早水圭介はなぜ蓮実聖司が自分を殺すことなく自宅に監禁しているのかがわからない。それも、圭介の認識が間違っていなければ監禁して早くも1週間が経過しているのだ。いつ死んでも、いつ殺されてもおかしくない状況で、しかも躊躇うことなく殺人を行えるような人間の家で。圭介は気が狂いそうになる。死にたくないが、死にたくて仕方がない。そんな心理状態に陥ってしまいそうだ。
 圭介は科学準備室で拷問をされた状態―――ガムテープで全身を拘束され、口にも貼られている―――のまま、蓮実宅の床に横たわっている。身動きを取れば、ギシギシと床の軋む音がし、その音が無意識に圭介の恐怖心を煽った。さらにここには灯りがない。電球はあるが、蓮実が帰って来なければ点かないし、家の奥のほうに投げ出されたせいか、日の光さえも拝むことが出来ない。圭介は心中で舌打ちをする。
 今は何時なのだろう。圭介はぼんやりとそんなことを考える。監禁されてからは気絶するか、怜花と雄一郎のことを考えるか、時間について考えるか、蓮実について考えている。一番最後については考えたくもないのだが、圭介がいる場所が嫌でも蓮実の空気を醸し出しているせいで思考を拭うことが出来ない。
 ガムテープで塞がれた口の中で、嘔吐物が蠢く。圭介は蓮実が帰ってきてガムテープを剥がされてから吐く毎日を送っている。朝に無理矢理胃に流したハンバーグが胃酸と混じり、不味い。飲み込むことさえ出来ないほどに。
 視界がぼやける。生理的な涙なのか、ただたんに気絶する予兆なだけなのか。思考回路がまともに働かないままでは、判断出来なかった。だが、視界が狭まれていく最中、怜花の泣き声が聞こえた気がした。


 蓮実が自宅に戻り、圭介が生きているか確認してみると、ぐったりとして目を閉じているが、気絶しているだけだった。蓮実はふぅむと気絶している圭介をしげしげと観察する。いつ死んでもおかしくないのに、なんでまだ生きているのだろうか。蓮実は思考を巡らせ、恐らく圭介にはそう簡単に死ねないほど心残りがあるのだろうと結論付ける。
 それはつまり、蓮実の正体を圭介並みに知り得ている人間がいるかもしれないという可能性だった。それは無視出来ないことだ。別に、圭介がこのまま死んだとしても困りはしないが、拷問出来るのならば出来るときにしておくに越したことはない。
 口を塞ぐガムテープを剥がす。ベリッ、と一気に剥がすと、口から嘔吐物が垂れてきた。匂いにはもう慣れたので不快にはならない。それよりも、いつもならガムテープを剥がせば起きるはずの圭介が起きないことに、不快とまではいかないがいい気分はしない。頬を軽く叩く。ぱしぱしと目蓋が開く。蓮実はいつものように笑って見せた。
「今日はいつもよりも目覚めが悪いな、早水圭介」
 ぼやけた眼差しが次第に殺意を帯びていく様を眺めながら、蓮実は笑みを称えたまま圭介の右目目掛けて学校から借りてきたハンダゴテを刺す素振りをする。それだけで圭介が、ひっ、と小さく悲鳴を上げるからだ。コンセントに挿してもいないのに。トラウマが着実に植え付けられているのを確認し、やはり最終的にはこれだなとハンダゴテを適当に後ろに投げた。
「また吐いたね。肉は嫌いなのか?」
「……うるせぇ」
 好きか嫌いかを聞いただけでうるさいとは。蓮実は圭介の言葉を聞くたびにこれだから男はという気持ちになる。女が好きな蓮実には問題視すべきことではないのだが、生徒相手なのでどうにかしたい気持ちはある。いつだって、教師は生徒に優しくなければならないのだ。差別はいけない。
「つくづく君をうちのクラスに入れておくべきだったと考えるよ」
「は、なんで」
「情報が少ないからね。俺は、自分のクラスの生徒のことならある程度わかるんだが」
 そう言うと、突如として圭介の態度が変わった。殺意、というよりは怒りに近い。
「てめぇ、まじでふざけんなよ」
 はて、と蓮実は圭介の態度に、何がそんなにも勘に触ったかを検索し、そういえば圭介と仲の良い夏越雄一郎がクラスにいたことを思い出す。大方、自分の友達の個人情報を握られていることに憤りを感じているのだろう。難しい年頃だ。
「ふざけてなんていないさ。俺はただ担任として当たり前のことをしているだけだ」
「……殺してやる……」
 殺意が紛れた、半ば無意識に呟かれたそれに、蓮実は、きょとり、と目を丸くし、そして首を傾げた。雰囲気にミスマッチな、あどけない仕草に圭介はぞわりと背中に恐怖心が駈けたのを感じ取った。この感覚は、蓮実の本性を知った時に似ている。
 圭介がそんなことを考えているとは知らず、蓮実は不思議そうに圭介を見た。事実、蓮実は不思議で仕方がない。なぜこの状態で、俺を殺そうなどと思うのだろうか。圭介の命など、蓮実の指先1本で消えてしまうようなものなのに。蓮実は圭介がわからなかった。圭介が蓮実を到底理解出来ないように。



理解できない幸せ
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