▼Secret service






「この間、へし切り長谷部を見に行ってきたわ。」


屋敷の東側の陽当たりの良い部屋に籠りきりの、長谷部に声をかけた。入り口に背を向け東側の窓の下に置いた執務机に向かい、いつも通り報告書をまとめ、書類に目を通してはそれにサインを書き込んでいる。
本来ならばここの審神者である私の仕事だったけど、長谷部が鍛刀されてから自らそれを買って出てくれた。仕事はないかと聞かれ、一緒にいた加州清光と考えた結果だ。私を含め、誰も得意ではなかった。彼は戦や内番、遠征に加え、無骨ながらも面倒見がよく、家政をも手際よくこなしてくれている。


「ほう。それはそれは、遠いところまで有難うございます。」

「人気者なのね。沢山の行列で、見るまでが長かった。」


背筋をぴんと伸ばし、足を崩すことなく藍色の座布団の上できちんと正座して。武装は解除しているものの、纏っているのはシワ一つない立襟のジャケット。部屋に居るのだから、もう少し楽な格好をしてもいいのではないかと言っても聞かない。これが一番楽なのだと言い張った。


「ご足労頂いた上に、主をお待たせするとは。」


その背中に自分のそれを合わせるようにして座れば、ちょうど中庭の水琴窟が見える。皆の声に混ざって瓶に響く水音を耳にするが、この部屋を長谷部が好むのはその所為か。堅物の彼にも風流な趣味があるものだ。


「一年で貴方に会える期間って、ものすごく短いのね。」

「そうですね。これでまた来年まで暗い蔵で眠ることになります。なぁに、ほんの僅かな時間の事です。」


へし切長谷部は、何でもそつなくこなす器用な人だと思った。加州清光は何をするにも手が覚束無いし、その次に来てくれた薬研藤四郎は豪放な所為かよく茶碗を割っていた。大倶利伽羅も江雪左文字も家事は拒絶し、めっきり役に立たない。大太刀や槍、薙刀に至っては室内での行動が不向きである。
それに比べれば小言は多いものの、要領がとても良いのだ。


「……アレは俺の本体で、決して切り離して考えられる存在ではありません。」


しかし最近ふと、思う時があった。もしかすると長谷部は器用でもなければ、寧ろ不器用なのではないか。無駄の少ないてきぱきとした動きは、彼がそれ以外を知らないからなのではないか。目の前の事をただ正確に一つずつこなしているだけなのではないか。決まった線上を歩かなければ、向かう方角さえ見失うような。そんな気がした。
だとすると、もしかしたら得意ではないことを任せてしまっているのかもしれない。


「ですが、主。頂いたこの身体は貴女の所有です。例え厭まれたとしても、貴女の元を去るつもりはございません。お望みであれば、戦であろうが、馬の世話であろうが別に苦ではありません。」


筆を置き、数枚の書類を重ねてトントンと纏め、それを机の端に避けるとまた新たな別の書類が現れる。


「どうです、これで満足ですか。」

「……何、その言い方。」


声のトーンを切り替えたと思えば、白の手袋を脱ぎ、そして人差し指を机の上でバウンドさせる。コツン。苛立ちを含む爪の音。


「筑前まで行くことを、何故黙ってらっしゃったのです。」

「それは……、えーっと、」

「いつ検非違使が現れるかわからないというのに。勿論、誰か供を連れて行ったんでしょうね?」


背は合わせたまま、手首をがっしりと掴まれた。


「いや、友達と、」


ひんやりとした指先が触れた所から、固まってしまうような。蛇にでも睨まれたかのような、畏怖すらも這い上がってくる感覚に、寒気だち、身震いが起こる。


「どういうおつもりです。軽率な行動はお控えいただくよう、予てからお伝えしていた筈です。」

「日帰りだから大丈夫かなって思って……。だって」


はぁ、と大きなため息を吐いて、身体をこちらに向けながら、ゆっくりと指を絡める。寄越した青紫の目が、曇って見えた。


「楽しそうに荷造りをされていたので黙ってはおりましたが、以後ご注意くださいませ。懐刀の一本は、必ず持って行かれますよう。」


トン、と。長谷部の掌が強く私の肩を押す。咄嗟反応が遅れ、気付いた時には身体が傾いていた。反射して手を伸ばすも、空を切る。後頭部をぶつけないようにと寸でのところで、畳と身体の間に長谷部が腕を差し込み、ゆっくりと私の背中を床に横たえた。


「ビックリした……。」

「俺はそれ以上に恐怖を感じ、驚いたんです。朝起きたら貴女が居ないと、不安で泣き出しそうな短刀達の顔を見たんですよ。」


自室と何ら変わらない木目の天井が見え、その視界に長谷部が割って入る。井草の香りが漂い、髪が擦れてザリ、っと鳴った。


「一期一振が遠征に出ていたからまだなんとか誤魔化せたものの、」

「ゴメン、ゴメン!どうしても貴方に会いたくて、……ってあれ?なんで用意してたの知って……」


畳の上に広がる髪を踏まない様にそっと払い除け、そして耳横に手をつく。壊れ物を扱うかの様に、そっと。その丁寧すぎる仕草にくすぐったくなって身体を動かせば、逃げ場を奪うように反対の手も顔の横についた。


「そこから、貴女の部屋が見えるので。その……、」

「覗いたの?」

「……申し訳ありません。」


悪戯さを含ませて口元を緩め長谷部を見上げれば、泳ぐ青紫。
どこか拗ねたような声で、頭を垂れて反省の色を示すと、差し込む陽灯りで鈍色に光る長谷部の髪。思わず手を伸ばし、それを梳く。
黒も青も、時おり緑をも混ぜたような、不思議に反射して変化を見せるその色は、いつしか私のお気に入りになっていた。


「●●、」


長谷部が肘をつく。50cm以上離れていたのに、ぐんと近付く彼の顔。


「頼むから、不安にさせないでくれ。」

「うん、……ホントに、ゴメン。」


額と額を合わせれば、鈍色が私のそれと混ざり合う。長谷部の首裏に腕を伸ばし身体を重ねれば、感じるのは温かな体温。自分のではない鼓動を数え、呼吸を聞いた。


「真っ暗な蔵に何年も在るよりも、●●を待つ数時間の方が辛い。それはきっと他の奴等も同じだ。」

「そうだね。」

「傍に。居させてくれ。」


この存在が、元は無機質な物だとは未だ信じられない。


「へし切長谷部。綺麗だったわ。」


瞬間に湧いた、重く冷たい空気に圧される。彼が触れる度に、染み込んでくる憂いと餓え。長い年月をかけて育った、主に対しての呪いにも似た感情を、絡まる視線の中から掬い取って抱き締めた。


「今宵は、俺の部屋に御足労頂けませんか。」

「……夜だけ?それで良いの?」


一度大きく目を見開いて、長谷部の喉が鳴る。シャツから少しだけ覗くその首に、ちゅ、と吸い付けば、モルヒネでも射たれたみたいに、くらくらと遠退いていく意識。背中から底の底へ落下する感覚を甘受して、朦朧とするままに長い瞬きを繰り返した。


「はぁ、……そんなに煽るな。朝まで返せんなくなるだろう。」


余裕のない声と吐息が脳から全身に行き渡り、彼の香りに閉じ込められ、鼻の奥がつんと痺れる。
啄むように降る唇を受け入れれば、深く深く貪って噛み付いてくる行為に変わり、ただただそれに応えた。

彼がこの本丸に現れた時から、きっと決まっていた。私が私で居られる間は、この想いを受け止めるのだと。人の世は短い。その僅かな時間で彼に何かを残してやりたいと思う。どこにも行けなくなるような、そんな馬鹿げた呪いを返してやりたい。恒に傍にいたいのは私の方だ。


「うん、……いいよ。」


そう言うと、蛇が笑う。
心が掻き毟られる様に粟立った。
もう底無しの沼に、両手放しで沈むことを望もう。この呼吸さえもままならない夢に。





20160212

end

会った刀剣シリーズ作りたいな!



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