▼Sweetness such as the candy “紫っちは難しくないッスか?” 高校生の間で騒がれているモデルの黄瀬涼太が、初めて逢った時にそう耳打ちした。 Sweetness such as the candy 「●●ちん」 耳元で低く響く。気だるさしかない、飄々とした声で。 私の名前を呼ぶ。 クラスメイトの、しかも隣の席の彼が、私の名前を呼ぶ事にはなんの疑問もなければ、至極普通のことだ。 ただ、今は違う。教室でもなければ、隣に座った状態でもない。 「●●ちん、この間黄瀬ちんと何話してたのー?」 時計の短針が8を指す、食事を摂る者が多いこの時間。昼間のように、寮は再度静かになる。隣の部屋の住人も数分前に出ていったきりで、廊下を人が歩く音もなければ、気配もない。 聞こえるのはコチコチと時間を刻む時計の秒針と、10cm程離れた位置にある心臓の音。 顔色ひとつ変えずに私に問うたのは、この部屋の主。 部屋に招くなり、人を床の上に転がして、“よっこいしょ”と気の抜けるような声と共に私の上に降ってきたくせに。至近距離で聞こえるその心音は、いつもと変わず一定の早さで鳴っている。 鼻と鼻がぶつかるような距離に要るのに。敦の好きではない試合の最中ですら、速くなるのに。 私の心臓はこんなにも壊れてしまいそうな位、煩いのに。 彼の音は、ゆっくりとマイペースだ。 「ナイショの話?」 顔の横に伸ばされた右腕が、逃げ道を奪う。と言っても、最初からそんなものは存在しない。覆いかぶさってきている時点で、私に身動きは殆んど取れやしない。 気怠さの中に不機嫌さを孕んで、空気をピリつかせた。 「ねぇ、聞いてるー?」 『……っ、聞いて、る、』 「ホントにー?」 大きな手が私へと伸ばされて、髪の毛を弄ぶかのように掻き分けた。そうして露になったそこに、敦が口許を寄せる。 わざと小さく発された、ワントーン低めの声。耳のすぐそばで発されるソレに、恥ずかしさで上擦る声。それに機嫌を良くしたのか、クスクスと笑い声を漏らした。 敦が動く度に、寮の浴室に置かれているであろう、なんの変鉄もない石鹸の香りがたつ。 その噎せ返るほどに迫る香りが、鼻腔から入って脳に駆け巡り、心臓を煩くさせた。 『こ、今度の合宿の日程とか、試合の事とか……そんな程度の事、だよ、』 「……ふーん」 天井の照明を遮る様に私の視界を埋める、2mの身体。伸びた髪が彼の肩からするりと重力によって落ちてきて、それが頬を掠めた。 部活上がりにシャワーを浴びたようで、触れた手がホカホカと暖かく、乾ききっていない髪の先には水滴が付いている。 手入れは殆んどしていないと言っていた髪なのに、残った水滴に部屋の照明が反射してキレイだ。 「まぁ、なんでも良いけどねー」 首筋にまとわりついていた髪を払い除けて、そっとそこに手を這わした。 ゴツゴツとした敦の手の感触が、くすぐったい。 壊れ物を扱うように優しく、けれど形を確かめるようにしっかりと。 耳の後ろから、ゆっくりと下りていく。 「●●ちんて、噛みつきたくなるよね」 『ちょ、……っ、敦が言うと、冗談に聞こえ、』 「んー?別に冗談じゃないしー」 なんて、無邪気な声で首筋に鼻を埋めながら笑う。敦の指が首筋を伝い下りる度に、声と共に漏れる吐息が触れる度に。 大げさな程に、私の肌は反応を見せた。 「アララー、顔、真っ赤。……林檎飴みたい」 悪戯に舌を覗かせながら、目を細める敦は質が悪い。 まるでコロコロと、口の中で飴を転がす様に。それに反応する私を面白がっている。気ままに、子供の様に。 それでいて、どこか大人の目つきをする。 『っ、』 その強すぎる刺激を消化しようと、目を閉じた。敦の目の奥の鋭さも、それに写されている自分も、敦ごしに見える天井も。 どれもが私に攻撃してくる。 息が苦しい。呼吸がしにくい。 「●●ちん」 敦の声に息が詰まる。 トクトクと煩く、そして早く全身に血を送り出す心臓に踊らされて。 眩暈。 瞼の奥がキィンと鳴った。 『……やだ、』 「ダメだよ、●●ちん。目は開けてくれなきゃ」 “ねぇ” 麻痺させるかのように届く敦の声に、一度大きく息を吐き、ゆっくりと眼を開ける。 大きな身体を、背中を丸めて、部屋の照明を全て遮断して。 敦の眼に映り込む自分が見える程、それは近くにあって。 真っ暗な視界の中、敦の眼しか見えなくて。 『あつ、し……、』 敦の声と、敦の温度と。 敦しか見えない空間で、敦に溺れてしまいそうで。 縋る様に、彼の肩口を掴んだ。 「きっと美味しいんだろうね、●●ちんは」 そう言って、視界から敦が消えた瞬間。 首筋に這う唇。ハムハムと甘噛を繰り返しながら、掠める舌先。 さっきまでの手の感触とは、全く比べ物にならない。 一瞬で、頭が沸騰してしまいそうだ。 目がチカチカする。 『……っ、ん、』 「……ほんと、食べちゃいたい」 『なっ、』 「声まであまいよねー。……自覚ないでしょ、そういう風に見られてるって」 『……自覚?』 “そう”って、敦が私に向ける目が優しくて鋭くて。撫でるように触れる心地良い熱さに、今自分がどういう状況なのかを忘れていた。 隣の席の、同じバスケ部のクラスメイトに、彼の部屋で彼に至近距離で見つめられていて。 心臓を鷲掴みにされたようだった。酸素に見放されたかの様に、一瞬呼吸は止まり、背筋には緊張が走る。敦の視線から逃れるように、無意識に目が泳ぎ退路を探した。 そうして漸く、自分の“今”を知ったのだ。 「●●ちん。いい加減俺を見てよ」 『敦、』 「俺、すっごい我慢したし」 バスケットボールか、お菓子か。 そのどちらかに触れていることが大半の、敦の大きな掌が私の両頬を包み、額に彼の額が触れた。いつになく眉間に寄せられた皺が、固く伏せられた目が、切羽詰まった様に囁く声が。 泣いているのかと思った。 WCに見せた彼の必死。それが自分に向けられているように思えた。 敦の今まで生きてきた人生の大半を費やしてきたバスケと同等の扱いか、もしくはそれ以上か。 『が、我慢って……』 「我慢だし。ねぇ、そろそろ俺のものになってよ」 一言一言発せられる言葉が、脳に浸透していく。 煩かった心臓が、麻痺していた脳が、ゆっくりと正常を取り戻して、ゆっくりと信号を送った。 「―――っ、●●ちん!?」 そう言う敦に、手を伸ばし引き寄せた。 身体がぴったりとくっついて、服越しに湯上りの暖かさが伝わって。 腰に触れる手はどこかぎこちなく、倍以上ある体重を気遣っているのか、敦の身体がこわばる。 さっきまで私の反応を楽しんでいたのは何処の誰だと、聞いてやりたいくらいに大人しくなった。 2mを超える長身の彼が、私の腕の中。 「……もう何、急に、」 私の肩口でもごもごと早口で話す敦からは、先程までの余裕なんて全くない。 借りてきた猫のようだ。 私よりも頭一個以上大きいくせに。小さく収まる彼が、無性に可愛く感じた。 『じゃあ、私に敦をちょうだい』 そう伝えれば、きっと。今度は敦の頬が赤くなる筈。 end 20140629 妖精さんがっちょっと頑張った話でした。 ←一覧へ |