例えば私は、今泉くんがどれだけペダルを回しているかをちゃんとは知らない。今も昔も。誰よりも才能に溢れ、誰よりも速い今泉くんが努力を怠るわけもなく、むしろ私が見ている限り、今泉くんはずっとずっと懸命に、ちょっとでも速くなるためにペダルを回している。でも、そんなのしょせんは表面だけだ。そんなことなら、今泉くんに黄色い歓声を上げている子たちと変わらない。ううん、むしろ私は、その子たちよりも今泉くんを知っている分、余計に酷いのかもしれない。それに、絶対、私なんかよりも、今泉くんと一緒に走っている小野田くんや鳴子くんのほうがよっぽど、詳しい。小さい頃から一緒にいる私の何倍も、何十倍も。
「お疲れ様、今泉くん」
「おう」
「今日は車じゃないの?」
「車の気分じゃないから」
「ふぅん」
 部活が終わった帰り道、一人で歩いていたら、自転車を押して今泉くんが着いてきた。送っていく、という言葉に、ちょっとだけくすぐったくなったが、ただそれだけだ。橙色と紺色が混じりそうな空の中、私たちは黙って歩く。今泉くんが静かなのは元からだけど、私が静かなのは珍しい。と、自分のことながら驚く。これなら、今泉くんはもっと驚いているかもしれない。いや、もしかしたら今泉くんにはどうでもいいことなのかもしれない。だって私は今泉くんのすべてを知っているわけじゃない。むしろ、今泉くんに仲間が出来てから、ちょっとずつ私の知らない今泉くんが出てきたような気さえする。例えば練習量だとか、私には出来ない話だとか。
「……どうかしたのか?」
 ぽん、と湖に小石を投げられたかのようだった。私は考えていたことを一旦止め、え? と隣を見上げる。今泉くんが、気まずそうな顔で私を見ていた。
「どうしたの、今泉くん」
「だから、それはこっちの台詞だ。黙ってるなんて、らしくねぇ」
 私らしくない、という言葉に胸の辺りがちくりと痛む。だってそれはつまり、今泉くんの中で私はちゃんと確立されているのだ。明るくて、お喋りで、自転車が好き。それが今泉くんの中の私だ。だから彼は今の私に戸惑っている。違うことに、戸惑っている。
「別に。なんにもないよ」
 いつものように笑ってみせる。今泉くんは何か言いたそうにしていたけど、気を遣うかのように、そうかとだけ言って顔を逸らした。違う。私の知ってる今泉くんなら、ここで何も気付いていないって顔でふぅん、と流すはずなのに。それとも、もしかして今泉くんは、昔からこうだったのだろうか。もしかしたら、私は言うほど今泉くんの表面さえも知らないのかもしれない。そう気付いて、私はなんだかとても大切なものが手から溢れたような感覚に襲われた。



しゃがみこんだ世界
お題>舌
×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -