▼出逢い
もう二度とこんな処、来るまいと思った。
幾つか設けられた洋燈で明るく艶やかな室内に、
焚かれた香と酒の香りが交ざり合い、女達の高い声が響く。
片腕に感じる知らない温もりと、
周りに顔を連ねる上司や先輩達。
「一ノ瀬様、御代わりを」
「あ、あぁ…」
隣でコロコロと笑う度に揺れる簪が酷く目につく。
容易に触れてくる彼女に苛立ちを覚えた。
噎せ返るような香に息苦しさを感じ、
上まで留めていた釦を幾つか外し、
は、と小さく息を吐き出せば、
嚥下したアルコォルが身体中を侵食した。
「口に合わないか、一ノ瀬?」
「いえ!そう言うわけでは決して…」
「一ノ瀬はこういった処に来るのが初めてらしいですよ。」
隣の芸者から酌を受けながら、怪訝な表情を浮かべた上司、
祖父の代からお世話になっている恩人である家柄だ。
自分の隣に座る先輩が助け船を出してくれたお陰で何とか切り抜けられたが、
少々焦った。
コツンと肘で合図されて軽く会釈をする。
そんな心境を微塵も気にせず、酒が入り上機嫌な上司がパンと大きく手を叩いた。
「そうだ、アレを呼んでくれ」
「アレ…?」
その声に隣に座る遊女達があれこれ指示をしていると、
ゆっくりと開けられた襖。
『失礼致します。●●でございます。』
「●●、将校様達に舞を」
『はい』
鈴が鳴ったような声と共に現れた黒髪の少女。
開かれた屏風の前の赤い敷物の上へと長い着物と帯を引き摺りながら移動する。
三味線の弦が弾かれて、
その音に合わせて赤い着物に描かれた蝶々が舞う。
煌びやかな簪が、
大きく広げられた扇子が、
長い袂が空を切った。
ひらひらと踊る彼女に、
衣擦れの音に酔う。
彼女の紅い硝子細工のような瞳に吸い込まれる感覚。
くらくらする。
「一ノ瀬様?」
「え、あ…」
一瞬で引き戻された意識に、眩暈がした。
「どうした、一ノ瀬」
大きな瞳と目が合う。
憂いを帯びた柘榴石。
「少し、酔ったみたいなので…風に当たってきます」
その紅から逃げるように部屋を飛び出した。
胸のうちを見透かされている様で。
.
庭に降りれば先程の艶やかな部屋と違い、
数ヵ所にポウと灯る橙色の燈と、
小さな池に飼われた鯉が時たまパシャンと尾ひれを鳴らす、垣根に囲まれた空間。
夜になって一気に下がった気温が、
アルコォルが入った所為で火照る身体に浸透していく。
シンと澄んだ空気が心地良い。
周りの部屋からは男女の笑い声が微かに聞こえる。
『一ノ瀬様?』
群青色の天鵞絨に紅い蝶が降り立った。
柘榴石から響く聲に空気が揺れる。
「●●さん、」
『お気に、召さなかったでしょうか?』
不安げに顰めている眉。
屏風の前、ひらひらと飛び回る●●の姿が過る。
「い、え…とても、綺麗でした」
息を吐く事も忘れる位。
『それなら良かったです』
「席を立ってしまって申し訳有りませんでした」
ふわりと小さく●●が笑った。
ソレが何処か儚げで、また息が詰まる。
「一ノ瀬!」
「日向さん、」
『では、私は此れで』
逢い引きか?なんて茶化しながら、
自分と同じく庭へと続く廊下から降りて
池の近くにまで来た日向中尉に紅い蝶は御辞儀をして去って行く。
帯に描かれた曼珠沙華と、
洋燈に反射して揺れる金色の簪を無意識で追い掛けた。
「…一ノ瀬、この辺で帰らないと娼芸に付き合わされるぞ。」
「しょっ…!」
明治5年に明治政府から芸娼妓解放令が発令され、
今では吉原の様に公な遊郭は無いものの、
実体は殆ど変わってはいない様だ。
「上手く誤魔化しておいてやるから、」
「…すみません、」
気にするな、そう言いながらポンと肩に置かれた手にやりきれない気持ちが募る。
将校に成ったとは言え、所詮こんなもんだ。
酒と娼芸に穢れている。
今日は有り難いことに新月。
胸のうちまで闇に溶け込ませて消えてしまおう。
一瞬脳裏に●●の声が過ったが、
もう二度とこんな処来るまいと、屋敷の門を潜った。
to be continued
(ひらひらと舞う蝶との出逢い)
20111016
卍解しながら長編に手を出してみました。
落ちはトキヤか決めてなかったり。
とりあえず龍也さん。
先本桜聞いてたら荒ぶった。
とりあえず次は御曹司出したい。
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