しょせん俺に出来るのは精々あの人の袖をちょっと掴む程度だ。その袖を引っ張ることも、ましてやあの人の手を掴むだなんてことは出来ない。だいたい、俺はずっとずっと必死にあの人の背中に手を伸ばすことしか出来ない。いや、出来ないんじゃない。それしかしていないのだ。未熟な心が、あの人へ伸ばす手を引っ込めてしまう。もしかしたら案外あの人はなんともないのかもしれないのに、俺が勝手に手を引っ込めて、安全な位置に逃げ込んでしまう。きっとこんなんだから、あの人に勝てないしあの人に見てもらえないのだろう。なんともみっともない話である。
「おい黒田ァ、てめぇヤル気あんのか?」
荒北さんは普段から不機嫌そうにしている顔を歪めて俺を睨む。俺は荒北さんにまた負けたことと、全力で走ったあとの疲労感からすぐには返事が出来ず、でも後輩としての意地で強く首を横に振った。けれど荒北さんの機嫌はそんなもので治るはずもなく、今日のお前からは覇気がねェなと吐き捨てた。
「たぁくヨォ、ヤル気ねぇなら走んじゃねぇヨ。俺だって暇じゃねぇんだ」
「すみ、ません」
ようやく息が整ってきたが、荒北さんの言葉が胸に刺さってうまく呼吸が出来ない。俯いて、荒北さんを見ないようにする。あぁ荒北さんごめんなさい、こんなにも駄目なやつでごめんなさい。こんなんだから、俺は、
「次こんなんだったら、ぶっ飛ばしてやっからナ」
次、という言葉に顔を上げる。もちろん荒北さんはまだ不機嫌なままだ。けれど、まさか荒北さんから次をもらえるとは思ってもなかった俺は気にならなくて。きっと荒北さんは、俺を励まそうとか思っていないんだろうけど、だからこそ俺は嬉しくて仕方ない。手を伸ばせない俺に、手を差し出してくれたようで、嬉しい。
「……次こそは負けませんから」
生意気なふうに言えば、荒北さんは鼻で笑うだけだった。それで十分だった。
あとで掴むから待っていて