クライマーは軽いほうがいい。というよりも基本的に自転車乗りは身軽なほうがいい。稀にふくよかな人間や筋肉まみれな人間などもいるが、それでも基本は身軽さだ。根っからの自転車乗りな今泉はそのことを小さい頃から感じ取っている。だから坂道が自転車を始めると聞いた時も、筋肉はないがきっと軽いから大丈夫だろう、と思った。そうでなくとも、坂道には天性の自転車乗りとしての才能が備わっているのだから。
だからといって、軽すぎるのも良くはない。
インターハイが終わり、数日経過しても今泉の熱は冷めることはなかった。今泉だけではない。総北の誰もが未だあの勝利に酔いしれていた。鳴子など片っ端から大阪にいる親族や友人たちに自慢している。今泉もその気持ちはよくわかるのでいつもの悪態を薄くした。そして総北に勝利をもたらした坂道も、筋肉痛と戦いながらではあるが、夢みたいだと笑顔で語る。今泉も夢みたいだという意見には頷いた。けれど、夢ではなく、これは現実だった。
今でも今泉の手には、あの日の感触が残っている。限界まで握ったハンドルを。ゴールしてハンドルを放したことを。それから優勝した坂道を抱き上げたことを。
はた、と、そこで今泉は坂道を抱き上げたことを今一度思い出した。というよりもまだちゃんと手に感触が残っているのだから思い出す必要もないのだ。沸き上がる歓声の中、坂道を褒め称える総北自転車競技部、坂道を抱き締めた巻島の背中、それから坂道を抱き上げた際に見た坂道の笑顔。どれも鮮明に思い出せる。なのになぜ。なぜ坂道の重みを思い出せない? ぬくもりや想いは思い出せるのに。自分もあれだけ満身創痍の真っ只中だったくせに。坂道の重みがまったく思い出せない。いや、むしろ、重さなどあったのか。なにせあのときは、夢のように軽かったのだ。
未だインターハイの余韻が冷めないまま、今泉はただただ今度坂道にお祝いと称して吐くほど肉を食わせてやろうと思った。
夢みたいな話
/高い高いショックそのいち