でも、大切なんだ。 失いたくなんてないんだ。
アイツが居て、初めて私達は笑えるんだから。
だから、どうか無事で居て欲しい。
そんな貴音の願い虚しく、雨は無情にも降り注いでいた。
そして、遥もまた自分の今日の言動を反省しつついろいろな場所でシンタローを探していた。
雨合羽のフードが脱げて、雨が髪を濡らすのも厭わずに走り続けること10分。 ふと目をやった公園、そこに彼は居た。
近づこうとして、気がつく。
彼は、雨から身を守る物を何一つ身につけずただ空を見上げていたのだ。 その異質な雰囲気に息を呑んだ。
直ぐに持ち直して、慌てて近づいて持っていた傘を開いた。
「シンタロー君何やってるの! 風邪引いちゃう!」
タオルを取り出して、ずぶ濡れの彼を拭いてあげると漸く彼は反応を見せる。 その瞳は元気が無く、生気もない。
「……シンタロー君?」
開かれた瞳、それは真っ直ぐ空へと向けられて。
「俺、雨って好きなんですよね……。」
ぼそっと、独り言のようにつぶやかれたそれは確かに遥の耳にも届いた。
「……え?」
そんな遥の言葉にシンタローは、ふっと笑う。
「だってほら、こうやって目を閉じて雨の音を聴いていると拍手の音に聞こえてきませんか?」
言葉につられて、遥は目を閉じる。 すると、雨の音は雰囲気を一変させてまるで其れは彼の言う拍手のような音にも聴こえてきて、再び瞳を開けた。
「……誰かが隣にいて、俺を励ましてくれて居るような幻想をこの雨が魅せてくれるんです。」
そこで遥は思う。 さっきの笑みは、僕に向けられたものではなく空へ向けられた彼の笑みなのだと。
「雨の日はいつも此処に?」
静かに、遥は聞く。 彼を刺激してはいけない、静かに、でもいつものようにしていよう。
「いえ、たまにですよ。 そんな毎日はきません。」
雨の音を聴きたくなった日にだけ、こうして内緒でやって来るのだと彼は付け足した。 そんな彼の表情に無性に悲しくなって、拳を握る。
「ねぇ、何か……あった?」
「……何もないっすよ?」
嘘だよ、そんなの。 そんな表情で言われても信じられるわけ、ないじゃないか。
「嘘ばっかり。」
少し怒ったような声に、シンタローの瞳が漸く遥の方へと向いた。
「――なんで、嘘だって思うんですか?」
「だって君、泣いてるじゃない。」
「泣いてなんかないですよ。 これは雨粒です。」
そう彼がいうけれど、そんなの言い訳でしかないのは分かってる。 だって、こういう時の君の癖知ってるもん。
「……そうやって、僕から目を逸らして笑う。 君が嘘を付いている時の癖だよね。」
君と知り合ってからずいぶんと経つもん、そのくらい分かって当然だよ。 だって、友達だから。
「何で俺に構うんですか。 放っておいてください。」
馬鹿だなぁ、シンタロー君。 そんな震えた声で言っても説得力ないよ。 一緒にて欲しいのならそういえばいいのに。
「だって、友達だもん。 ……――僕ね、君が初めてなんだ。 胸を張って友達だって言い張れる人。」
其の言葉にシンタローは目を見開いて、慌てて口を開いた。 其の声色は動揺しているようにも思えて、遥は微笑む。
「……榎本先輩はちがうんですか?」
「貴音は異性として好きだから、友達とは少し違うかなぁ。」
「そーですか。」
そうそっけなく返したつもりのシンタローに、遥は大きめの言葉で宣言するように言った。
「――友達が、泣いていたら放ってなんて置けないよ。」
「俺のことなんて放っておけば良いのに……そーやって、俺にかまうから……」
彼の言葉はだんだんと音を失っていって、最後の方は聞き取れなかった。 でも、彼が何かに怯えているのは分かる。
「……シンタロー君?」
「俺とつるむと嫌われますよ? 先輩。」
吐き出すように言われた言葉に、目を見開いた。 そして、怒りがこみ上げてくる。 シンタロー君に対してじゃない、きっとこれは、この言葉は。
「なにそれ……」
「今日学校で皆が言ってましたよ?」
――ほら、やっぱり。
誰だよ、そんな言葉を彼に言ったのは。
そうやって皆がシンタロー君のことを突き放して孤独にして、感情を奪っていって、これ以上何を望むっていうの。
彼は一度だって言い返したことなんてない。 いつだって言われるがまま、其の言葉を受け入れて独りで傷つき続けているのに、なんで、其れを分かってくれないの。
「"如月とつるむなんてあの3人頭イカれてるよな"って、皆が言ってました。 だから俺に近づかないほうがいいっすよ。」
「大きなお世話だよ。 そんなの。 僕が誰と話そうが、友だちになろうがその人達になんと言われようが知ったことじゃない。 どうでもいいよ。」
いつだって彼が考えて居るのは他人のこと。 自分のことよりもまず先に他人を護ろうとしているんだ。
許せない。 大切な友達を傷つけた人を、僕は絶対に許さない。
「……。」
彼は答えなかったけれど、その表情が答えをくれていた。
「僕達は大好きだから君の隣にいるんだ。 其のせいで周りにどう言われようがどうでもいいよ。 ――こっちから、願い下げだ。」
そんな心の狭い連中と慣れ合うなんて御免だ。 だったら僕は、目の前の泣いている友達と一緒に居たい。
「なんで……」
その声はもう、涙で震えていた。 其の涙をそっとタオルで僕は拭って笑いかけて、口を開く。
「たとえ君が自分から孤独になろうとしてたって、そんなの僕達が許さない。 君を独りになんて絶対にさせない。」
どんなに君が拒んでも、絶対に手を離したりなんてしないよ。 だって、其れが友達ってやつだよね。
其の言葉が、合図になったのかは分からない。 きっと今まで我慢していた感情が溢れでたのかもしれない。 彼は、その両の目から大粒の涙を流して僕が握っていた手を、控えめに握り返した。
「だからさ、ほら、笑ってよシンタロー君。」
「……。」
ずっとずっと我慢していた気持ちを吐き出して泣き喚いたって構わないから、その後で笑って欲しいんだ。 無表情や、嘲笑っているような笑みでもない、本当の君の笑顔で。
「ばかっすね、先輩。」
そう言ってくすっと笑う君の顔は、作れられたものなんかじゃない。 なんだ、君ってこんなに綺麗に笑うんだね。
「あ。」
そう言ってシンタローは夜空を見上げて、笑う。
「……雨、あがったね。」
釣られて僕も夜空を見上げる。
そこには、とても綺麗な星空が広がっている。
「あっ、遥ー! シンタロー!」
ふと、聞こえた声に振り返ればそこには、手を降って駆けて来るアヤノと貴音の姿が見える。
其の姿を見るやいなや、はっとして目元を拭うシンタロー君に微笑みながらそっと彼女たちの元へと歩き出した。
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