雨が降る街の中、傘もささずに歩くアヤノの姿があった。 彼女が纏う雰囲気に、周りは圧倒され誰も話しかけることはしない。 アヤノは暫く街の中を進んで行き、人気のない道路へと入っていった。
「ねぇ、クロハ。 そこにいるんでしょう?」
ふと、立ち止まってアヤノは誰もいない道で空間に向かって話かけた。
「……なんのようだ? まぁ、粗方検討は付いてるが。」
「なら話は早いよ。 ――あの男に会いたいの。 誰にも気付かれずに、記録にも残らずに。 出来るよね?」
「できなくはないが、何をするつもりだ?」
「あの男、まだ罪を認めずに茅場晶彦になすりつけているみたいなの。 ――許さない、私の大切な人たちをあんなに苦しめたのに。」
握った拳を震わせながら、アヤノはクロハに助けを乞う。
「――分かった。 そういうことなら協力してやるよ。 ただし、呉れ呉れも暴力だけはするなよ。 精神的に追い詰めるならどこまでやってもいいけどな。」
「暴力なんてしないよ。 そんなことしたら私の手が汚れちゃうからね。 汚いものには触りたくないんだ。」
そう笑顔で言ってのける彼女はとても輝いて見えて、クロハは顔を引き攣らせる。
この女だけは怒らせないようにしよう――と、考えていたことは内緒だ。
「じゃあ、行くか。 まぁ、細かいゴタゴタは俺に任せろよ。 お前はあのゴミにあった時のことだけを考えていればいい。」
「ありがとう、クロハ。」
そんなこんなでアヤノはクロハの力により、彼が今現在いる刑務所の独房内へとやってきていた。 どうやって来たのか、それはクロハの力によるものである。
須郷はアヤノの顔を見るたびに死ぬほど驚いた様子で、声を必死に張り上げて人を呼ぼうとしているが、それもまた無駄な努力なのだ。 人なんて今の状況で来るはずがない。
「こんばんは、須郷さん。 ――私、あなたに会いたかったんですよ。 あの世界でやり残したことがいっぱいあるので。」
とても輝かしい笑顔で静かにそう須郷に告げる彼女は、もうどうしようもないくらいに怒っている。
「私の愛しい恋人と家族にいろいろしてくれやがったみたいで、今日はそのお礼に来たんです。」
シンタローのことも、父親のことも、そして弟妹達のことも。
「まだ罪を認めないらしいですね。 往生際の悪いことこの上ないですけど、まあ貴方なんかに潔さなんて求めたりはしませんよ。 それは高望みというやつですからね。 私が貴方に望むのはただひとつ。 罪を認めること。」
警察はもう須郷があの世界で行ったことを全部把握しているし、罪はもう逃れられないだろう。 しかし、須郷自身が未だにそれを認めようとはしない。 全部は茅場晶彦がやったことだ、俺は関係ないと白々しく言ってのけるのだ。
「貴方があの世界でシンタローに対して行った行為も、SAOサバイバー達にやっていた事も、全部警察はお見通しなんですから今更そう白々しく主張しても意味が無いんですよ? 全部私が警察へお話しました。 それに基づいてもう警察は証拠を掴んでいます。 ――貴方はもう、逃げられはしない。 海外へ逃亡する算段らしいですが、それも無駄な話ですよ。 それでも罪を認めないとなれば、私も私でそれ相応の報復をしてあげます。」
その言葉に須郷は短く悲鳴をあげた。 別に、彼女は立って話しているだけなのだが須郷にしてみれば首元にナイフを突きつけられたような気分だったのだろう。 冷や汗をかきながら、壁に張り付いている。 その姿に、滑稽だと笑いながら、鋭い眼光で彼を射抜く。
「この言葉を”ガキの世迷い言”と切り捨てるも良し、気持ちを入れ替えて罪を認めるも良し――それはあなた次第です。 まぁ、認めたところでどれだけ罪が軽くなるかなんてたかが知れて居ますけど。」
あくまでも、ニッコリと彼女は言ってみせた。 その笑顔には絶対零度のオーラがあり、須郷は悲鳴も挙げられずに腰を抜かす。
「じゃあ、私はこれで。 ――ああ、そういえば、このことを世間に言っても無駄ですよ。 だってこれ、ユメですから。」
そう、これはユメだ。 調べても、警察署の監視カメラにはアヤノの姿は写っていないし、記録もない。 私は同じ時間帯に家の自室にいるのだから。 私はわたしのユメを通じて須郷と話をつけに行ったのだ。 これはすべてクロハの協力によるものであり、今回の件の功労者はクロハなのだろう。
自室のベッドで目を開けたアヤノは、素早く起き上がってベランダへと足を運ぶ。 そこには当たり前のようにクロハが居て、私が来たのを見るとニヤリと笑う。
「ありがとう、クロハ。」
「別に、お礼されるようなことは何もしてねぇよ。 遅かれ早かれ、俺もお前と同じ行動をとっていたと想うぜ?」
「優しいんだね。」
「別に、俺は俺だ。 優しくなんてねーよ。 ……ただ、お前らにはすげぇ恩があるからな。 シンタローには命を助けられたし、お前らには居場所をもらった。」
あの時、消えるはずだった自分がこの世に存在できているのはメカクシ団の皆がそれを望んでくれたからで、それがあったから自分はこの世界にいることが出来るのだ。
「……ねぇクロハ、教えてよ。 シンタローと幸助の事……知っているんでしょう?」
何も気が付かなかった不甲斐ない姉である私と、気づけなかった恋人の苦悩。 彼らが何に悩んで、何を恐れていたのか、私は知りたい。
「それを知ってお前はどうするんだ?」
「どうもしない。 今更、私に出来ることなんて限られているのも分かっているつもりだよ。 でもね、無知は罪であると私は想うの。」
知らなかったじゃ済まされない。 きっと、知らなければこの先同じ間違いを私は犯してしまうだろう。 そんなのは嫌だ。
「お前、本当ブレねーな。 嫌いじゃねーよ、お前のそういう真っ直ぐなところ。 いいだろう、教えてやるよ。」
その口から語られた内容に私は目を見開くことも忘れたまま、無表情で聞き入っていた。 酷いなんてものじゃなく、そんな言葉じゃ表しきれない。 外道、とは正にこのことで、彼が受けた行為はまさしく拷問だ。
「……このことを、和人君も知っているんだね。」
「ああ。」
「そっか……」
クロハの短めの返答にアヤノは背を向けて答える。
「……もっと徹底的にやっておくべきだったかな。」
私の声を勝手に使って彼を傷つけたに飽きたらず、お父さんの事も大切なお友達も、弟妹達のことも傷つけた須郷に私はもっと何かをするべきだったのだろうか。
「十分すぎるほどお前は行動したって。 後はプロに任せろよ。」
「そうだよね。 これ以上は良くないか。 今日はいろいろとありがとうクロハ。 シンタローのことお願いね。」
「ああ、任せとけよ。」
「じゃあ私はもう寝るね。 明日はセトのお見舞い行かなきゃ。 セトの方は言っても平気だよね?」
「ああ、行ってやれ。 そのほうがあいつも喜ぶだろ。 じゃあ俺はこの辺で失礼するぞ。」
そう言うとクロハは二階のベランダから飛び降りて、暗闇に消えていく。 アヤノはそれを見送ると、部屋に入っていった。
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