▼春の沫雪 ※クロスオーバー注意 「―――何故、その話を私に?」 本丸に帰還するつもりだった。 彼女からの帰城命令を受け取って、共に出陣した弟達と戦場から離れた筈だった。 一歩、踏み出した所で、地面は真っ黒になり、グニャリと歪んだ視界。そこには確かに地が在る筈なのに、一切の感覚が消え去った。横に並んで歩いていた筈の姿もなく、音も、風も、光もない空間だ。 ハ、とその無を認識した瞬間に、足は見知らぬ部屋の床を歩き、目の前は本で溢れていた。 ここが誰かの、ただの書斎ではないことは、一瞬で理解ができた。 天がない。扉もない。 そして、中央に構えている長いテーブルの先には、コムイ達から聞き及んでいた道化の姿があった。 大きな口がニッと笑う。 腰に携えた、自分自身の柄を握る手に力が籠る。鞘の中で武者震いするかのように、小さく刃が鳴った。 「まぁ、落ち着け。その物騒なものから手を離しなよ。」 「そうデス、一期一振 ![]() 道化の隣に座っていた男が口を挟む。組んだ足を揺らしながら、頭からシルクハットを下ろした。それに合わせて、整えていた髪がはらりと乱れ、額に現れた傷のようなもの。大倶利伽羅に似た褐色の肌に、切れ長の金眼。刻まれたソレは、どこか禍々しさを放っている。 以前、刃を交わしたノアにも同じものがあった。 「何を、企んでらっしゃるのかはわかり兼ねますが、それ相応のお覚悟はあるのでしょうな。」 「いや?君に斬られる気は微塵もないな。」 ギシッと椅子の足を鳴らし、背凭れに深く身体を預けた。ジャケットの内ポケットからシガーを取り出し、パチンと指を鳴らせば、くゆる紫煙。 「行儀が悪いですよ、ティッキー ![]() 「カタイコト言うなって。」 何処からともなく出したティーカップに、何処からともなく出したポット。溢さないように丁寧に注がれるソレは、誰が持っているわけでもない。 夢でも見ているのかと疑いたくなるような光景だ。 「……甘く見てくださるな。」 腰を低く落とし、右手を頭に添える。左手の指で鍔をクイッと押し上げ、右足に力を込めた。 「待ってくださイ、我々は貴方に期待しているのデスヨ ![]() 「君なら、こちら側に来る可能性があると思ってね。」 真っ白てテーブルクロスの上を、ティーソーサーに乗ったカップが滑る。ソレは目の前でピタリと止まり、ティースプーンと、角砂糖までも添えられていた。 「……戯言を。」 「イイエ、黒の教団の最後の良心、とでも言える一期一振だからこそデス。貴方は絶対にこの話にノるデショウ ![]() 千年伯爵の声が、天の無い空間に響く。それは抑揚の無い、何を考えているのか全く掴めない声だった。 「まずはソレを納めて、席に着くのデス ![]() 千年伯爵が人差し指を振ると、椅子が背後に回り込み、腰を掬い上げるようにして座らせた。振り落とされないようにサイドについてある肘置きを掴めば、置かれたティーセットの前へ勢いよく進んでいく。ブレーキがキュッとかかり、少しだけ反動で浮く身体。 「話し合いを始めまショウ、一期一振。貴方はきっと、自ら我々を選びマス。」 大きな口から覗く歯が不気味に光る。 持っていたキャンディ棒を振り回し、そして齧りつけば、ジランドールが灯るテーブルに三段重ねのティースタンドが並ぶ。金の装飾が施された華やかなトレイの上に、溢れんばかりの果物や、甘い香りを放つスコーン。 毒々しいまでもの鮮やかな赤い薔薇が所狭しと咲き乱れ、更にテーブルを彩った。 「……何故、この話を私に。」 ティキ・ミックがフッっと煙を吐き出し、目の前のカップにトントンと弾いて灰を落とす。 「私には忠誠を誓った主がいます。勿論守りたいと思う弟達もたくさん。……そんな私が何故、貴殿方につくと思われるのですか。」 「それデスヨ、一期一振。貴方は人の身体を得テ、たった数ヵ月しか経ってイナイ。」 「……」 「それなのに貴方は実に人間臭くて、……実に滑稽なのデス。」 眼鏡が怪しく光り、冷たさだけを封じ込めたような目が覗く。淡々と話ながら飴を豪快に租借し、両手でパチンと指を鳴らした。 その音と共に部屋中の蝋燭の灯が一斉に消え、床が消えた。そして辺りを埋め尽くしていた本の山が、真っ黒な底無しの床に落ちていく。 自分達の回りの物だけがそのままを維持し、それ以外が消え去った瞬間。 ヴヴヴと不快な音をたてながら、歪んだ空間からレベル3のAKUMAが六体、テーブルを取り囲むように現れた。 「……っ、」 息が詰まったのはそこからだった。AKUMAの隣に、身の丈の三倍以上ある槍を持った検非違使が並んだのだ。どんなに困難な戦でも、三体しか同時に出現することはなかった。その三体を倒すことは、熟練者である三日月宗近ですら手こずった。 ここには自分しか居ない。 →続く 20150818/20150819/ ←一覧へ |