昔から人の人生に値段がつけばいいのにと思っていた。値段の付け方はこの際どうでもいい。それに命に値段がつけばいいのに、ではなく人生に値段がつけばいいのに、が重要だ。別に死のが殺されようが、それはそいつの責任であり買い手の責任ではない。そう、簡単に言えば相手の人生を買うということは、投資のようなものである。よく企業などが有能なスポーツ選手のスポンサーになるが、結局結果を出さなければいけないのは選手のほうだ。それと同じことをするだけ。買い手はただ「俺は金を出してやるからお前はちゃんと結果を出せ。そして結果を出したらこちらに利益を流せ。結果が出なければ捨てる」で済む。まあこの話は金持ちにしか出来ないし、だいたいとても危うい話だ。そもそも人間は自分一人の人生を全うするだけでも大変であるし、下手をすればそこから奴隷制じみたものが出来てさらに悪党のための国になってしまう。今でも金持ちに飼われている政治家などがいるのに。
 それでも俺はやはり人生に値段がつけばいいのに、と思う。特に森田を失ってから。というより、森田を失ってからとうの昔に消え失せていた思考が復活してしまった。つまりは、俺は森田の人生を買いたいのだ。裏社会から足を洗う、と言った森田の人生を。ずっと俺の翼でいてもらうために。命はいらない。心はいらない。ただ俺は、森田を縛り付けるために森田の人生が、未来が欲しい。
 人一人の人生とはいくらなのだろう。あまたの札束を見詰め、妥当な金額を計算するが出てこない。人一人の人生の値段がわからないのだから、森田の人生の値段などもっとわからない。いくら、いくら必要なのだろう。ああ煩わしい。だから元から人生に値段がつけばいいのに。そうすればこんなに悩むこともないのに。森田。森田。
 どうすれば俺はお前の人生をもらえた?



妻離れが出来ない
お題>女顔
/銀さん→→→→→←←森田な銀金が好きです
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