▼crafty as a fox 「珍しいやんけ、■■がこんなところにおるなんて」 休日の雑踏。 すれ違う人が、穏やかな空気を放っている。 平日のストレスをどこかに置いてきて、友達や家族や恋人との時間を楽しむ聲で溢れていた。 スターバックスでラテのトールサイズを注文し、そこに少しだけ落とした蜂蜜。 仄かに癖のある濃厚な甘さが、冬の刺す様な寒気を和らげてくれる。 柔らかな聲色が耳に届いたのは、悴んだ両手でカップを包んで、人ごみの中に身を投じようとした頃だった。 『そっちこそ珍しい』 眼にする大半が、制服姿。 私服を見るのは初めてなんじゃないかという彼が、紺色のPコートに白シャツという出で立ちで、同じくスターバックスのカップを持っていた。 定期試験結果の順位はいつもトップを飾る彼の大きめのトートバッグから覗く参考書の山は、私の到底及ばない大学のものばかり。 この間の小テストも抜き打ちだったにも拘らず、クラスで一番だったようだ。 出来る人間はとことん出来る様で、バスケ部の主将を務め、優秀な頭脳を駆使して打算的なプレイをする。……らしい。 実際のところ高校三年間同じクラスになっていながら、部活姿は見たことがない。 見ていなくとも、彼の、今吉翔一のサクセスストーリーは嫌と言う程知っている。 学年問わず、周りの女子たちが騒ぎ立てるのだ。 『参考書を買いにね。今吉は?』 「ワシも本屋にな。その帰りの息抜きっちゅーところや」 ショートサイズのカップを目線まで上げて、三白眼の眼付の悪い彼が、柔らかく笑う。 『今日は須佐は一緒じゃないの?』 「そんな毎日一緒におらへんよ」 『そうなんだ?』 同じクラスが続いて、毎日挨拶を交わして。 何度か隣の席になって、何度か一緒の委員会についた事もある。 それでも彼の私生活やその他諸々、知らないことが多いなと、ふと感じた。 Pコートとか着るんだ。 学校で付けてる眼鏡とちょっと違う。 毎日逢っている彼とは全然別人のように見えた。 「■■、何飲んでるん?」 『え、あ、ハニーラテ。今吉は?』 「ブラックや。試験勉強は疲れるさかい、カフェインを摂らなな」 クイッと、眼鏡のフレームを上げる。 度のきついレンズ越しに覗く眼が、疲労の色を含んでいた。 殆んどの時間を勉強とバスケットに費やしている彼と、こんな時間を共有することは稀で。 学校でも当たり前の様に呼ばれる名前が、いつもの、学校ではない場所で発されて、耳に届くと言うのは新鮮過ぎて。 ある一定の距離を保っていた筈なのに。 思いもよらぬ、急接近で。 「ん?」 『や、なんでもない』 ヒールを履いてきたのにも拘らず、確実な身長差。それでいて普段よりも近い距離感。 そんな事で浮ついているのは多分自分だけだ。 違和感と、何とも形容しがたいむず痒さと。 口に含んだハニーラテの味なんて、全くしなくなっていて。 ごくりと喉を鳴らして、飲み干したカップをゴミ箱に投げる。 流石バスケ部。綺麗な放物線を描いて、シュートを決めた。 「これから何すんの?」 『え?』 「家、帰るとこやった?」 『あー……えっと、』 よっこいせ、と何冊もの重量級参考書の入ったカバンを肩に掛け直し、此方に振り返った。 『ちょっと部屋に籠ってると疲れるから、気晴らしに散歩でもしようかなーと』 ホットを飲みながら、気分転換に歩いて、疲れたら公園かどこかのベンチで座って。 そんな休日をたまには過ごしても良いだろうと。 その為に大きめのサイズを買ったのだ。ここでこんなに時間を要するなんて想像もしていなかった。 手の中のラテは、もうすでに温くなっているのが分かる。 「それやったらちょうど良かった。ちょっと付き合うてよ」 『は?』 「この先にバスケットコートがあるんよ。気分転換に寄ろうかと思っとったんや」 『な、なんで私、バスケとか出来ないし、』 「知っとる。そろそろ見てくれてもえーやん、ワシのバスケ。……な、」 両手からスタバのカップを抜き取って、人質だと言わんばかりに歩き出す。 「ずっと見せたかってん」 人ごみを避けながら数歩先を、こっちや、と誘導する様に歩き、行ったことのない三叉路を曲がる。 ヒールと、人の波と、よくわからない出来事に足を取られて。 解けない数式に、訳せない英文に出会った時以上に、頭が混乱する。 友達に誘われても、女子が騒ぎ立てても、彼の部活姿だけは見に行かなかった。 見に行ってはいけないと、頭の中でセーブしていた。 行かなくったって、わかる。 癖のある笑い方。 眼鏡のフレームを上げる仕草。 黒板にチョークを走らせる姿。 プリントを配る指先。 ■■、と呼ぶ聲。 待って、と。 顔を上げて、今吉翔一に聲を掛けようとした先。 クイッと眼鏡を上げて、甘いハニーラテに口付けた。 「早ぉ来てや」 ゾクッと背筋に走る予感。 眼鏡の奥の糸眼は打算的で、腹黒い。 初めて見せたシュートがあれやなんて、カッコ悪いやろ。 end 20140126 今吉先輩ください。 ←一覧へ |