▼イノセント 「……あかんなぁ」 うちのエース様はえげつない。 ワシらがいくらグラウンドを走ろうが、アイツには関係あらへん。 珍しく集合に間に合ったと思えば、練習せんと気紛れに桜井をからかう。 力任せのシュートを放っては、気ままにいつの間にか帰っていく。 確実にゴールネットを揺らして。 コート全体が見渡せる壁際で部員の練習の様子を眺めながら、年下のエースの姿を思い出した。 頭ではあいつのボールに追い付いている筈で、アイツを足止めする術を持っているのに。 気が付いた時にはワシのディフェンスは簡単に抜かれ、ワシのオフェンスは通用しない。 何時間練習しても、何倍練習したところでその差は埋まらへん。 それは火を見るより明らかや。 『何がですか?』 「……っと、見に来てたんか。●●、」 『時間が出来たので』 体育館には不似合の書類の束を持ち、それをパラパラと捲りながら言う。 委員会に引く手数多の彼女は、汚れのほとんどない体育館シューズを鳴らし、汗だくになりながらボールを追うバスケット部員を見渡した。 書類だけやない。 彼女自身もこの場所が似合わへん。 汗なんてかくことがあるのかと思う程、細くて生っ白い肌に、涼しそうな顔が常。 何人かが●●に気付き、それに応える様に軽く挨拶を交わす。その光景もまだ新鮮な気がした。 週に何度かの体育と、年に何度かの式事以外、縁がなかったのだろう。こんな汗臭い場所とは相容れない空気を、彼女は持っている。(確かに数ヶ月前まではそうだった。と聞いている。) 『で、何が“あかん”のですか?』 手にした書類を抱え、覗き込むように視線を寄越す。 普段彼女の口から洩れることのない言葉をワザとらしく使い、再び問うた。 「聞こえてたんか」 『聞こえてますよ、随分難しい顔してましたから』 自分の眉間を人指し指でトントンと叩き、その指がそっとワシの額に触れる。 その手をそっと払うと、小さく息を吐いて、横に並ぶように体育館の壁に凭れた。 この季節の壁付近はコンクリートが外気に冷やされて、暑苦しい体育館の中でも一番涼しい場所だが、さっきまでエース様とボールを取り合っていたのだ。息は整ってきたものの、まだ汗は引かない。 「今汗だくやから、触らん方がええよ」 『別に……気にしませんよ』 「ワシが気にするわ」 肩を上げ、頬を伝う汗を拭う。汗で張り付く前髪が煩わしい。 真夏のような自分とは対照的に、冬の制服に黒のカーディガンを羽織った●●を見下ろせば、くりくりとしたビー玉の様な眼が不満の色を宿した。 『で?』 「別にたいした事じゃ、」 『そう言って教えてくれないつもりですね』 小さく息を吐いて、手に持った書類に視線を戻す。 あくまでも戻しただけで、捲る書類の内容は多分一切読んでいない。 いや、本人は読んでいるつもりかもしれないけれど、こういう時は殆んど頭に入っていないようだ。 人に指摘したのにも拘らず、●●も眉間に皺を寄せた。 拗ねさせてもうた。 軽く伏せてしまった長い睫毛が、気になって仕方ない。 どうにもばつが悪い気持ちを整理させるように、髪をくしゃりとかき上げる。 どうやら自分はこの小さな少女に随分弱いらしい。 前から自覚していたつもりだった。けれど、それを再度思い知ってしまった。 「……青峰からボールはやっぱり取られへんな、と思っただけや」 『今更、なんじゃないんですか?』 「まぁ、今更なんやけどな。さっきミニゲームして、やっぱりあいつには勝たれへんかった」 練習に対して不真面目で。バスケットに対しても、手を抜いているのに。 そんな奴に負けている自分に、もどかしさと苛立ちを感じるのに。 どうすれば勝てるのか、得意な打算でも答えは導き出せない。 『えらく弱気なんですね』 「まぁな。エースや言うても、相手は年下やから。勝ちたいんやろうな」 バスケが好きで、一日何時間も練習を重ねてきたけれど、その中学時代から勝てたことのない相手。 悔しいと何度も思った。 帝光中学さえ出てこなければ、きっとトップを経験出来ただろうに。 成果がベストの状態で出ただろうに。 帝光中からエースを引き抜いて、桐皇のエースに据えたのも自分。 皮肉なものだ。 『今勝たなくても良いんじゃないですか?』 ●●の聲と、トントンと眉間を叩く指に、は、と顔を上げる。いつの間にか顔を顰めていたようだ。 彼女の指が去ったそこを摩ると、“癖、ですね”と小さく笑う●●が見えた。 『バスケットの事はよくわからないのですが、今は青峰君と同じチームなら、』 制服のポケットからハンカチを取り出し、首筋に残る汗をポンポンと拭いて“どうぞ”と差し出す。 女の子らしいレースがあしらわれたソレは綺麗にアイロンがかけられていて、自分には似つかわしくない位、無垢だ。 今吉先輩はエースをどう生かすか、を悩むべきでしょう? 勝ちに変に拘りすぎです。 真っ白な筈なのに。 くすくすと含む様に悪戯に笑う●●は、どこか自分に似ているんじゃないかと思わせる。 それは至極簡単なこと。 桐皇におる限り、青峰に勝つ必要はない。 部員たちのバスケットシューズが、フローリングの上をキュッキュと滑る音がやけに小さく聞こえた。 『いつもの憎ったらしい顔で、胸のすく様な試合を見せてください』 ●●の細くて白い指が前髪を撫で、掠める様に肌に触れる。 冷たくて、心地が良い。 「……憎ったらしいは余計や」 その手を掴むと、折れてしまいそうなそれが、すり抜ける僅かな間に応える。 ひんやりとした指が微かにきゅっと絡まって、名残惜しそうに離れて。 有難い事に、煩わしい思考はその指で払いのけられ、鬱いでいた気分は晴れた。 ただ面倒な事に、練習への集中力を奪われてしまった。 『今日、委員会が遅くまであるので、一緒に帰りましょうね』 打算的で腹が黒い、と悪名高いワシの横で、計算なんて頭にないような純粋な顔をして、密かにいたずらに振る舞う。 “かなわんなぁ”と、お返しに●●の頬を撫でた。 End 20131119 ちょっと迷子になりつつの今吉先輩! 書き終わってから、部活中に何イチャイチャしてるんや…と思ってしまった。 不自然な関西弁があったら申し訳ありません。 滅多に関西弁を文字にしないので、関西人ですが自信ないです。 小話程度と言うことで! ←一覧へ |