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 スタスタと、彼は自分に背を向けて歩いて行く。 呆然と立ちすくむ自分はきっとひどい顔をしているのだろう。 欺くことすらも忘れて、去っていく彼の背中をただ見つめるだけだ。
「……っ」
 彼はさっき自分に何と言った? 自分の酷い八つ当たり文句に対して彼は――。 そう、だ。 肯定したのだ。 たった一言、”そうだな”と。
 違う、そんなことが言って欲しかったわけじゃない。 肯定して欲しかったなんてことはなかったんだ。 ただ、自分は彼に反論して欲しかった。 ふざけるな、とそして口喧嘩になったのなら自分は言いたいことを言えると思ったんだ。
「待って!」
 このまま彼を帰らせてしまったらダメだと、本能的に感じた。 自分があの言葉を言い放った瞬間に浮かべた彼の表情が自分を気が付かせてくれたのだろうか。
 必死に追いかけて、彼の左手を掴んだ。
「……どういうつもりだ?」
 感情の一切灯らない冷たい声で、こちらを振り返らずにシンタロー君は言った。 その声に密かに恐怖を感じてしまったのは気のせいじゃない。
 必死に脳内で言葉をまとめる。 焦りに焦って、意味のない言葉が口から飛び出していく中、ようやくシンタローはこちらを振り返った。
 そして次の瞬間に浮かべた自分を嘲笑っているかのような彼の笑みに、自分がやってしまった間違いの大きさを知る。
「確かに僕は、君が大嫌いだったよ。 姉ちゃんの近くに居た君がなんで救ってくれなかったんだって、さっきまで本気でそう思ってた。」
 でもそんな言葉たちは自分にも当てはまってしまった。 彼が姉ちゃんの近くに居たのならば、自分はどうだったのだろう。 自分はきっと姉ちゃんの弱音や悩みを唯一知っていたんだ。 それを知った上で救えなかった自分には彼を攻める資格などありはしない。
「君に気持ちを吐き出せば、楽になれるって思ってた。 ……でも、全然楽になんてならなかった。 むしろ、どす黒い感情が増したような気さえした。」
 自分が抱えている君への感情をありのままに吐き出せば楽になれるってさっきまで本気で思っていたけど、でも実際は全然その通りにはならない。
 意味がわからないどす黒い感情が体を駆け巡って、気がつけば僕はシンタロー君を追いかけていたのだ。
「……ごめん、僕自分のことを棚に上げて君のことばっかり攻めてた。」
「別に謝ることなんて無い。 お前が言ったことは全部当たりだからな。 俺はあいつが教室で流していた涙を見たのに、何も行動を起こせなかった。 お前が殺したって言われても、お前のせいだって言われても俺は反論なんてできないし、しない。」
 いつだって君は、誰かに八つ当たりなんかせずに自分を責め続けていた。 だからこそ、僕の八つ当たりに何も反論しなかった。 そう自分で思い当たった瞬間、自分の惨めさが浮き彫りになったかのようで苦虫を噛みつぶしたような気分になる。
「ねぇ、誰かに言われたの? “お前が殺したんだ””お前のせいだ”って。 僕が言った事じゃないよね。」
「クラスメイトとか学校の奴とか、先生とかいろいろだな。」
 そう当たり前のように答えるシンタロー君に、僕は更に驚かされる事となった。 こんな人を僕は攻めていたのか、なんて本当に今さら思ってしまう。
 独りが当たり前で、本来なら味方になってくれるはずの先生でさえ自分を攻めて、それさえも当たり前だって諦めて今までかろうじて生き残っていた彼に、自分はなんてことを言ってしまったのだろう。
 きっと今の彼は「死ね」と言われたら簡単に死んでしまうようなそんな危ない状況下にあるのだ。 あのまま彼を見送っていたらきっと今頃彼は命を絶っていたのかもしれないと思うと、ぞっとする。
「ねぇ、シンタロー君。 さっきあんな酷い八つ当たりをした僕が言えたことじゃないけどさ…… もっと弱音とか吐いてもいいんじゃない? 君、少し一人で溜め込みすぎな気がする。」
「……なんでお前が俺の心配するんだよ。 お前は俺が死ねば喜ぶんだろう?」
 その言葉はどこまでも彼の本心で、直ぐ様反論しようと口を開く。 しかし、先ほど自分が彼に言い放った言葉を思い出して何も言えなくなってしまった。
「た、確かに僕はさっき君にそう言ったけど……でも、今は違うよ。 本当にごめん……僕は君に死んでほしくない。」
 若干照れくさい本音を、包み隠さずに欺きもせずに彼に言った。 目の前の彼の、いつも無表情気味の彼の精神的な危うさを知ってしまったから、だけじゃない。 ただ、純粋に彼のことをもっと知りたいと感じた。
「……今ならわかる。 姉ちゃんが君を好きになった理由が。」
 彼はどうしようもないくらいに、優しい。 それでいて、自分のことをいつも後回しにして、周りの人たちに気づかれないままに傷ついていく。 周りの人間が気づいた頃にはもう遅くて、きっと彼の心は今も触っただけで壊れそうなほどに脆いのだろう。
「少し、昔話でもするか。」
 カノに背を向けながらシンタローはそう淡々と彼は話し始めた。
「……まぁ、そんな面白いもんでもないが、聞けよ。 そうだな、今から2年ほど前、ちょうど俺が高校生になってからの話だ。 俺はアヤノと先輩二人……榎本貴音って人と九ノ瀬遥っていう人なんだけど、その3人と仲が良くて一緒に昼飯を食べたりもしていたんだ。 うん……楽しかったなあの時は。 俺はいつも嫌われて疎まれてきたから、ああいうふうに普通に接してくれるあいつらは俺にとって凄く大切で、自覚がなかったけど友達だって思ってた。」
 誰かと一緒に帰る帰り道が楽しいことを教えてくれた。 友だちと食べるご飯があんなにも美味しいことを教えてくれた。 俺に足りないものをあいつらは埋めてくれたんだ。
「……夏休みが終わって始業式の日、隣の席に居たはずのアヤノの姿がない事に気づいた。 先生が真実をその口から語るまで俺は、あいつが学校を休むなんて珍しいななんて考えてた。」
 淡々と語られた真実は、あまりにも残酷でガタッと席を立って先生が止めるのを聞かずにひたすら走って、気がつけば俺は誰も居ない屋上へやってきていた。
「屋上に置かれた綺麗な花束を見て、これは現実なんだって思わざるを得なくなった。 さすがに泣いたよ、あの時は。」
 あんなに笑顔を浮かべていたアヤノが学校の屋上から飛び降りて死んだ、とその話はまたたく間に学校中を駆け巡った。 そして、俺が泣き止む頃には俺が知らない方へと話は展開していたのだ。
「クラスメイト全員が教室に入った瞬間俺を見るんだ。 指をさして、声を揃えてそして当たり前のように口にした。 “人殺しの化け物”ってな。」
 まさかクラスメイト全員に言われるなんて思いもしなかった。 先生でさえそれを傍観して、見て見ぬふりしていた。 その態度で、俺は先生にも嫌われていることを知った。
「クラスメイトの中のひとりに俺は水をぶっかけられたな。 それを俺の担任の先生は笑いながら見てた。 クラスメイトもそれに同調するように笑ってさ、言ったんだよ。 “友人3人が死んだのに表情一つ変えないなんて気持ち悪い”って。」
 耳を疑った。 友人3人ってどういうことだ、と疑問に思った。
「それで初めて俺は知った。 俺が仲良くしていた3人が夏休み中に相次いで亡くなったことを。」
 楽しかった高校生活が終わった感じだ。 独りで帰る帰り道の心細さも、独りで食べる弁当の味気なさも、あの幸せな時間を知ってしまった俺にとっては耐え難い苦痛だった。 学校中が敵だってあいつらが生きてさえ居てくれたなら俺はそれだけで耐えられたのに、それが一瞬で崩れ去ったんだ。
「それから暫くは耐えていたけど、でも、やっぱり無理だな。」
 一気に色味が無くなったモノクロの世界に独り取り残された気分だ。 もう、どうなってもいいやって自暴自棄になった。
「これでも結構自殺未遂繰り返していたんだぜ? ほら。」
 そう言ってカノに向かって手を差し出して袖をめくる。 その下に現れた手首には傷がいっぱいあって、カノは目を見開いた。
「お笑いだろ? こんなに死のうと思ってるのに、いつも失敗するんだ。」
「シンタロー君……」
 何も言えない。 言うことなんてできない。 だって、今何を彼に対して言った所できっと彼には届かない。
「……あれ? シンタローさんにカノ、こんな所で何をしてるんすか?」
 後ろから見知った声で話しかけられた。 声の主は間違えようもない、セトである。
「セト?」
「……なんか雲行きも怪しいっす。 マリーがアジトで紅茶を入れてくれているみたいなんで、さっさとくるっすよ!」
 そう笑顔でセトはカノとシンタローの手を握って一方的に歩き始めた。 その暖かさにカノは救われながら、ちらりとシンタローの方をみる。
「シンタローさん、独りで背負い込む必要なんて無いっすよ。 だって、もうシンタローさんは独りなんかじゃないっすから。」
 真っ直ぐシンタローの瞳を見つめてセトは笑顔で言った。
「なんで、だって……俺は……」
 戸惑いがちにシンタローはセトをみつめ返した。 そんなシンタローにセトは苦笑を持って返し、前を向いて口を開く。
「別に、シンタローさんが悪いわけじゃないっすよ。 そりゃ、姉さんが死んだことは凄く辛かったし、誰かを責めたくなる気持ちも分からないでもないっすけど、そんな事をしたって姉さんは帰ってこないっす。 それに、姉さんはそれを望んでいない。」
 そのセトの言葉にカノはハッとして、唇を噛む。
「……まぁ、もう十分反省しているみたいだし、これ以上何かを言うつもりはないっすけどね。」
「セトいつから見ていたの……」
「全部見てたっすよ。」
 カノの方を振り返ってそれはもういい笑顔でセトは言い放つ。 その笑顔に悪寒がしたらしく、セトから全力で目を逸らした。
「それにカノがしていることは俺からしたら、愛しい息子の嫁に陰険な嫌がらせする姑にしか見えないっす。」
「いや、セトその例えは……凄く的を射ているというか……」
 シンタローがセトの言葉に笑顔を浮かべた。
「いやいやいや、セトその例えは凄くおかしいからね!」
「そうっすか? さっきのカノの状態を的確に表現していると思ったんすけど……」
「俺もさっきのセトの表現は的確だったと思う。」
「シンタローくんさっきの報復はいってるでしょ……」
「当たり前だろ。」
 ムスッとした顔でシンタローは言ってのける。 それに上乗せするようにきらびやかな笑みでセトも言った。
「カノはもう少し反省しているべきっす。 酷い言葉だったっすよ。」
「……それは、分かってるよ。 本当にごめん、シンタロー君……許してくれなんて言わないよ。 許してくれなくてもいい。 ――けど、もう一度いうけど僕は君に死んでほしくはないんだ。 いや、言い方変えるね。 きっと、君にとって生きてって、凄く辛い言葉だと思うけど……それでも、生きていて欲しいんだ。」
 死にたい、そう思っていた彼にとって恐らく生きては最早励ましの言葉ではなく、追い詰めるだけの言葉なのだろう。 これを君に言うのは酷く残酷なのは百も承知だ。 それでも、そうだとしても。
「――君に生きてほしいと願っているのはきっと僕だけじゃないよ。」
 憎まれ口を叩くモモだって、マリーだってキドだって、そうメカクシ団の皆はシンタローが生きてくれることを望むだろう。
「そうっすよ、シンタローさん。 生きる理由なんて、後から見つければいいじゃないっすか。」
「……なんで、」
 セトの言葉の後に口を開いたシンタローの言葉がそれ以上続くことはなく、代わりに彼の頬を涙が濡らした。 その涙にカノは驚き、セトはふ、と笑う。
「友達の心配をするのは当たり前っすよ。」
 当たり前のように、セトは笑顔で彼にそういった。 カノは慌てて頷いて、笑顔を彼に向ける。
 いつだって、自分が死ねば周りは喜ぶものだと思っていた。 モモだってきっと俺が死ねば成績云々で俺と比べられることだって無いはずだ。 アヤノを見殺しにした俺が死ねばキドとセトとかのは喜ぶものだって、ずっとそう思っていたのに。
 止まらない。 あふれだす涙が両の目から溢れだし、地面を濡らした。
 生きていてほしいとか友達だとか、そんな優しい言葉をあいつら以外からもらったのは初めてだ。
 頬を伝う涙は未だに止まらない。 しかし、彼はもう前のような無表情でも自分を嘲笑っているような笑みを浮かべているわけでもない。 純粋な笑顔を彼は浮かべていた。
「……ありがとう。」
 生きていていいんだと、そう自分で思えた。 ずっと自分に死ねばかり行ってきた自分にとってこれはとても大きな変化なのだろう。
「……帰ろう、アジトに。」
 微笑みながらカノは歩き出す。
 シンタロー君が純粋に笑ったのなんてきっともの凄く久しぶりで歪なものだったけれど、そんな笑顔を浮かべる彼はどこかアヤノと同じ雰囲気を醸し出していて、セトもカノも釣られて笑う。
「そうっすね。 マリーの煎れてくれる紅茶が待ってるっす。」
「……ああ。」
 嬉しそうにシンタローは釣られて歩き出す。 その光景を数メートル離れた場所からとある少女は見ていた。 仲良さそうな3人を見て安心したような彼女は、赤いマフラーをはためかせながら口をそっと開く。
「よかったね、シンタロー。」
 ばっと、後ろを振り向いたシンタローだがそこにはもう何もない。
 ただその言葉は彼に届いていたのだろう。 その証拠に彼は先ほど彼女が立っていた場所を見ながら微笑んで、何かをその場所に向かっていうと翻して二人の後を追いかけていった。
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