またアカギさんは喧嘩をしたらしい。ちょっと出てくる、と言ってから帰ってくるまでにどうやらそれは起こったらしく、ただいまと言ったアカギさんの顔や服には血が着いていた。まさかアカギさんが負けたなんてことはないだろうが、怪我はしているかもしれない。俺はすぐに駆け寄り、大丈夫ですか? と訊ね、アカギさんは何が? ときょとん顔で返してきた。
「いえあの、血が着いてますから」
「あぁ。これ返り血だから」
 そうあっさりと答えたアカギさんに安堵する。けれどもしかしたらアカギさんが放っているだけで怪我はあるかもしれないので、血を拭うために手拭いを玄関横の台所の水道で濡らしながら本当に大丈夫ですか? と訊ね、だから何もねぇよと答えたアカギさんに手拭いを渡した。アカギさんは顔と手を拭き、そのまま畳のほうに投げた。あー、あとでアカギさんの服とかと一緒に血抜きしなきゃ。
 アカギさんは靴を脱ぎ、すぐに畳の上で寝転がる。本当は服を脱いでほしかったが、どうせあとで血抜きするからいいかと放って、俺も畳の上で正座する。アカギさんは煙草に火を点ける。嗅ぎ慣れた紫煙の匂いが部屋に広がった。
「なぁ治、お前って煙草吸わねぇの?」
 ぽつ、と静かな部屋にアカギさんの声が響く。俺は一瞬だけ反応に遅れ、しかしすぐに質問されたこととその内容を理解して、いえ、と答える。
「どうしたんですか、急に」
「いや、そういえばお前が煙草吸ってるとこを見たことがないなと思って」
「はぁ……」
 特に意味は無いらしい。俺は少し肩の力を抜き、あんまり煙草に興味がありませんからねと呟いた。アカギさんはやはり興味はなかったのか、ふぅんと気のない返事を返した。けれど俺は、アカギさんが興味のない俺なんかのことに対して何かしらの反応をくれただけで嬉しかった。少しでも、憧れのアカギさんの視界に入っていれば、それで幸せだから。
 そんなふうに浮かれていたら、急に紫煙が顔にかかった。思わず目を瞑ると、アカギさんのあの笑い声が聞こえた。
「な、なにするんです、か」
「いや、なんとなく」
 相変わらずわからない人だ。俺は手で煙を追い払い、煙が薄くなったところで目を開けた。アカギさんが寝転がったまま、俺を見詰めている。感情の読めない目玉に、どきりとした。
「なぁ治、知ってるか? 煙草は吸っている人間よりも、吸っている人間と一緒にいる人間のほうに悪影響ってこと」
「そ、うなんですか。知りませんでした」
「うん。だからお前は今、俺よりも煙草にやられてんだよ」
「……そうなりますね」
 アカギさんの話を踏まえて頷くと、なぜかアカギさんがため息を吐いた。何か間違えただろうか、と不安になったが、それよりも早く紫煙が再び俺のほうに流れてきた。再び目を瞑る。今度はアカギさんのあの笑い声は聞こえてはこなかった。



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