「少しお前の爪を研いでみていいか」
 緑間は赤司からのその言葉を聞きつつ、なぜこいつの物を頼む言い方はすべて命令しているかのように聞こえるのだろうと眉根を寄せた。あからさまな不機嫌な表情。けれど赤司の緑間を見る目は怯むことなどなく、自分の要求が必ず通ると確信しきっている。実際、緑間はあまり赤司の要求を拒みはしない。それは本人も自覚している。自覚しているからこそ、抗えるだけ抗いたいと考えてしまうのだ。緑間は赤司に負けないよう、内心で叱咤する。こんなところで負けてしまうから、お前は駄目なのだよ。赤司はそんな緑間を見透かしたように名前だけを呼ぶ。
「緑間」
 有無を言わさない圧力がその声には微量ながら含まれている。逆らえばどうなるかわかったものではない。心臓を素手で撫でられたようだった。しぶしぶ、緑間はため息付きで敗北を認めるしかなかった。


 ガリガリと爪を研ぐ赤司の動きに迷いはなかった。むしろ普段から緑間が自分でするような丁寧さがある。もしかしたら、それ以上かもしれない。こんなところでも赤司と自分の差のようなものを感じ、ふん、と緑間は鼻を鳴らす。「いつもお前がしているのを見ているからだ」とは苦笑した赤司の言葉だった。
「それに、やはりお前がしたほうが出来がいいだろ」
「当たり前だ」
 赤司は苦笑さえしなかった。代わりに粉と成り果てた爪の残骸に息を吹き掛け、床へ落とした。掃除は誰がするのだろう、と思いながら緑間の指先はどこかこそばゆい。命のように大事な部分に息を吹き掛けられたからかもしれない。
「お前は本当にこれが大事なんだな」
 ふ、と笑いかける赤司に、そういえば今日はよく笑うなと気付く。決して無愛想なわけではないが、普段赤司は笑わないのだ。代わりに圧倒的な勝者にしか許されない穏やかな顔をしている。緑間はいつもそんな顔を見るたびに自分は敗者であることを思い知らされるようで嫌だったが、こうも笑いかけられたらそれはそれで嫌なものだ。もしもこれが紫原や黄瀬なら普通に喜んでいるのだろうが。
 緑間がそんなことを考えていることを知ってか知らずか、赤司は楽しいんだ、と呟いた。楽しい? なにが?
「お前の心臓を好きに出来ることが」
 つきり、痛みが指先に走る。見れば爪切りの刃が爪に一番近い肉を切っていた。幸いにも血は出ていないが、指先の神経を刺激する程度の傷であるらしく、地味に痛い。緑間は赤司を罵倒しようとしたが、そもそもこれは自分自身が赤司にこの神聖な行為を許してしまった自分に責任があることを思い出し、口を閉ざした。赤司はなんてことないように詫びの言葉を口にする。
「すまない緑間。これではしばらくバスケが出来ないか?」
「……当たり前だ、だから俺は」
 震えた声に、赤司は微笑む。有無を許さないかのようだった。
「大丈夫だ緑間、死んだわけではないのだから」
 いっそ殺してくれ! 緑間は喉の奥でそう叫ぶ。しかし赤司は緑間の心臓を撫でるだけで、殺すことなど決してなかった。



ころさず
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