▼HOLIC







「ほ、堀川くん……?」

「はい。」


背中にはひんやりとした土壁。服を通り越して肌にも伝わってきた、その冷たさ。障子に手をかけた堀川国広が、冷たく笑う。ズルっとバランスが崩れて、床にお尻が着いて。不意に外が見えた。開けっぱなしだった障子の向こう側に、朝方降った雪が残っている。
右手で前髪を引っ張る癖がいつの間にか出てしまい、漸く着なれた袴をきゅっと握り締めた。




HOLIC




「う、内番はどうだった?」

「無事終わったよ。」

「……そう。」


丁度切りの良いところまで仕事が進み、空気の入れ換えにと戸を開けた。朝に火を起こしてもらった火鉢のお陰で冷えることもなく過ごせたが、少々暖かすぎる室温に眠気がちらついた。冷気を感じると、人の身体は無意識に二の腕を擦るようだ。気温差に小さく身震いし、向かいの離れから此方へやって来る人の気配に目をやる。

親しくしてくれている堀川が、審神者用の部屋を訪れることも不自然ではない。それは彼だけではなかった。此処にいる誰もが、何の気なしにこの部屋へ訪れる。縁側でただただ座っている者もいれば、献立の相談だったり、本を借りに来たり、一日の報告に来る者も。そんな何気ない事が、私にはとても居心地が良い。

だが、今日の彼は違った。何か違う。
その何かがとても怖くて、外気の冷たさを際立たせた。逃げるかのように部屋へ戻れば、鴨居をくぐる堀川。


「他に何か仕事はない?お茶でも淹れてこようか?」

「い、今は大丈夫。ありがと。」


シャンプーもコンディショナーにも拘りはなく、肌もこれと言った手入れもしていない。服は元々着ていたもので構わないと思っていたし、櫛は乱が使わない時にちょっと借りる程度で事足りる。“女子力”と言うものが私には欠けているのも自覚済みだ。歌仙に口煩く、雅が何とかって怒られる毎日。


「朝に言ってた書類は出来たの?」

「えっと、長谷部が手伝ってくれたから」

「それなら良かった。」


だった、のだけれど。
審神者に就任してから間もなく彼がうちに来てくれてからと言うもの、朝に髪を結い上げてパリッと仕上げた袴を用意してくれるようになった。
兼さんにしていた所為かな、どうやら癖みたいと言いながら。


「……う。」


買収していたお供の狐に人参を食べてもらったのがバレた時も、仕方ないなと笑ってくれたし。(その後暫くは、光忠に何でもかんでも人参を混入されてしまったけど。)顔を洗う井戸水が刺すように冷たい時は、沸かした湯を少し混ぜ、風邪をひかないようにと羽織を貸してくれた。小雲雀に乗る時は手綱を常に持ち、万屋に行く時もお供を嫌がりはしない。報告書を作るために部屋に籠った日は、季節に合わせた甘酒を持ってきてくれることもあった。
錬度が低いうちは短刀達と走り回り、次第に太刀や槍顔負けの戦をしてくるようになって。戦績も宛ら、資材集めも、刀装作りも器用に熟す。何度か近侍に就いてもらった時は、なんて仕事が捗るんだと感心した程。


「ん?どうかしたの?」


兼定と同じくらい甘やかしてもらっている自覚はあった。


「きょ、今日は、」


首元の紅いリボンタイは無造作に緩められ、白いシャツは釦がいくつか外されていた。彼に清潔感を与えている筈のジャケットを珍しく着崩し、くしゃくしゃと髪をかき揚げる。畳の上を無駄のない所作で滑る様に歩いて目の前で屈み、いつも連れ歩いている本体を床に置いた。
苛立ちすら感じられる程の口調と、ピリッとした痺れが空気を伝う。瞬きを繰り返して、いつの間にか下がりきった頭をゆっくり上げる。にこやかな笑顔はいつもと同じなのに。冬の朝も、白い雪も、軒下の氷柱ですら比にならない冷たさを、彼が放っているものだと理解すると、急にゾッとしてしまった。


「……今日は、なんでそんなに、……怖いの?」


審神者と言う立場だから優しくしてくれていたの?本当は世話を焼くのが煩わしかったの?ずっと我慢をさせていたのなら、気苦しさで押し潰されそうになる。
出来るだけ目を合わせずに、出来るだけ声を押し出して。握り締めた所為で袴にはもう、大きな皺がついてしまった。
明日からは自分で何とかしなくては。いや、そういう問題ではないのかもしれない。堀川や他の皆に支えてもらってばかりで、審神者としても未熟なのに。迷惑だけはかけないようにしなくてはと、意気込んで就いた筈だったのに。毎日の心地良さに、張っていたはずの気が消え失せて、怠惰に流されている。

もうこんな本丸には居たくないだとか、他の審神者に交代を希望とか。そんなことを思っていたら、私は彼らになんて謝れば良いんだろうか。謝る位で許してくれるんだろうか。


「ほ、堀川、私、あの、えっと、……」


あ、駄目だ。声が震えて、目の前が滲む。泣いてしまうなんて。


「あれ!?●●ちゃん、なんでそんな、え、これは、もしかして」

「ごめ、ん……どこにもいかないでぇぇぇぇ」


ボタボタと目から零れて、頬を伝い、袴の上に落ちた水滴を見て、つられて喉がなる。泣いてどうにかなる筈もないのに、悔しくて悲しくて。彼が居なくなるかもしれないと思えば思うほどに、その粒は大きくなる気がした。


「待って!違うんだよ、これは!」

「国弘ぉ!そこの台詞は違ぇだろ!」

「か、兼さん!で、でも、それどころじゃないよ!これは失敗だよ!」


キュッと固く握りしめて白くなった拳を掬い焦った声をあげる堀川に、いつもの彼が戻った気がした。それに縋りそうになったところで、スパンと小気味良く滑り開いた襖。


「え……?兼定?」

「よっ!主!どうだ、新堀川国広は!」

「新?……新ってどういう、」


内番姿の出で立ちでたすき掛けの紐までしたままの和泉守兼定が、相変わらず威勢の良い声と共にドシドシと音をならしながら踏み締める畳。


「なんだぁ、二人とも暗ぇ顔しながら、手なんか繋いで。」

「いや、兼さんこれはね、」

「まぁなんでも構わねぇが。聞いて驚け、堀川国広イメージチェンジ作戦だ!」


腕を捲り上げる動作をしながら、嬉しそうに堀川の背中をバンバンと叩くと、さも当たり前のように言う。自信たっぷりで、何かを企んでいるように。
隣でそれを聞いていた堀川が、ちゃんと説明しないと、とそれを落ち着かせた。


「必要ないって言ったんだけど……」

「いーや。お前は地味なんだよ!たまには流行りをってもんをだな。」


頭を整理させようにも、こんがらがって流れが見えない。イメージチェンジと本丸に対しての不満とどういう関係があるのだろうか。


「ちょっと待って、兼定!私、話が、よくわからないんだけど!」


「ん?ああ、主に借りた本があったろ?あれにクールな男が何とかって書いてあったから、オレがコーディネートしてやったぜ!」

「え、っていうことは?」

「ちょいとした遊びってやつだ!」


そう言えば流行りの本を貸してくれと、昨日聞きに来ていたのを思い出した。先日持ち込んだ雑誌を何冊か適当に渡しはしたけれど。
冷たいと感じていた空気はいつの間にか消え失せて、代わりに持ち込まれたのは豪快な笑い声だった。その温度差に頭がついて回らない。さっきまで流れていた涙はもう出る気配もなく、うっすらと頬に跡を残している程度。


「ロールキャベツ系っていうのが流行ってんだろ?国広にちょうど良いじゃねぇかって、閃いたのさ!」

「本当にそんなのが流行っているとは思わなかったんだけど……。」

「国広ははまり役だと思ってな!」

「そうかなぁ。」


二人の会話を聞いていると、ホッとしたのか気が抜けたのか。畳の上に突っ伏すように、身体の力が抜けた。


「なんだぁ、……それなら良かったぁ。」

「●●ちゃん、驚いた?ごめんなさい、怖がらせちゃって。」

「うん、なんか変にハラハラしたよ……。」


ぐるぐると頭の中を駆け巡った悪い予感が掠りもしていなくて良かった。堀川が居なくなるかもしれないって思ったら、背中がゾクゾクして血の気が一斉に引いて、胃の辺りが潰れそうな程気持ち悪かった。


「此処が嫌になって、機嫌が悪いのかなとか……色々思って、」


面白かったと興味がすでに次のものに移ったらしい兼定は、騒がせるだけ騒がせて去っていく。少しだけばつが悪そうな堀川が笑みを浮かべて寄越すのにつられ、自分のそれも解されたように動いた。
何故彼が居なくなると思ったのか。


「うーん。あのね、何を勘違いしたのかはわからないけど、」


まだ一年程の縁とは言え、何故彼を疑ったのか。こんなにも毎日を共にして、私を支えてくれているのに。


「涙が見れたのは予想外だったかな。」


●●ちゃんの面倒は、ボクの刃生が終わるまで見させてね。絶対だよ。
スッと手を引かれ、耳元に口を寄せて、聞こえるか聞こえないほどの声で、囁く。ニコリと堀川の弧を描いた唇が、どこか妖しくも見えた。


END

20160203




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