ハァと大きな溜め息を人知れず吐いた。








かれこれ此処に来て二時間。
こっち側の図書室は古くて狭い所為か、あまり使われていない様で、滅多に人が寄り付かず人気の無い。
ソレを良いことに、昨日まで就いていた任務の報告書を作成していた。

基本的に報告書は邪魔の入らない自室で作るし、本を読むにしても図書室に長居することは殆ど無い。



ソレが何故、今此処でこうしているか。
理由は頭痛がする程馬鹿馬鹿しい。
我が黒の教団一のお騒がせ室長のコムイ・リーが、毎度お騒がせロボットのコムリンを暴走させて、俺の部屋を半壊しやがったからだ。

(あのくそ野郎…)

その所為で昨日から空室を用意して貰ったのだが、如何せん落ち着かない。
自室にも籠るような質では無いし、第一あそこが一番だと言うつもりも、無い。
ソレでも長年生活してきた部屋に比べれば、他人の部屋に居座っているようで。

比較的教団内で静かな此処(図書室)に行き着いたと言うわけだ。


原因の大半(否、もう原因そのものと言っては過言ではない)を三枚にオロしてやろうと六幻を発動させたのもつかの間。
こう言う時だけは誰よりも逃げ足が早い。
未消化の苛立ちを抑えるべく、机の上に広げた報告書にペンを走らせた。



「…ち、」



二時間もあれば本来ならば報告書は完成している。
(が、書き出し三行で躓いてる)
一向に終わりを迎えないそれは書き込んでは二重線を引いて消して、握り潰して。
頭に浮かんでくる文字は纏まりを持たず、ペンを報告書に乗せて、インクがじわっと滲む頃には消えてしまう位集中力に欠けてしまっていた。

(これもそれも全てコムイの所為だ)

再度口から漏れる溜め息を静かに吐いた。
細心の注意を払って。
身体が揺れてしまわないように。



「おーおー珍しい。」

「…うっせェ。」



カタンと小さな音を立てて向かいの椅子に腰を下ろしたのは同じエクソシストの…バカ兎。
煩い程主張する紅を一瞥してまた報告書に視線を戻す。
「失せろ」
とペンを持つ右手であしらえば、
「そんなこと言わないでよ、ユウ」
と嘘泣きをして見せた。



「テメェ邪魔すんだったら、」

「断じてしません!ソレに用事があるんさ。」



ソレと指されたオレの左肩。

正式に言えば、オレの左肩に寄り掛かる緋。
バカ兎とはまた違う、燃え盛る焔の様な深い濃い強い緋が全身の力と言う力を抜いて、スピスピと小さな音を立てながら夢の世界に意識を手放している。
かれこれ一時間以上前から。



「…物じゃねェ。」

「分かってるって。」



此処に落ち着きだして少し経った時にふらふらと入ってきて、
『静かにしているから』
と言って申し訳なさそうに、隣に腰掛けた。

いつもなら喧嘩腰での会話を繰り広げるナマエが今日は違った。
図書室へ近付いてくる彼女の放つ空気が沈んでいたから、
「好きにしろ」
とだけ返した。
『ありがと』
と呟いて足を抱えながら、窓から見える灰色の空を見ていた。

何か嫌なことでも有ったのか。
言葉通り静かに、微かに触れた肩から伝わるナマエの体温を気にしながらも報告書に集中し直した頃、その肩は小さく揺れだした。
眠ってしまったのかと思った瞬間、揺れた緋の着地点がオレの肩だったので、ソコからは集中力なんて何処かに消え去ってしまったのだ。

いつもなら頬に影を作るほど長い睫毛に縁取られた大きな目も、オレや兎よりも数段小さな手もきゅっと閉じて。
呼吸に合わせて静かに上下する肩に起こす気も無くなった。



「しかしまぁ…ちょっと妬ける光景さ。」



寂しそうに呟きながら、少し癖のあるナマエの緋色の髪を撫でた。

こう言う時に彼女が求めて辿り着く場所はオレの隣ではない。
寧ろソレは兎の隣であることが多い。

コイツはナマエを甘やかすのが上手い。



「…知るか。」



言うなれば猫のように気紛れなナマエがオレの隣に来て、そこに落ち着いたことなんて理由など求めてはいけない。

自由に生きて自由に行動する。
彼女を縛る事は不可能なのだ。

時々、ソレを羨ましくも思えた。
死の無いこの身体は生にも執着し、顔も思い出せないあの人を探し続けている事でさえ、過去の記憶に縛られているようにも思える。
左胸の文字が在る限り、逃れられはしない。



「そー言うなって」



指先で梳いていた燃えるような緋に口付ける。

タンクトップから覗く腕には沢山の絆創膏。
これは先日共に就いた任務で負ったものだ。
オレと同じく前線で戦うナマエはよく怪我をする。
接近戦を主とする所為もあるが、その理由の中に“活発な性格”もあるだろう。

起きていればバカ兎のそんな行動を甘んじて受ける事なく、蹴りの一つや二つ喰らわしている筈。



『…ん、』



肩の重みが微かに捩る音が聞こえた。

ゴロゴロとその上を緋が転がり、聲にもならない聲をあげる。
目を擦りながら夢の世界から戻ってきた様だ。
未だはっきりしない意識と視界の所為か、幾度となく目を開けては閉めを繰返した。



「おはよ。」

『ぅ?…ラビぃ?』

「おう。」

「…ナマエ、いい加減重い。」



目の前に座る兎に頭を撫でられ、ソレに無意識に擦り寄るナマエ。
本当に猫のようだと頭を過った。

その猫の頭にペンの頭でコツンとノックする。
アイツのように優しく撫でることが出来ない自分が少しだけ嫌に思えた。



『え?あ!ゴメン、ユウ!』



『いつの間に寝ちゃって…!』
なんて言う彼女の頭が離れていって。
下げた頭が反省の色を見せる。
この猫に、猫特有の三角の耳が付いていたとするなら、多分頭の上でしおらしく伏せたと思う。



「涎、垂れてっぞ。」

「口めーっちゃ開けてたさ。」

『う、嘘っ!』



ナマエに見せ付けるように口端をトントンと指せば、兎がケラケラと笑いながら言う。
ソレを恥ずかしそうに口元を隠して焦る姿は、いつの間にかいつも通りの彼女に戻っていた。
『やだ、あり得ない』
とグズグズ言いながら、項垂れるナマエに思わずフンと鼻が鳴りそうになった。
どうやらソレはバカ兎も同じだった様で、彼女の死角で肩を震わせている。




「「ナマエ。」」



思っていた以上に恥ずかしかったのか、少し涙目になっている彼女の名前を呼ぶ。
(バカ兎と聲が揃うとは些か腑に落ちないが)
その赤くなった目を游がせながらも、オレと兎を交互に見た。

あぁ。
少しやりすぎたか。

ペンを掌から離せば、何重にも引かれた訂正線の所為で汚い報告書の上を転がる。
兎が立ち上がると同時に、椅子の脚がタイルの上を滑り音を立てた。



「嘘、さ」



ネタばらしの兎の聲に
『は!?』
とナマエが弾かれた様に顔を上げる。

ソレに合わせて、バカ兎の指がナマエの頬を摘まみ上げ、勢いよく親指に弾かれたオレの中指がナマエの額を弾いたのは同タイミングだった。
(ソレも気に食わないが)



『いっっっ!!!!』



赤くなった頬と額を押さえ、大袈裟に叫ぶ。



「油断大敵!…って熱っ!ナマエイノセンス出すな!!」

『酷いよ!二人とも!』

「のぞむところだ」

「コラ、煽らない!」



ゆらゆらとナマエの腕が深紅の焔を纏い、身を乗り出して怒るナマエに六幻を構えれば、兎が焦って中に割って入る。
『本気で恥ずかしかったんだから!』
とむきになる姿は初めて逢ってから数年が経っても変わっていないと思った。



「ナマエっ、任務さ!コムイんとこ行くぞ!」

『ちょ、もう!ラビ、引っ張らないでよ。』

「さっさと行け、静かになる。」

『…〜ユウの、バカ!』



今度は顔を赤らめて、図書室の扉を力一杯閉めて行く。

先を歩くバカ兎に追い付く為だろう。
ぱたぱたと廊下を駆ける音が響いて、徐々に遠退いて。

青くなったり赤くなったりしおらしくなったり暴れたり。
忙しいヤツ。
此処数年の仲ではあるが本当に飽きない。


騒がしさや人との関わりが億劫だと今でも思う。
誰もオレに構うなというスタンスは変わってなどいない。


ソレでもナマエなら少し位踏み込んできても許してやろうと思い出している自分の変化は、過去に縛られ続けるオレの唯一の進化なのだと思った。
絶対に言わねェけれど。





(あまり無防備を晒してると、襲われてしまうさ!)
(誰に?)
(ユウに!)
(ラビじゃあるまいし)
(…酷ェ)

end

20120319

D灰長編の小話でした。
ちょっと三角関係風?
一話目の前夜です。

D灰長編を一話から徐々に手直しを加えていこうと思ってます。

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