▼Please whisper until I get to sleep.






家を出ると、両二の腕を擦った。それはもう条件反射と言うもので、時折通り過ぎる風が冬だったと思い出させる位、吐く息も白くならない冬だった。いつもの癖でたくさん着込んだものの、一月にしては暖かすぎるのだ。
ポケットの中で小さく揺れた携帯が、集合場所の詳細を表示している。無意識に吐いたため息を、惰性で指先にかけ両手を擦り合わせる。了解、と簡素に返し、紅のグラデーションが広がる遠くの空を見上げた。
夕陽を見るといつも、何とも形容しがたい気持ちでいっぱいになり、灰色を帯びた靄が頭の中に充満する。首筋を解す様に揉んで、ジャケットの襟を直した。寒くもないのにツンと痛む鼻先を温まった指先で覆う。じんわりと靴底から伝わるコンクリートの冷たさが、私を攻撃してきた気がした。


「ラビ」

「おぉ、●●!早かったさ。」

「うん、ちょうど出るとこだったからね。ラビは?」

「初詣の帰り。」


行き交う雑踏を横目に、駅前の柱にもたれ掛かっていた旧友に声をかけた。その横にするりと体を滑り込ませ、今年も宜しく、と言う。


「こちらこそ。」


もう何年になるんかね、と小さく笑いながら、咥えていた煙草を携帯灰皿の中に押し付けた。燻りながら薄く上っていく煙。
年明けだと言うのに人の流れは普段とそんなに変わらず、ごった煮のような景色が視界を埋め尽くしている。ビルのほんの僅かな隙間から覗く空は、もう既に藍色。煩いまでに明るいネオンのせいで、寂しそうに月だけが輝いていた。


「珍しいさ、スニーカー履くなんて。」


ゴソゴソと灰皿をポケットに詰め込み、その代わりに取り出した携帯。思わず見えたその画面に、ハ、っと息を吐いた。
アレンの声がまだ少し高く、リナリーの髪が腰まであって、ラビの肩が私の鼻くらいの高さになり、私が初めて羊を数えながら夜を越えた頃。


「最近買ったの。」


横を通り過ぎた、ムスクの香りが鼻につく。昔を思い出させる。

高いヒールのパンプスを履き始めたのは、少しでも皆に近付きたかったからだ。無理をしてたけれど、それもいつしか慣れてしまって、それ以来ずっと好んで選んできた。
背伸びしたところで何かが変わるわけではないし、寧ろ自分を追い詰めていたんだと気付いたのはいつだったか。
皆が甘やかしてくれる居心地の良さに流されてただけで、か弱い女の子にも成れないと知った頃の顔ぶれだった。


「……歩き回ることも増えたしね。」

「ふーん……、最近も眠れてねェんだ。隈、ちょっと出来てる。」

「え?うそ。」

「うん、ここ。」


履き潰してやろうと、半年前に買ったスニーカー。何度も履く割に本体も靴紐も、未だ白さを保っている。休みの度に履いているものの、未だ履きなれないソレに筋肉痛が付き纏う。薄い靴底にも、愛着は沸いては来なくて。
クタクタに疲れれば、眠れると思ったのに。淡々としか過ぎ去ってくれない夜、布団の中で踞りながら羊を数え、週に何度かは浅い眠りしか出来なかった。

携帯の画面を消しながらラビが指した隈は、コンシーラーで隠したつもりでいた。


「出歩いて、何か変わった?」

「さぁね。……あ、アレン来たよ。」

「……リナリーも、すぐそこだってさ。」


シルバーのフレームが気に入ったと言って、自転車とは思えない金額の買い物をしていたのは確か春で。それから彼と会う時は駐輪する場所も気を使う。物に執着しないと思っていたのに、相変わらずよくわからないスイッチの入り方だ。リナリーはいつものように駅の裏口辺りに、付き纏う兄の送迎で来たのだろう。
永続することにも、移ろい行くことにも、それ程弱くなくなった自分にも慣れた。

コートの波に混ざりながら、キョロキョロと辺りを見回している白髪に、大きく手を振る。黒やチャコールの隙間。ゆっくりとこちらに顔を向ける彼と、目が合う寸前。クシャクシャと掻き上げるように私の髪を、ラビの指が掬った。


「や、ゴメン。無意識だった。」


宙を泳ぐ目。頭一つ分高い位置にあるのに、気を揉んだような仕草が妙に可笑しい。ラビの動く腕に合わせて、ベルガモットとバニラの微かな香りが残る。


「……ホント、マメだね。」


私を甘やかすのが。つけている甘い香水に似て、どこまでも甘い男だね。
そう言うと、思いっきり目を細めながら、もう癖だな、と笑ってみせた。


「明けましておめでとうございます。●●!3か月ぶり、でしょうか。」

「アレン、今年もよろしくね。」


駆け寄ってきたアレンは、秋に会った時よりも少し前髪が短い。無造作に首の後ろで髪をくくるのはここ何年かのお気に入りのようで、綺麗にアイロンのかけられたシャツが相反している。


「アレン!俺は!俺も!明けましておめでとう!」


ポケットに片方の手を突っ込んだまま、アレンの元へ行くと、勢いをつけたまま肩をぶつけ合う。そんなラビを睨み付けながら、その靴僕も持ってますよ、と指差した。


「お揃いです。」

「アレンが履いてるところ見たことないよ?」

「そうでしたっけ?あー、でも最近は自転車用で、こっちのタイプを合わせてるからかな。」

「じゃあ俺も、それ買う!」

「ちょっとラビは黙ってて。」


ムッと顔を歪ませて拗ねるラビを、目を交わしてアレンと笑った。


「あ、リナリー!」

「ごめんなさい!遅くなっちゃって!」


息を切らせながらも“おめでとう”と、謝りながら走ってくる。


「まだ予約まで時間はあるさ。」


ラビが時計を確認すると、18時を少し過ぎたところだ。


「そうだね、大丈夫だよ。」

「僕も今、着いたところですし。」

「そう?良かった!」


ペコリとアレンが頭を下げて、リナリーの短いスカートが、風に跳ねた。
その向こう側。頬が一瞬でピリついて、ザワザワと騒がしい。何よりも一番先に反応したのは、肌だった。


「あれ?珍しい。……マリも一緒ですか?」


目に飛び込んできた映像を頭が認識し、二の腕から肩にかけて鳥肌が立つ。耳が熱くなったような気がして、濁りだす周りの音。


「あぁ、たまたまそこの角で会ってな。明けましておめでとう。」

「皆に新年の挨拶したいって!それとね、」


過ぎていく車や靴音よりも、静かに揺れるコートの裾が煩い。寒くもないのに唇が震え、喉がカラカラに乾上がり、呼吸をするのも忘れた。久しぶりに合った友人に、挨拶をすることさえも。
頭の天辺の奥の奥がツンと、髪の毛一本一本にまで神経が通ってるかのように、触れる何もかもに過敏になる。
目が眩むようだった。


「……ユ、…………ユウ?」

「えっ!?」


ラビの上擦った声がした。アレンが信じられないと声を荒らげ、それをマリが宥める。血の気が引いて、コンクリートに足が捕られて沈むような。足元から崩れ落ちるのを、必死に堪えて。


「今日集まると聞いて、連れてきたんだ。」


カツンとコンクリートに靴音が立つ。歩幅が広くせっかちな、少し神経質な音。


「……よぉ、●●。」


相変わらずロングコートがよく似合う。ムカつく程に整った顔と、浮世離れした黒髪。記憶の中の彼と違うのは、また私を置き去りにするように伸びた身長と、余裕すら感じられる穏やかな目。
一歩、また一歩と近付いてくる度に、焦燥と苛立ちが沸く。


「か、ん……、」


バカだ。
ほんの少しだけ、ほんの微かに何かに期待した。触れてしまえばまた、スタート地点に逆戻りするのに。彼に手を伸ばそうとしている自分に気が付いて、胸がえぐられるような感覚。


「久しぶり。元気だった?……こっちに暫く居るの?」


口角を上げて、ニコリと笑みを作った。そうして彼との距離を保ち、沸き上がる熱に蓋をする。


「……いや。明後日には向こうに戻る。」

「そ、か。……じゃあ」

「待て、●●。ちょっとこっちを見ろって、」


大きく踏み込んで、詰められた距離。伸ばされた手が、力強く私を包む。思いきり抱き寄せられて、咄嗟に覚束ない足取りがその反動を庇った。


「やだ、神田、離して。……ダメなんだって、ホントに……!」


もういい加減、神田の居ない感覚に慣れたかった。こんなにも苦しい思いをするのは、耐えられない。どうすれば抜け出せるのか、私にはわからない。
だから、このまま会えなくて良いと思ったのに。


「●●、」

「……っ、」


街中の雑音の中で、ずっと探していた石鹸の香りがした。懐かしい黒髪が視界を掠め、ウールのコート越しの逞しい腕が強く、苦しい程に切ない程に締め付ける。耳元で直に響いている心音。
気付けば、それを無意識に強く抱き締めていた。


「……っ、待ってなんかいないよ。……急に海外に行くって、そんなの待つわけないでしょ。」

「……そうだな。」

「置いていったくせに、なんで、」


自分の声じゃないみたいだった。思考と身体がリンクしているのか、いないのか。久し振りに聞く低いテノールが、名前を呼んでいる。嘘みたいだ。一人にも慣れたと、言い聞かせて思い込みかけていたのに。


「今更、」

「今、だからだ。」

「え?」


神田が高い背を屈ませて、首元に顔を埋めた。体温が全身に蘇る。
心臓が、沸騰してしまう。


「一緒に来てくれ。俺が保ちそうにねェ。」


大きな肩が頬に当たって、それ越しに、頷くマリが見えた。リナリーの零す大粒の涙が歪む視界にちらつき、つられるように目が軋む。
響く痛みで開けていられない。


「……バ神田のくせに。」


精一杯吐き出した言葉は神田のコートに染み込んで。声と涙が一斉に溢れて、子供みたいに泣いた。腰にあった掌が、トントンと背中をあやすように叩いたら、急に実感した現実。


「悪かったな。」


夢なら醒めないままで。諦め悪くここまで来てしまったのなら、もっと深く、この想いと沈んでしまえばいい。
今年は暖冬だ。そのせいで、こんなにも頬が熱くて、こんなにも朗らかなのだ。

まだ一月なのに、春がすぐそばにある気がした。




end

20160108

今年はアニメがまた始まること、countdownで聞いた歌が耳から離れないことをぐるっと纏めて書いてみました。
何やら自分の経験って言うか、感情がぶちこまれた感じです。まさか動くアレン達に会えるとは思っていなくて、未だ嘘なんじゃないかと思ってしまいます。
ものすごく楽しみ。で、吐きそうになります。

大変遅くなってしまいましたが、皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。



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